2017年04月19日の記事 (1/1)

岡田麿里

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「あの日みた花の名前を僕達はまだ知らない。」
「心が叫びたがってるんだ。」
ひきこもりだったじんたんと、
幼少期のトラウマで声が出なくなった成瀬順。
二人を主人公にした二本のアニメは、
日本中の心を揺さぶり、舞台となった秩父は
全国からファンが訪れるアニメの聖地となった。
実は、そのアニメの脚本を書いた岡田麿里自身が
小学校で学校に行けなくなっていたのです。
これは、母親と二人きりの長い長い時間をすごし
そして「お話」に出会い、
やがて秩父から「外の世界」に出て行った岡田の初めての自伝。


プロローグ 心が叫びたがっていたんだ。
『心が叫びたがってるんだ。』は、私の故郷、秩父を舞台にしている。その秩父での先行上映会。機材トラブルで途中で上映が止まるというパニックの中、私は、あの頃と何も変わっていない自分に気がついた。

第一章 学校のなかの居場所
小さいころから思ったことが言えない子だった。小学校に入学すると、苛められた。いじめっ子の背景には夕暮れに黒々とうかびあがる秩父の山々があった。それはでっかい檻のように見えた。

第二章 誰に挨拶したらいいかわからない
陽子は私と同じ愚鈍なのに皆から好かれていた。宮沢賢治の詩のように無私だったのだ。そういうキャラにならなくては。そう努力していたある朝の教室で、私は誰に挨拶したらいいかわからなくなってしまった。

第三章 一日、一日が消えていく
学校に行けなくなった私は、食うか、寝るか、ゲームをするか、本を読むかの日々を過ごしていた。母親はそんな私を恥じた。志賀直哉の「暗夜行路」を読んでいると「消日」という言葉があった。私のことだ。

第四章 行事のための準備運動
アニメ『あの花』でずっと学校を休んでいたじんたんが外に出るシーンがある。ドア前で近所の人の声が聞こえ、躊躇する。これは、私が学校行事のために、久しぶりに外に出るXデーをモデルにしている。

第五章 お母さんだってひどいことをしてる
私の父親は、浮気がばれ、祖父に離婚させられた。一人になった母は、男たちに「秩父の浅野温子」と呼ばれていた。私は母の彼氏に「おっぱいの絵を書け!」と命令される。

第六章 緑の檻、秩父
学校は休んでいても、作文の宿題だけは提出していた。それが新聞社の賞をとった。「岡田さんは学校にこなくてもいいから、一緒に作文を書いて賞に応募しましょう」。優しい女性の国語教師は言ったのだが。

第七章 下谷先生とおじいちゃん
何とか高校には合格したものの、その高校もすぐに行けなくなってしまった。担任の下谷先生は、読書感想文の文通を求めてくれた。その添削に「麿里という少女の」という言葉があったことに衝撃をうける。

第八章 トンネルを抜けて東京へ
下谷先生の奥さんは、「生きづらい人が集まるコミューンがある、卒業後はそこに」と言った。「麿里さんは、社会に出たらもっと傷つく」。こんな言葉がとっさに出てきた。「私はやりたいことがある。ゲーム学校に行く」

第九章 シナリオライターになりたい
新しくできた友達と夜明けの渋谷の街を歩きながら「どうして私はここにいるんだろう」と感じた。日常のささいなことがずっと手の届かないと思っていた奇跡だった。その中で将来に対する夢が形づくられ始める。

第十章 Vシネからアニメへ
シナリオライターになりたいという一念で、Vシネの仕事をしているうちに、アニメの現場に参加することになった。「君、シナリオライターになりたいの? 書いてみれば」。体中の毛穴がぶあっと開いた。

第十一章 シナリオ「外の世界」
そう言った監督にまず言われたこと。君はどんな人なのかそれがわかる脚本を書いてみなさい。私自身のことを書くならば、秩父のあの部屋にひきこもっていた時代のことを書くべきだ。

第十二章 かくあれかしと思う母親を主人公にする
オリジナルを書いてみれば? 学校に通えなかったせいで昇華されていない思春期が、終わりどころを見失っていた三十歳の私は、かくあれかしという母親をモデルにして脚本を書く。『花咲くいろは』の誕生。

第十三章 あの日みた花の名前を僕たちはまだ知らない。
企画コンペにオリジナル作品を。そう言われて私はある決断をする。それは学校に行けなかった少年を主人公にした物語だ。アニメの美しさにほんのひと振りの現実。じんたんの登場する「あの花」が書かれる。

第十四章 心が叫びたがっているんだ。
私の声さようなら。私の声消えたことみんな喜んだ。『ここさけ』のクライマックスで、喋ることができなくなってしまったヒロイン成瀬順が歌う「私の声」。これは、いきづまった私の声でもあった。

エピローグ 出してみることで形になる何か
「ここさけ」の劇場上映があってしばらくして母親から連絡があった。「お母さんも昔、麿里ちゃんに似たようなこと言っちゃったわね」。順の母親の台詞のことだった。「そんなに私のことが憎い?」「もう疲れちゃった」


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『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』

 普段アニメを観ない方も、このタイトルに聞き覚えがある方は多いのではないだろうか。

 映画の興行収入がともに十億を超え“聖地巡礼アニメ”として大きな話題になった両作。本書はそれらを手がけたアニメ界のカリスマ脚本家、岡田麿里さんの初の自伝となっている。

 書かれているのは成功者のサクセスストーリーとはほど遠い、闘病手記とでも言うべき小学校時代からの困難な自意識との闘い。

 なんと豊かで苦しい心か。

 私が鼻水垂らしていたような頃に周囲との不調和に直面し、友達を冷静に観察評価し、自覚的に自らの「キャラ設定」にあえぎ、結果挫折し、不登校になる。

 すでに作品を知っている私としては「そういうことだったのか」と腑に落ちた。本書は自伝であると同時に両作の裏設定が書かれた濃密な設定資料である。

 重苦しいのに引き込まれる。ついページをめくってしまう。これは岡田さんのアニメの印象そのものだ。舐めるとピリッと苦くて、えぐみがある。でも「苦い苦い」と舐めているうち気づけば瓶が空いている。そんな薄い毒の魅力。

 面白いのは、本文のあちこちから著者の“天然っぽい”部分がぽろぽろこぼれているところ。不登校の二年半を「たった二年半」とさらりと書いたり、教習所で耳栓を付けた理由も大したことがないかのように流されている(ように見える)。上京する列車で隣になったおじさんが居心地悪そうにしてコーヒーを飲まない理由を、「甘いのが苦手なのかもしれない」と考えたときは「鈍いよ!」とツッコミを入れてしまった。

 上京した彼女はシナリオライターという職業に出会い「アニメのライターになりたい」と道を定める。そして「登校拒否児は果たして、魅力的なキャラクターとして成立するのだろうか?」と、自分自身に基づくテーマに挑み、ヒット作『あの花』が生まれた。

 このあたりでは内容も軽快になり、前半の重苦しさとともに彼女の半生のトレンドを追体験した感覚になれる。特に『あの花』スタッフが秩父にある岡田さんの実家を訪問したくだりはコメディでありつつ感動的なシーン。なのにスタッフを招いた理由を「母親に見せつけたかったのだ」。ここでその言い方を選ぶのかと苦笑した。さすがだ。

 本書で彼女が美しいと感じた瞬間には、車窓や扉といった「額縁」の存在が記されている。次に飾られるのはどんな風景だろうかと読了し思いを馳せた。

命伏(いのちぶせ)

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中日春秋 4/19

かつて、美術品の撮影現場では「チンパンジー」が活躍したという

精密に撮影するには、細かい粒子の感度の低いフィルムで、露光時間を十秒、二十秒とかけねばならなかった。その時間を計るのに秒針をいちいち見るのは面倒なので、代わりに「チンパンジー」や「ボウサンガコロンダ」と唱えながら撮影する。

どちらも一回言うのに、およそ一秒かかる。十秒なら「チンパンジー、チンパンジー…」と十回唱え続けたというから、何とも愉快な撮影風景である(三杉隆敏著『真贋(しんがん)ものがたり』)。

それが今や、カラーコピー機にかければ、チンパンジー十頭分ほどの時間で印刷までできてしまう。そうしてできたコピーが、神奈川芸術文化財団で版画家・棟方志功(むなかたしこう)の作品とすり替えられていたというだけで驚きなのに、発覚から三年もの間、県がそのことを伏せていたというから、もっと驚く。

棟方志功は自らの「板画(はんが)」と印刷の違いを自伝『わだばゴッホになる』で、こう説いた。<印刷ではないのだから。人間の魂が紙に乗り移らなければ、摺(す)るとはいえないのです。板画は呼吸しているのだから、墨の密度の中に息づきがないとだめなのです…わたくしはそれを板画の命伏(いのちぶせ)と言っています。>

そういう「命伏」を失ったことを、県民に伏せ続けた。問題のコピーは、お役所の病理を、見事に写し取った作品かもしれぬ。

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 中国の裕福な家庭には、書家で有名な王羲之の掛け軸がよく飾られているとかで、本人の作にしてはあまりに数が多いと思っていると「摹本(もほん)」などのただし書きが見つかるという。

 本物ではなく、書体を似せた模写の意味であり、持ち主も心得ていて、偽物でも有名書家の作品と「される」だけで満足するとか!中国陶磁研究家の三杉隆敏さんが、著書「真贋(しんがん)ものがたり」で触れていた。

 有名ブランドのコピー商品が氾濫する中国ならではなかろうか!似ているならば本物でも偽物でもどちらでもいい…おおらかといえるのかもしれない-好みが左右する美術品収集なら構わないが、生命に関わる問題となればそうもいかない。

 北海道の陸上自衛隊然別演習場で、訓練の最中に空包と誤って実弾が発射され、隊員2人が軽傷を負った事故のことだが、驚くのは9人が関わり、79発もの弾が飛び交ったことだ。

 本物の弾と空包は見かけが明らかに違うといい、弾薬庫から取り出し、隊員に渡るまで何重ものチェックがある-なのに、なぜ真偽の区別が付かなかったのか!原因究明を待つしかないが、演習場のそばに住む人たちも不安なはずだ。

 三杉さんは、眼力を付けるには「偽物をたくさん見た方がいい」といい、本物だけを見ているのでは、偽物が現れてもぷんぷんとにおってこない-本物と空包の違いさえ分からずに銃を構えているのだとしたら恐ろしい。

…………………………

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棟方志功は「わだば日本のゴッホになる」といったそうだが、なぜ「ゴッホ」なのか知りたい。


回答

下記のとおり、評伝や自伝からゴッホに影響を受けたと思われる部分を紹介。

「棟方志功 わだばゴッホになる」には、次のエピソードが掲載されている。
「…弘前に小野忠明という洋画家がいて…わたくしはある日、意を決して小野さんのお宅を訪ねました。話を伺ううちに、わたくしは「ワ(私)だば、バン・ゴッホのようになりたい」と言いました。すると、小野さんは、「君は、ゴッホを知ってるッ?」と言います。その頃わたくしは、何か判らないが、ゴッホというものを口にしていました。みんなから「シコーはいつもゴッホ、ゴッホと言っているが、風邪でも引いたかな」とからかわれたものでした。小野さんは新刊の雑誌を一つ持ってきました。『白樺』でした。
口絵に色刷りでバン・ゴッホのヒマワリの絵がのっていました。赤の線の入った黄色でギラギラと光るようなヒマワリが六輪、バックは目のさめるようなエメラルドです。一目見てわたくしは、ガク然としました。何ということだ、絵とは何とすばらしいものだ、これがゴッホか、ゴッホというものか!
わたくしは、無暗矢鱈に驚き、打ちのめされ、喜び、騒ぎ叫びました。ゴッホをほんとうの画家だと信じました。今にすれば刷りも粗末で小さな口絵でした。しかしわたくしには、ゴッホが今描いたばかりのベトベトの新作と同じでした。「いいなァ、いいなァ」という言葉しか出ません。わたくしは、ただ「いいなァ」を連発して畳をばん、ばんと力一杯叩き続けました。「僕も好きだが、君がそれほど感心したのなら君にあげよう。ゴッホは、愛の画家だ」。小野忠明氏は力強く最後の言葉を言ってくれました。
それからは、何を見てもゴッホの絵のように見えました。」(40~41頁)

また、「棟方志功讃」にも、「板極道」(棟方志功の自伝)からの抜粋として
「氏(小野忠明氏のこと)はゴッホを尊敬して新しい絵を描いていました。氏からわたくしは、フランスの作家の醸成をいろいろ教えられました。とくにゴッホの話に夢中になりました。―ゴーギャン、セザンヌ、ロートレック、マチス、ピカソまでを語りました。そうして小野氏は、大切にしていましたゴッホの『ひまわり』の原色版を、わたしにくれました。―この原色版を、カミサマ―ゴッホの面影として大切にしていたのですが、残念千万にも、戦災で無くしたのは、惜しく思っています―。
『ようし、日本のゴッホになる』『ヨーシ、ゴッホになる』―そのころのわたくしは、油画ということとゴッホということを、いっしょくたに考えていたようです。
わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。…わたくしは描きに描きました。…何もかもわからず、やたら滅法に描いたのでした。ゴッホのような絵を―。そして青森では、『ゴッホのムナカタ』といわれるようになっていました。」(33~34頁)
とある。

小野氏にゴッホの『ひまわり』原色版を贈られたことにより、『日本のゴッホになる』と決意した、というのが定説のようだが、「棟方志功 わだばゴッホになる」にある通り、小野氏に会う以前に棟方志功はゴッホを知っていたようである。これについては、長部日出雄による評伝「鬼が来た 上棟方志功伝」に、青森裁判所の弁護士控所に給仕として勤めていた棟方の先輩、山本兵平は絵を描いていた弟兵三の友達としてまえから棟方を知っており、上京する際、ゴッホの画集を「絵描きになるのなら、こういうものを勉強せねば駄目ぞ」といって貸し、「ゴッホの画集を手にした志功は、飛び上がって喜び、頁を繰るたびに「こりゃあ大すたもんだ!」と叫んで大感激のていであった。」という記述がある。(84~86頁)
小野氏はわざわざ上京してゴッホの『ひまわり』原画を見ており、その印象と、「白樺」のバックナンバーを読んで得ていた知識をまじえて、ゴッホ論を棟方に熱っぽく語っており、それによって棟方が多大な影響を受けたのだろう、と「鬼が来た 上 棟方志功伝」にはある。白樺派が日本に紹介した画家には、ゴッホ以外にもセザンヌ、ルノワールなどがいますが、なぜその中からゴッホなのかは判らず。小野忠明氏がゴッホに傾倒していたのか、もともとゴッホの画集を見ていた棟方が、殊更ゴッホの話に反応したのか、ゴッホと棟方には生来の性質に共通するところがあり、小野氏の話を聞いて自分のあるべき道と進む道を初めて実感したのか、推測はできるがはっきりしたことは判断できない。

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