2017年04月18日の記事 (1/1)

支度  黒田三郎

学校図書 6年

「支度 」

黒田 三郎

何の匂いでしょう
これは

これは
春の匂い
真新しい着地の匂い
真新しいかわの匂い
新しいものの
新しい匂い
匂いのなかに
希望も ゆめも
幸福も うっとりと
うかんでいるようです

ごったがえす 人いきれのなかで
だけどちょっぴり 気がかりです
心の支度は 
どうでしょう
もうできましたか

学校図書 6年


   土      三好達治

 ありが
 ちょうの羽をひいていく
 ああ
 ヨットのようだ
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きのうより一回だけ多く―阪神大震災で被災したきみへ

学校図書 6年

きのうより一回だけ多く―阪神大震災で被災したきみへ  川崎 洋


家を失ったきみ けがをしたきみ

父さん母さんを亡くしたきみ

きょうだいを亡くしたきみ

じいちゃんばあちゃんを亡くしたきみ

なかよしを亡くしたきみ

けんか相手がいまだに行方不明のきみ

泣いて泣いて泣いたきみ

かわいがっていたイヌやネコをもう抱けないきみ

何日もふろに入れなかったきみ

ごはんが食べられなかったきみ

寒くて寒くてふるえたきみ

いまでもこわい夢を見るきみ

そのほか

わたしが想像つかない苦しみにおそわれたきみ



わたしは65歳

孫のようなきみを

どうしてなぐさめていいか言葉がみつからない

まして励ますなんて

どう言えばいいのか

きみよりずっとたくさんの言葉を知っているのに

わからない



ただ 太陽に手を合わせる

きのうより一回だけ多く

きょう

笑いがきみの顔に広がるように

一回でも多く

じょうだんがきみの口から飛び出すように

一回だけ多く

好きな歌がきみの口から流れるように



おーい きみ

ヒロシマの傷

学校図書 6年

ヒロシマの傷
         与田 準一

 碑 銘     原 民喜

――遠き日の石に刻み 
    砂に影おち
崩れ堕つ 天地のまなか
一輪の花の幻    ――

「たぶん、
 こどものいたずらでしょう。」

だれかがいった。

ねらい打ちされた碑面に
あばたの傷あとがうずく。
……たぶん
  こどものいたずらでしょう。

「そう、
 こどもがやったこと。
 まさか、おとなの……
 とも、いえないではないか。

 〝腸に針を突き刺された〟いたみ。
ぼくらのいたずらに、
 ヒロシマの傷は、よみがえる。」

出発

学校図書 6年

             出発
                 井上 靖

     ぼくは
     マラソン競走で
     白いスタートラインにならぶ時がすきだ。
     軽く腰をうかせ
     きっと遠い前方の山をうかがう
     あの瞬間のびんと張った気持ちが好きだ。
     やがて笛は鳴りひびくだろう。
     ぼくたちはかけ出す。
     校庭を一周し、町をぬけ、村を通り、おかをこえる。
     友をぬいたり
     友にぬかれたりする。
     みなぎってくる
     いろいろの思いをしずかにおさえて
     友と友の間にはさまれて
     先生の笛の合図をまっている
     あのふしぎにしずかで、ゆたかな、出発の時がすきだ。


         
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学芸員

忙人寸語 4/18

 「あなたはがんです」と告げられたら…。経験者によると瞬間、目の前が真っ暗になり、病院からの帰路の記憶がなく、夜通し泣き続ける。日本人の2人に1人が経験する試練。そのショックは計り知れない。

山本幸三地方創生担当相が16日、外国人観光客に対する文化財の説明や案内が不十分として「一番の“がん”は文化学芸員」と発言。批判されると、謝罪、撤回した。

「自分たちだけが分かっていればいい、というのが学芸員の連中だ。この連中を一掃しないと駄目」との言葉は、「学芸員の方々に観光マインドを持ってもらう必要があるという趣旨」だったと言い訳した。

取材で会った学芸員の多くは無知な記者にも辛抱強く、かみ砕いて教えてくれた。別段、取材に限らず、それぞれが所属する場所で、展示やガイドなどを通じ、知の扉を開ける手伝いをしてくれる。

母親をがんで亡くしたばかりの記者仲間と懇親会で会い「大変だったね」と献杯。「『がん』っていう言葉にすごい敏感で。『あいつはがんだな』なんて慣用句が許せない」と涙に暮れていた。深く共感できた。亡母が認知症に苦しんだため、今も「ボケちゃったんじゃない」などの軽口が嫌いだ。

「がん」「連中」。そんな言葉しか選べない人間が文化を斬る。先日も偉ぶって激高した閣僚が、すぐに謝った。そうした「連中」こそ末期政権の「病巣」?


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編集日記 4/18

 予備校講師でテレビ番組でも活躍する林修さんは、実は講師という仕事が嫌いなのだという。その理由は、プロ野球選手や物理学者になるといった夢を諦めた末にたどり着いた職業だからだと著書に述べている。

 とはいえ、授業で手を抜くことは絶対しない。報酬をもらっている以上、仕事は常に満点しか許されない―というのが林さんの職業観だ。これまで多くの受験生を志望校に送り込んできたというプライドがのぞく。

 厳しいプロ意識を持つ林さんは、良い仕事にはその価値に見合った評価がされるべきだとも考える。「相手の仕事を値切れば、結局自分が値切られる。だから、相手の高いレベルの技術やサービスに対してリスペクト(尊敬)の気持ちを持たなければならない」と述べている。

 かの人にはそういう考えはなかったのだろうか。「学芸員はがんだ」と発言した山本幸三地方創生担当相である。学芸員は、博物館資料の収集や保管、調査研究に精通するプロであり、プライドを深く傷つけるものだ。

 地方創生は、地域にかかわる全ての人たちが力を合わせなければ立ちゆかない。さまざまな仕事の価値を正しく評価できないようでは、大臣である自身の価値も値切られる。

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小社会 4/18

 あまりにもひどい暴言だ。文化施設の学芸員について「一番のがん」と決めつけ、「この連中を一掃しなければならない」と語った山本地方創生担当相。たちまち発言撤回と謝罪に追い込まれた。

 山本氏は外国人観光客らに文化財などの説明、案内が不十分だとした上で、「学芸員も観光マインドを持ってほしい」という趣旨だと釈明した。だったらそう言えばいい。「連中」や「がん」「一掃」などの言葉には差別的な底意さえ感じる。

 全国の博物館や美術館などで日夜奮闘している学芸員は、さぞや傷ついたろう。そしてがんと闘っている、多くの患者さんたちの心も。こんな不見識な閣僚がいることは、国民にとっても迷惑だ。

 学芸員は博物館法で定められた専門職員で、資料の保管や収集、展示や調査研究などに当たる。仕事の第一義は文化財を守り、後世に伝えること。「観光マインド」も必要だろうが、それは官民総出でやることだろう。

 発言を撤回し、謝罪すれば終わりというパターンが、今回も繰り返されないかと気になる。最近でも福島第1原発事故を巡り、自主避難者の帰還を「本人の責任」とした今村復興相がそうだった。この種の放漫な失言は枚挙にいとまがないが、辞任に至ったケースはまれだ。

 くめども尽きぬ閣僚の問題発言。問題を甘く見てもらったら困る。安倍政権の井戸は人材が枯れ、政治の劣化が進んでいるのではないか。

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鳴潮 4/18

 偏った見方にも程がある。山本幸三地方創生担当相である。おととい地方創生に関するセミナーに出席しこう述べた。外国人観光客らに文化財などの説明、案内が不十分だとして「一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」

 学芸員をやり玉に挙げたが、果たして役割、使命をご存じなのだろうか。博物館法に定められた専門職で資料の保管や展示、調査研究などを行う。文字にすればこれだけの仕事だ、などと思っていないか。

 挙げればきりがないが、例えば冬の林の中で見つかったホタル、ふすまの裏張りとして使っていた逓信大臣名の文書など、小さな生き物や資料から、かつての環境との違い、背後に広がる世界を説いてくれたのは学芸員だ。

 障害者や高齢者、外国人らにも親しみやすい施設を目指す「ユニバーサル・ミュージアム」。徳島県立近代美術館も取り組んでいるが、そこに息づいているのは学芸員の心配りやアイデアである。もちろん、企画展示にも宿っているだろう。

 山本氏は「自分たちだけが分かっていればいい、分からないなら来なくて良いよ、というのが学芸員の連中だ」と批判を重ねたようだが、批判されるべきはさて。

 誰から数えればいいのか、政治家の失言が後を絶たない。問われているのは学芸員の仕事ではなく、大臣自身の資質ではないか。

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北斗星 4/18

NHK総合テレビで土曜夜放送の「ブラタモリ」を見ていて感心するのが、案内役として登場する学芸員の豊かな知識と熱い語り口だ。知っていることを伝えるのがうれしくて仕方ないのだろう。

番組はタモリさんが全国各地をぶらぶら歩いて土地の成り立ちや街の歴史を深く探る。鋭い突っ込みや疑問に答えるのが、博物館や郷土資料館の学芸員たち。大学の研究者が加わることもある。皆さんの深い地元愛に敬服する。

学芸員は博物館法に定められた専門職で、歴史や民俗、芸術、自然科学分野の資料の収集と保管、展示、調査研究を主な仕事とする。その学芸員を「がん」呼ばわりした山本幸三地方創生担当相が発言の撤回と謝罪に追い込まれた。

文化財を積極的に観光に活用すべきだと考える山本大臣にとって、学芸員は頭の固い連中に見えたのだろう。だが文化財を良好な状態で後世に伝える役目を負っている学芸員は、価値を損なわずにどうやって活用するか常に頭を悩ませている。

県内のベテラン学芸員は「持っている物なら見せたらいいだろうと思われがちですが、一点一点を研究によって体系的に位置付けた上で、保存のルールに従って初めて展示できるのです。でなければただの見せ物で終わってしまいます」と話す。

もちろん県内の博物館や美術館は見せるための工夫も凝らしている。頭はかなり柔らかいとみた。話が面白くてテレビ映りがよくて、「ブラタモリ」に出したい学芸員が何人もいる。


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卓上四季 4/18

美術館や博物館で黒っぽい服を着て、部屋の片隅に立っている。時には来場者の質問にも応じてくれる。てっきり学芸員かと思っていたが、そのほとんどは監視員という別な職種だとか。オノユウリさんの漫画「美術館で働くということ」を読むと、学芸員の仕事の一端が分かる。

美術館では企画展を開く責任者となるが、交渉や予算確保も含めると5年かかるのはざら。高齢の作家に出展依頼状を書こうと、毛筆検定1級を取得した人もいる。

文化財保護も同様のようだ。展示品の保存状況を点検する地道な作業がある。どちらかといえば学芸員は文化財を守り、入場者がその価値を理解するのを助ける裏方に見えるのだが。

そんな実態をお分かりの上での発言だろうか。山本地方創生担当相が海外からの観光客誘致に絡め、「一番のがんは文化学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」と述べた。

中、高校時代にブラスバンド部に籍を置き、美術にも精通していると自負する人の言葉と思えない。観光客へのもてなし改善を求めるのなら、施設全体に注文を付けるのが筋だ。がん患者にも失礼だろう。聞いている方からすれば、患ったら社会から一掃される存在になるかのようにも取れる。

それにしても、今村復興相に続く閣僚の言葉の軽さにはあきれる。謝罪し、発言を撤回したところで、果たして本音はどうなのか。

学芸員の一掃

中日春秋 4/18

米デトロイト美術館といえばゴッホの「自画像」やマチスの「窓」など約六万点を所蔵する米国でも屈指の美術館である。最近、日本で行われたデトロイト美術館展をご覧になった方もいるだろう。

大きな危機を乗り越えたことでも知られる。二〇一三年、デトロイト市の財政破綻を受けて、所蔵品の売却が検討された。「ゴッホよりも年金」というのである。

生活か宝か。両方を守る方法を見つけた。大規模な募金によって、年金受給者の救済と美術館の運営に充てる。これに市民や大企業が動き、一年ほどで十億ドル近く集め、所蔵品を守り抜いたという。

あの大臣ならばどうしたであろう。博物館などの学芸員は観光立国にとってのがんであり、一掃しなければならぬと語った山本地方創生相である。批判され、撤回したが、学芸員が芸術品の保管や保護を優先するあまり、観光サービスに熱心でないと、言いたかったらしい。

確かに観光も大切な産業である。とはいえ、観光客の誘致に目がくらみ、文化財をぞんざいに扱えば、元も子もなくなることにはお気づきではない。一度失えば、二度と戻らぬ資源である。模索すべきは保護と観光のほどよき調和であって、学芸員の一掃ではない。

それにしても失言の絶えぬ政権である。「失言、撤回、辞任はせず」博物館でもこしらえる気なのかもしれないが、観光客は集まらぬ。

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ゴッホの"指の跡"がのこる名画

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フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》1887年 

まずは、本展のメイン作品ともいえるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の《自画像》を見ていこう。ゴッホの「自画像」と言えば、耳に包帯が巻かれている痛々しいものを思い浮かべる方も多いだろう。しかし本作品には、それがみられない。むしろ、柔らかい表情のゴッホが淡い色彩の背景・衣服とともに描かれており、穏やかな印象を受ける作品となっている。実はゴッホは、生涯にわたって約40点の自画像を描いており、今回ご紹介している《自画像》は、1887年に描かれたものだ。よく知られた耳に包帯を巻いた自画像は、1889年以降に描かれたものである。

では、1887年ごろは、彼にとってどのようなタイミングであったのかを紐解いていこう。前年の1886年、ゴッホはパリに移住し、弟・テオとの共同生活をスタートし始める。パリはその当時時代の最先端を行っていた印象派の画家たちが盛んに活動していた拠点だった。ゴッホはパリへの移住後、ミーユ・ピサロ、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック、エドガー・ドガらとの交流を深め、影響を受けたとされている。本作は、これら印象派画家たちと親睦を深めた時期に描かれた作品なのである。それをふまえて再度作品を眺めてみると、全体が淡い色彩で描かれており、また印象派の特徴的な技法である「筆触分割」(絵の具を混ぜ合わせずに、あえて筆触を残したまま描く手法)が用いられ、光を意識した作品となっていることがわかる。ゴッホといえば、うねるような筆致と怪しげな色彩を用いて幻想的な風景を描いたと思われがちだが、そのような作品はこういったいわば”王道”の印象派画法を経てから生み出されたものなのだ。「印象派画家」としてのゴッホを目の当たりにすることができる一作といえるだろう。また、本作の青い服の部分にはゴッホが自身の指で直接色を置いた跡も観ることができる。ゴッホの息吹を生々しく感じとることのできるこの点は、ぜひ展覧会にて近くでチェックしていただきたいポイントだ。

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マチスの「窓」

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