2017年04月12日の記事 (1/1)

まじる

三山春秋 4/12

 異なる漢字だが、訓は同じになる異字同訓の使い分けを調べる際、「新聞用字用語集」のお世話になる。例えば「まじる」を見ると、「交」は〈とけ合わないまじり方〉の時、「混」は〈とけ合うまじり方〉の時に使うとある 。

 米国社会を表現した言葉に「メルティングポット(るつぼ)」があった。スープの具材が煮込まれて一つの味を生み出すように、人種や民族がとけ合って米国人になるといった意味で使われた 。

 これに対し、多文化主義の浸透に伴って出てきたのが「サラダボウル」。一つの器の中で、レタスはレタスとして、トマトはトマトとして個性を保ったまま提供されるように、多様性の中で統一した社会を表す 。

 排外主義が見られ、文化間の対立が続く米国を十分に表現しきれていないとの批判はあるようだが、前者は「混」、後者は「交」のイメージだろう 。

 15日に大相撲の春巡業、上州高崎場所がある。筋肉質な「ソップ型」に太った「あんこ型」、四つ相撲に押し相撲など多様な個性のぶつかり合いが期待される 。

 先場所、稀勢の里と優勝を争ったモンゴル出身の照ノ富士が14日目に見せた立ち合いの変化に「帰れ」との声が飛んだ。照ノ富士も負傷していたと聞く。国籍による発言だとしたら悲しい。「交」「混」いずれにしても、それぞれの力士の「違い」を認め、土俵を楽しみたい。

米語

談話室 4/12

日本学士院前院長で国立がん研究センター名誉総長の杉村隆さんが東大医学部を卒業した戦後間もない頃。放射線科の教官の傍ら「米語」の会話学校に通ったが、学期の進級に落第した。特別試験を受けるもまた落第。

患者を抱え、実験の都合もあり、欠席が多かった。落第は1人だけ。「殊の外、恥じ入って退学した」。その後、米国立がん研究所に留学した。だが、米国人同士の会話は「何を話しているかも判(わか)らない」。皆が一斉に笑えば、無理に笑顔を作った(「がん研究と英語」)。

文部科学省は公立中高生の英語教育実施状況調査の結果を公表した。昨年度は、英検で「高校中級」の準2級程度以上は高3生の36.4%で、「中学卒業」の3級程度以上は中3生の36.1%。東京五輪を見据え、本年度50%達成の目標だが、どうやら実現は難しい情勢だ。

留学中に日本人研究者らの講演を聴いて杉村氏は開眼した。米国人は英語の巧拙に因(よ)らず「独創性の高い研究」を熱心に聴く。「英語のレベルはある程度以上なら問題ない」「専門の発がんの研究に精を出した方がいい」。氏の体験談は海外へと雄飛する人材の背中を押す。

公衆トイレ

北斗星 4/12

 国道沿いの公衆トイレに入ったところ、個室のドアのそれぞれに「和風トイレ」「洋風トイレ」のプレートが張ってあった。和風は照明が「あんどん」で、洋風はシャンデリアかな。

などと愚にもつかないツッコミを入れながら、この場合は「和式」「洋式」と書くべきではないのかなあと苦笑した。ところが「世界のしゃがみ方」(ヨコタ村上孝之著、平凡社新書)を読んで、あながち誤りとは言えないことに気付いた。

この本によると、しゃがんで用を足す便器は日本に限らずロシア国内やヨーロッパの農村などでいまも使われている。だから和式は「ユーラシア式」または「しゃがみ式」、洋式は「腰掛け式」と呼ぶのが適切だという。

さらに、日本で腰掛け式が普及したのは団地のトイレスペースを節約するため大小兼用の水洗便器が導入された1960年前後からで、その新奇さが「洋風」に映ったと指摘する。つまり和も洋も形式ではなく、あくまでも○○風というイメージなのだ。

全国の公立小中学校の洋式便器率(昨年4月現在)は43・3%(本県は44%)で、洋式への切り替えは徐々に進んでいる、だが新設校でも、例えば「和式は各階に最低一つ」と一定数を確保している。便器が肌に触れる洋式を嫌う子もいるからだ。

災害時などの仮設トイレはいまだ和式のみの場合があるし、野原で必要に迫られることもあるだろう。洋の東西を問わずサバイバル術として、しゃがみ式に慣れていて無駄はない。




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和式/洋式という二項対立的な呼び方のせいで、西洋のトイレはすべて洋式と日本人は思いがちだ。しかし、ロシア(旧ソ連)各地や東欧圏では和式(しゃがみ式)トイレが主流であり、西欧においても農村などでは同様のトイレが散見される。つまり、和式/洋式という図式で考える見方は誤りなのだ。「和式トイレ」の観察・分析を柱に、世界各地のトイレの背景にある社会的・文化的事情を読む。


第1章 「和式」「洋式」を考察する
第2章 トイレとプライバシー
第3章 目はどこを向いている?
第4章 トイレット・ペーパー談義
第5章 自然と排泄―トイレの言語学
第6章 やんごとなき方々のトイレ

寝台特急

天地人4/12

 上野駅から青森行きに乗る。目的はとくにない。主人公は<ただぼーっとするだけの旅>が好きなのである。そういう旅には<夜行寝台列車が最高の組み合わせ>と力説する。十和田市生まれの作家、川上健一さんの掌編『夜行寝台列車』(『旅ステージ』PHP研究所)である。

 「上野発の夜行列車」として親しまれてきたという。東北では1968(昭和43)年から、「はくつる」などとして活躍した寝台列車「583系」が先週末、引退した。秋田-弘前間のツアー運転が最後となった。

 「はくつる」の車両には、いくつか種類があるらしい。引退するのは、70~72年ごろに製造されたクリーム色と紺色のものという。6年前からJR東日本秋田支社で、臨時特急や団体用として使われてきた。

 寝台特急「はくつる」は、64年から青森と上野をむすんだ。高度成長時代から、ひとびとの夢や希望、哀愁をのせて北の鉄路をひた走った。時代の空気をはこんだ「歴史の証人」でもあった。15年前、別れを惜しむファンに見送られて、青森駅をあとにしたと聞く。寝台特急としてのラストランであった。

 快走する九州「ななつ星」を、東日本「四季島」と、西日本「瑞風(みずかぜ)」が追いかける展開である。JR各社が、寝台列車の豪華さを競う時代に入った。料金を聞くと<ただぼーっとするだけの旅>は、もうできないかもしれない。


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内容説明
いつの日か、またあの旅へ。懐かしさと新しさが静かに薫る掌篇集。
著者紹介
川上健一[カワカミケンイチ]
1949年、青森県生まれ。県立十和田工業高校卒。1977年、『跳べ、ジョー!B・Bの魂が見てるぞ』で第28回小説現代新人賞を受賞し、作家デビュー。2001年、『翼はいつまでも』で「本の雑誌」2001年度ベスト1に選ばれ、翌2002年、第17回坪田譲治文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
なぜ旅に出るのか? そこに何があるのか? 行けばわかる――。その土地で出会う人、風景、懐かしい過去、まだ見ぬ未来を綴る掌編集。

思わず旅に出かけたくなるショートストーリー。

人はなぜ旅に出るのだろう――。

▼恋人と、家族と、友と、そして時にはひとりでふらりと。はじめて訪れた場所に懐かしさを感じることもあるだろう。旅先での人との出会い、ふと耳にした他の旅行者の会話、そこから湧き上がる新たな感情。そうした旅にまつわる様々な人生模様を丁寧に綴った掌篇集。

▼それぞれの物語はどれも短く、いずれも登場人物たちの人生におけるワン・シーンを切り取ったものでしかないかもしれない。しかしながら、彼らからは、彼らの過去・現在・未来が垣間見えてくる。そんな彼らを見ていると、旅が人生に与えてくれるものとは、いったい何なのだろうかと考えずにはおられない。まだ見ぬ自分を求めて、あのときの自分に出会うために、読む者を旅へと誘(いざな)う大人の旅の物語31篇を収める。

●イギリス海岸の歌 
●妻を肩車 
●記念写真 
●三年坂の妻 
●約束温泉 
●手の中のホタル 
●足踏みオルガン 
●マウンテン・バイクの母 
●「天国」横町 
●バックミラー 
●おばぁの海 
●高層ホテル 
●耳をすまして 
●あの人のホテル 
●不思議な旅へ 
●同窓会温泉 
●初恋修学旅行 
●オンボロオートバイを駆って 
●遠距離恋愛 
●在来線に乗り換えて 
●それだけで満足 
●八つの柱のキズ 
●いろは坂のバス 
●囲炉裏旅 
●冬桜 
●朝一番に 
●夜行寝台列車 
●雪を見に 
●青春と道連れ 
●鹿児島へキャッチボール 
●明日への旅路

真央ちゃん

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大弦小弦 4/12


 お疲れさまでした-。銀盤の女王の決断に、誰もが思わず口にしたのではないだろうか。フィギュアスケートの浅田真央さん(26)が競技生活に終止符を打つことを自身のブログで表明した。

 女子選手で初めてトリプルアクセルに成功した伊藤みどりさんに憧れ、幼いころから高みを目指し続けた。愛らしい笑顔と高い技術、演技力は多くのファンを魅了してきた。それだけに引退を惜しむ声も多い。

 「努力の人」だという。練習量も人一倍。自身に厳しく、黙々と練習に励みチャレンジする姿は、他の選手にも影響を与えた。練習をこなすことで自信を支えに試合に臨んだ。

 最愛の母親との別れもあった。氷上で涙を流したソチ冬季五輪フリーの演技は印象深い。その後休養期間を経て、昨季復帰したが、往年の力を取り戻せないまま、今回の引退となった。

 こだわってきた「強み」のジャンプに長年挑戦してこれたのは、達成感だけでなく挫折や葛藤を重ねてきたからこそだろう。悲しみを抱えながらも難技に挑む姿は見るものの心をとらえ、フィギュア界の魅力も広めてくれた。

 「フィギュア人生に悔いはない」。選手を続ける自信と気力を失ったとしながらも、こう言い切れるのはまさに「努力」のゆえんだろう。リンクを下りても、新たな夢に向けた努力をみせてくれるはずだ。

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有明抄 4/12

 ♪何度でも何度でも-。浅田真央選手がスケート靴の紐(ひも)を結びながら、人気グループ「ドリームズ・カム・トゥルー」の曲を口ずさむ。あるテレビコマーシャルが、今も心に焼き付いている。悲願の金メダルへ、ソチ五輪の前に流れていた。

少女時代の映像に重ねながら「何万回、跳んだかわからない」「最後に、最高のジャンプを、この冬に」とテロップ。この冬が現役最後のシーズンになる、そういう予感が確かにあった。銀盤の主役は、間違いなく彼女だった。

ソチ五輪は、こだわり続けたトリプルアクセルで転倒。絶望的な状況を立て直し、翌日のフリーは最高の演技を見せた。滑り終えた瞬間の涙はやりきった充実感と、及ばなかった無念さだったか。そして、世界選手権の金メダル。これで終幕と思われたが、彼女は現役続行を選んだ。

かつてのライバル金妍児(キムヨナ)選手も退いていたし、無理な選択だったのかもしれない。低迷が続き、時に痛々しくも見えた。が、「その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません」。

ドリカムの「何度でも」の歌詞は<悔しくて苦しくて がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ>と続く。何度でも立ち上がる姿に、私たちは声援を送り、そして勇気づけられた。真央ちゃん、ありがとう。

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春秋 4/12

 「ギフト」には「贈り物」だけでなく、「才能」という意味もある。天からの贈り物だから。手元の辞書には、こちらも「才能」と訳される「タレント」と比べ、ギフトは天賦の意味が強く、努力して得られるものではない、と。

天にたっぷり愛された上に、極限の努力を重ねた人だけが世界の頂点に手が届くのだろう。そして、長い間、その高みに立ち続けることの厳しさ、つらさはどれほどか。きのうの本紙運動面を開いて改めて思った。

中央見開きの右側には体操の全日本選手権で個人総合10連覇を果たした長崎県諫早市出身の内村航平選手(28)。左側は引退を表明したフィギュアスケート女子の浅田真央選手(26)

白井健三選手ら若手の台頭著しい体操界。同選手権では、リードされた内村選手が最終種目の鉄棒で逆転した。2位との差はわずか0・050点。王者の意地と底力を見せつけた。年齢の限界に挑む内村選手の活躍は、九州人にとっても誇らしい。

代名詞の3回転半ジャンプ「トリプルアクセル」で、女子フィギュアをけん引した浅田選手。2010年バンクーバー五輪でライバル金妍児(キムヨナ)選手(韓国)との対決は記憶に残る。14年のソチ五輪ではまさかの6位。来年の平昌五輪での復活を待っていたファンも多いだろう。

頑張れ。お疲れさま。贈る言葉は違っても、2人が与えてくれた感動は、私たちにとってもかけがえのないギフトだ。


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鳴潮 4/12


 当然と言えば、当然だろう。関西地区は、お笑いなどバラエティーの高視聴率番組が多い。ところが、名古屋地区は、フィギュアスケートだという。ビデオリサーチがまとめた2015年の「テレビ調査白書」で地域ごとの人気番組の違いが鮮明となった。
 
 それはそうだ、と膝を打った人もおられよう。名古屋といえば、浅田真央選手の出身地。休養を経て復帰した、その姿を応援する視聴者が多かったに違いない。
 
 小学校5年で全種類の3回転が、6年でトリプルアクセル(3回転半)が跳べるようになった。ジャンプの天才である。
 
 名古屋の枠を超え、全国的に脚光を浴びたのは、15歳で初出場した05年のグランプリファイナル優勝からだった。以来、共に悔し涙を浮かべ、共にうれし涙を流す、そんなファンが増えていく。
 
 筆者がその一人となったのは14年2月のソチ五輪。ショートプログラムで16位と大きく出遅れながらも、フリーで圧巻の演技を見せた。限界を超える、超えた表情が感動を呼んだ。メダルに届かなかったが、見守っていた観衆も視聴者も、メダリストへと変わらない、惜しみない拍手を送っていた。
 
 おととい夜、国民的ヒロインが「フィギュアスケート選手として終える決断」をした。これまでの足跡、これからの人生に贈られるのは、たくさんの見えない花束である。

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滴一滴 4/12

 開催国の選手ということを割り引いても、声援と演技後にリンクへ投げ入れられる花束の多さが圧倒的だった。ジャンプの迫力が群を抜いていた記憶がある。2008年、東京都内のフィギュアスケートの国際大会で浅田真央選手の滑りを見た。

声援の大半は「浅田選手」ではなく「真央ちゃん」。ちゃん付けがこれほど似合う人もいない。天真らんまんな少女がひたむきに努力して才能を発揮する。その成長を多くのファンが娘や孫、妹のように見守ってきた。

3回転半ジャンプを跳び、15歳で国際大会に初優勝。以来、世界の第一線で戦ってきた。おととい、ブログで現役引退を表明した。

10年のバンクーバー五輪は金〓児(キムヨナ)選手に敗れて銀メダルに終わった。雪辱を期した4年後のソチではショートプログラムでよもやの失敗。翌日のフリーで自己最高得点の圧巻の滑りを見せた。メダルには届かなかったが「バンクーバーのリベンジはできた」と語った。

理想の演技の反動もあったのだろう。ソチ後、引退か現役続行かで揺れた。休養して戻った現役生活では、かつての強さが戻らなかった。ブログには「自分の望む演技や結果を出せずに悩むことが多くなりました」と心境をつづる。

きょうは引退会見がある。まだ26歳。人生の新たな目標を見つけてほしい。門出に語る言葉を見守りたい。

〓は女ヘンに研の旧字体のツクリ

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時鐘 4/12

 引退(いんたい)を表明(ひょうめい)した浅(あさ)田(だ)真央選手(まおせんしゅ)の人気(にんき)について、ぼんやり考(かんが)えた。五輪(ごりん)の頂点(ちょうてん)に立(た)ってはいない。銀(ぎん)メダリストは、ほかにも大勢(おおぜい)いるのに、大変(たいへん)な騒(さわ)ぎである。

記録(きろく)よりも記憶(きおく)に残(のこ)る。真央ちゃんもあの長嶋茂雄(ながしましげお)さんの仲(なか)間(ま)か。メダルの色(いろ)や記録とは別(べつ)の「人気」という物差(ものさ)しが、確(たし)かにある。生(う)み出(だ)すのは笑(え)顔(がお)か涙(なみだ)か、理屈(りくつ)では解(と)き明(あ)かせぬ何(なに)かなのか。

「あの子(こ)は大事(だいじ)なときには必(かなら)ず転(ころ)ぶ」。そう口(くち)にしたスポーツ界(かい)の大物(おおもの)の放言(ほうげん)が、まだ記憶に残る。列島(れっとう)を敵(てき)に回(まわ)し、「孫(まご)からも怒(おこ)られている」という弁(べん)明(めい)で幕(まく)。愛(あい)する身内(みうち)をかばうような大合唱(だいがっしょう)が起(お)きて、真央ちゃん人気をあらためて見せつけた。

国内(こくない)10連覇(れんぱ)を遂(と)げた体操(たいそう)の内村航平(うちむらこうへい)選手の談話(だんわ)が載(の)っていた。「地獄(じごく)ですよね。また勝(か)ってしまった」。絶(ぜつ)大(だい)な人気は、今(いま)どきの若者(わかもの)にも肩(かた)にめり込(こ)む重荷(おもに)を強(し)いる。浅田選手も同様(どうよう)だったに違(ちが)いない。

26歳(さい)。窮屈(きゅうくつ)な「真央ちゃん」の衣(い)装(しょう)から、ようやく「真央さん」になる。どんな言葉(ことば)でねぎらおう。頼(たの)まれもしないのに、そんな心配(しんぱい)までしたくなる。不思議(ふしぎ)な人気を放(はな)つ不思議なお嬢(じょう)さんである。

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正平調 4/12


わが子を浅田真央さんのような選手にしたい。フィギュアスケーターの鈴木明子さんがよく受ける相談という。「週に何回ほど練習させたら…?」。

愛くるしい笑顔からは想像もできない、血を吐くような努力を知るからだろう。鈴木さんは決まって答えた。「申し訳ありませんが、真央さんにはなれません」。週何回、くらいでは足元にもたどり着けないと。

15歳でグランプリファイナル優勝。バンクーバー五輪の銀。ソチ五輪で見せた圧巻のフリー演技…。テレビの前でのもらい泣きは数知れない。幾多の感動の記憶をリンクに刻み、真央さんが現役引退を表明した。

選手として続ける気力がなくなった。それが理由という。しばらく拠点のリンクに現れなかったそうだ。心を決めていたかもしれないし、悩んだ末の結論かもしれない。

天才少女と呼ばれ、純粋にオリンピック出場という夢を追いかけていた日は遠くなった。思いがけないせりふをスポーツ誌で読んで、切なくなったことがある。「本当はもっとゆっくり大人になりたいんだよ」。

かつて本紙但馬版に載った一首。〈一本の道貫き通して浅田真央のトリプルアクセル輝きてをり〉西緑。競技人生を貫いた、あの3回転半ジャンプの残像がまぶたに焼き付いて離れない。

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大自在 4/12

 フィギュアスケートのジャンプの中でも最も難易度が高いといわれるアクセル。19世紀末に考案したノルウェー選手の名前を冠したこの技は前向き滑走から踏み切って跳び、後ろ向きで着氷する。空中で1回転半がシングル。3回転半のトリプルまでこなす選手は限られる。

 女子選手で初めてトリプルアクセルを成功させた伊藤みどりさんに憧れ、その大技を体得して世界で戦ってきた浅田真央選手(26)がおととい、自身のブログで引退を発表した。これまで現役続行の意向を示していただけに「電撃」と報じたメディアもあった。

 しかし、昨年12月の全日本選手権の時点で、現役生活の終着点と定めた平昌[ピョンチャン]冬季五輪は消え去っていたようだ。左膝を痛めた今季、ジャンプがうまく跳べずに苦しんだ。「もうやるしかない」とトリプルアクセルなしで臨んだが、自己最低の12位に沈んだ。

 トリプルアクセルは浅田選手の代名詞であり常に「特別なもの」だった。2010年バンクーバー五輪ではフリー演技で2度決めて銀メダル。14年ソチ五輪はフリー冒頭で跳び、完璧に回りきった。ショートプログラム16位からの10人抜きは国民に大きな感動を与えた。

 「真央は周りの評価がどうのこうのじゃないの。自分の滑りに心から満足できるかどうか。それは、いつまでも変わらない」。11年に死去した母、匡子さんはそう娘を評していた。

 復活は果たせなかったけれど、数々の名勝負はファンの目に焼き付いている。悩みながらも大技にこだわり抜いた末、リンクを去る決断もまた浅田選手らしい。

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斜面 4/12

宇多田ヒカルさんのヒット曲「花束を君に」は、亡き母藤圭子さんへの思いが詰まっている。2011年から音楽活動を休止、その間に母の死、再婚、長男の出産を経験した。昨年、この曲を収めたアルバムを発表して活動を再開した。

〈一人で歩いたつもりの道でも/始まりはあなただった〉。「道」という曲の一節だ。失って初めて自分を支えてくれた大切な存在だったと知る。いとおしさや感謝は次のステージへの力になるのだろう。浅田真央さんも6年前、母匡子(きょうこ)さんを亡くした。

容態急変の知らせを受け遠征先のカナダから帰国したが間に合わなかった。2週間後、全日本選手権に出場して優勝した。「母は一番近くにいるような気がした」。記者会見でそう答え、目を潤ませた。5歳でスケートを始めた娘を匡子さんはいつもリンクサイドから支えていた。

2014年のソチ五輪。ショートプログラムの失敗から立ち直り、フリーを完璧な演技で終えた。ラフマニノフのピアノ協奏曲に乗った情感あふれる舞いは圧巻だった。直後の世界選手権で優勝している。匡子さんとの約束は十分果たしたのではないか。

10日、練習拠点のスケートセンターを訪れ、佐藤信夫コーチに「終わりにしたい」と切り出したという。昨年末の全日本は12位。トリプルアクセルを跳び続けた膝は悲鳴を上げ、気力もなくしていた。この10年、たくさんの夢をもらった。感謝の花束を贈りたい。真央ちゃん、お疲れさま。


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風土計 4/12

 旅先で見掛けた少年野球チームはそろいのTシャツ。その背中に記された言葉がしゃれている。「努力は必ず報われるとは限らない。しかし努力せずに成功することはない」という趣旨だった。

原典はベートーベンの言と伝わる人生訓らしい。努力を惜しんでいるくせに望んでばかりの人生を省みる。たとえ報われなくても、精いっぱいの努力がもたらす達成感はあるだろう。行いを棚に上げ、そんなふうにも考えた。

浅田真央という存在には努力の二文字がよく似合う。報われた瞬間も、そうでない時も、全てひっくるめて「悔いはありません」としたのは、だてではあるまい。それを裏付けるような出来事がソチ五輪のシーズンにあった。

一方の主役は森喜朗・元首相だ。浅田さんが前半ショートプログラムで16位と出遅れたのを受け「大事なときに必ず転ぶ」と発言。批判の嵐に、さすがの重鎮も「娘からも孫からも怒られている」と首をすくめたあの一件だ。

後半フリーを完璧にこなして6位まで順位を上げた後、浅田さんは会見で「森さんは少し後悔しているのでは」と言ってのけた。自分の努力を疑わないからこその強さに違いない。

そのシーズン後、1年の休養を経て復帰後の「報われない」結末にも納得はあるだろう。決して華やかな引退劇とは言えまいが、それも浅田さんらしい。

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河北春秋 4/12

 首に重荷を掛けられた人が手を広げてすっくと立っているように見える。「央」という漢字。国語辞典を引くと、何とも含みが多い。真ん中はもちろん、「尽きる」とか「やむ」「終わる」の意味を持つ。

それだけではない。『大字源』によれば、字形の首かせは外すに外せないことから「久しい」「遠い」「願い求める」の意も。広場の中心に躍り出た人の歩んだ山坂と費やした歳月が思い浮かぶ。

フィギュアスケート女子の2010年バンクーバー冬季五輪銀メダリスト、浅田真央選手(26)=中京大=が自身のブログで電撃引退を発表した。6位だった14年ソチ五輪のシーズン後に休養。1年後の昨季復帰したものの、往年の輝きを取り戻せず18年平昌五輪への出場はかなわなかった。

この人にとって首かせはきっと、届かぬ金メダルだったかもしれない。国民も期待という重圧をかけてしまわなかったか。とはいえ、浅田選手は東日本大震災後たびたび被災地を訪れ、「逆に元気をもらえた」と新たな刺激によって復活を目指していたのだが…。

長きにわたり世界を相手に戦い続け、日本中に何度も紙吹雪を舞わせた「銀盤のヒロイン」。東北は今、桜前線が北上している。昨日の雨のせいだけではあるまい。花が散り、つぼみも身を固くしている。


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卓上四季 4/12

「住する所なきを、まず花と知るべし」。室町時代の能役者、世阿弥の「風姿花伝」にある一節だ。同じ場所に立ち止まらず、変化し続けることが芸の本質という意味である。

氷上を舞うフィギュアスケート選手も、常に審査員や観客の厳しい目にさらされる。技を磨かなければ感動させられない。現役引退を決めた浅田真央さんは、まさに銀盤の花だった。才能に加え、努力という養分を自らに惜しみなく与えた。

得意のトリプルアクセル。19世紀、その原形を跳んだノルウェーのアクセル・パウルゼンの名を取った技だ。六つあるジャンプで唯一、前に向かって跳ばなければならない。選手はフェンスに突っ込むような恐怖を味わうそうだ。真央さんはそんな大技に挑戦し続けた。

バンクーバー五輪で銀メダルを取ったものの、必ずしも勝ち運に恵まれたとは言えない。グランプリファイナルを初めて制した15歳のとき、年齢制限で五輪に出場できなかった。

支えてくれた母親の若すぎる死、繰り返す腰痛…。人前では持ち前の笑顔を忘れなかったが、胸中は果たしてどうだったか。

世阿弥の言葉に「衆人愛敬(あいぎょう)」がある。どんなに上手でも大衆に愛されなければ意味がない。真央さんの演技がどれほど多くの人を励まし、フィギュアの魅力を広げたことだろう。まいた種はこれからも育つ。活躍の場が変わっても、大輪の花を咲かせ続けてほしい。

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大弦小弦 4/12

 お疲れさまでした-。銀盤の女王の決断に、誰もが思わず口にしたのではないだろうか。フィギュアスケートの浅田真央さん(26)が競技生活に終止符を打つことを自身のブログで表明した。

 女子選手で初めてトリプルアクセルに成功した伊藤みどりさんに憧れ、幼いころから高みを目指し続けた。愛らしい笑顔と高い技術、演技力は多くのファンを魅了してきた。それだけに引退を惜しむ声も多い。

 「努力の人」だという。練習量も人一倍。自身に厳しく、黙々と練習に励みチャレンジする姿は、他の選手にも影響を与えた。練習をこなすことで自信を支えに試合に臨んだ。

 最愛の母親との別れもあった。氷上で涙を流したソチ冬季五輪フリーの演技は印象深い。その後休養期間を経て、昨季復帰したが、往年の力を取り戻せないまま、今回の引退となった。

 こだわってきた「強み」のジャンプに長年挑戦してこれたのは、達成感だけでなく挫折や葛藤を重ねてきたからこそだろう。悲しみを抱えながらも難技に挑む姿は見るものの心をとらえ、フィギュア界の魅力も広めてくれた。

 「フィギュア人生に悔いはない」。選手を続ける自信と気力を失ったとしながらも、こう言い切れるのはまさに「努力」のゆえんだろう。リンクを下りても、新たな夢に向けた努力をみせてくれるはずだ。

イルカ

 きらきらと光る巨体が水面を突き破り、青い空に高く舞う。ザッバーンという着水音。スタンドまで水しぶきが飛ぶ。悲鳴や歓声が明るい。
 イルカショーは水族館の人気イベントだ。だが、それは水族館に不可欠なものだろうか。
 日本動物園水族館協会には主要な動物園・水族館のほとんどが加盟する。略称「日動水」、またはJAZA(ジャザ)。ZはZOO(動物園)、最後のAはAQUARIUM(水族館)の頭文字だ。
 最近、このJAZAから4水族館が脱退した。4館のうち複数の館が脱退理由として、和歌山県太地町のイルカ追い込み漁で捕獲したイルカの購入を、JAZAが禁じたことを挙げている。
 JAZAが禁止措置をとったのは、世界動物園水族館協会(WAZA)から追い込み漁によるイルカの入手を問題視されたからだ。WAZAはJAZAの会員資格を停止してまで改善を求め、JAZAがこれに応じて禁止を決めたという経緯がある。
 4館の脱退によって、JAZAは組織的な危機を迎えたようにみえる。イルカ追い込み漁を巡って、加盟水族館とWAZAの板挟みとなり、WAZA残留を選んだ結果、加盟館の離脱を招いた。くしの歯が欠けるように、これからも脱退が続くかもしれない。追い込まれたのはイルカではなく、実はJAZAだったのか。
 他にとるべき道はなかったのか。WAZAを脱退して自国の伝統と文化(イルカの追い込み漁)を守り、いわば「光栄ある孤立」を選ぶことはできなかったのか。あるいは、WAZAに日本の伝統文化をよく説明して、理解を得る努力は尽くしたのか。そんな声もあるが、いずれもことの本質を捉えていないように思う。
 ▽ボーンフリー
 私はこの9年間、動物園や水族館の取材を続けている。詳しい事情は省くが、生きもの好きでも動物園・水族館のファンでもなかったから、取材は手探りで始まった。その最初のころ、東京・多摩動物公園の昆虫館を訪れた。
 扉を開けた瞬間、むっとする熱気に包まれ、目の前を大型のチョウが横切った。色とりどりのチョウたちは、熱帯の植物の間を自由に飛びまわっている。別世界だった。
 ベテランの飼育係に取材した。飼育にまつわる苦労や工夫を聞いた後、「楽園のようなところで暮らせて、チョウたちは幸せなんでしょうね」と問うと、予想外のボールが返ってきた。
 「そういう擬人的なのはいけないんじゃないの。僕は擬人化は嫌いだね」
 どういう意味だろう。でも、この人は意地悪で言っているわけではないようだ。そこで「そうですか、擬人化はいけませんか」と緩いボールを返して、説明してくれるのを待った。たばこに火を付け、ちょっと間を置いてから彼が口を開いた。
 「外敵がいなくて毎日えさもらえて幸福ですね、って言われても、どっちが幸福だか分かんないでしょ。自然界で自由に飛びまわっているのと」
 動物園の取材を始めるに当たって、私は関係の本を何冊か買い込み、斜め読みしていた。その中に書いてあったことを思い出し、もう一度、食い下がった。
 「動物園のゾウは不幸なのかと問われると、外敵がいなくて食べ物の心配もないんだから野生よりいいんだ、長生きもするんだと答える人もいますよね」
 「そう。だけど、外敵なんかにおびえながら、それでもたくましく野生で生きるのが、やっぱり野生動物なわけでしょ。こういうことを言うと動物園を否定するみたいになるけれど、本来こんなもの、ない方がいいわけですよ。生物というのはボーンフリーだと思う」
 そして彼は「野生のエルザ」の話を持ち出した。人間の手で育てられたライオンを野生にかえす物語の原題は「ボーンフリー」。生まれながらにして自由とでも訳すのか。「本当はおりに入れて飼うべきじゃない。長く勤めてきてやっぱりそういうジレンマがありますよ」。率直な述懐だった。
 「そういう意味で、擬人化して『チョウも幸せだろう』というのは駄目なわけですね」。彼はうなずいた。「動物はボーンフリー。擬人化すれば、どうしても人間の視点になってしまう」
 ▽擬人化の徹底
 「擬人化」とは何か。確かに不徹底な形で生きものに適用すれば、動物園や水族館にいる方が幸せだということになりかねない。だが、もっと徹底して擬人化したらどうだろう。
 WEB記事を検索すると、JAZAを脱退した4水族館のうちのある館長は、インタビューで「自分を魚にたとえたら?」と問われ「イルカ」と答えていた。もし自分がイルカだとしたら―。擬人化をそこまで徹底すれば、事態はもっとはっきり見えてくるのではないか。
 私はイルカだ。広い広い海を仲間とともに泳ぐ。病気や天敵、自然条件のリスクはあっても、どこまでも自由だ。ある日、私は人間に生け捕りにされた。プールに運ばれ、えさを与えられ、ショーの訓練を受ける。うまくやれば、より多く与えられる。きょうも狭いプールで高く飛ぶ。あの自由な海であり得なかったほど高く。毎日、朝から夕方まで何度も―。
 ショーで能力の限界までジャンプさせることに対して、専門家からは健康上の問題を指摘する声もある。イルカの背中には空気孔があるが、それが閉まり切らないで水に降りる危険があり、そうすると海水を吸って誤嚥性(ごえんせい)肺炎を起こすこともあるという。
 今回の脱退騒動のきっかけは、イルカの追い込み漁だった。だが、究極の問題はそこにはない。イルカという種だけに限定される問題でもない。人間はなぜ生きものを野生から捕まえてきて、飼うことができるのか。見せ物にすることができるのか。
 危機はJAZAに迫っているのでない。動物園や水族館そのものの根拠が問われているのだ。 

ありがとう 真央

中日春秋 4/12

二十世紀前半に活躍したピアノの名手アルトゥール・シュナーベルは、自らの音楽をこう評したという。

「私の出す音は、他のピアニストと比べ特に素晴らしいわけではない。だが、音と音とのあいだの間(ま)-その間にこそ、私の芸術は宿るのだ。」

この人のスケートの神髄もまた、「間」にあったのではないか。しなやかな動きが生む、空間がふわっと広がるような「間」。すぐれた音楽を聴き終わった瞬間に感じるのと同種の余韻を持つ終演後の「間」。浅田真央さんは、そんな独特の「間」を持つ選手だった。

とりわけ忘れられぬのは、ソチ五輪での「間」である。ショートプログラムで十六位と沈み、臨んだフリー。渾身(こんしん)の演技が終わった後の十五秒間、あふれる思いを噛(か)みしめるような「間」をとった後、笑顔を見せた。あれは、どんなメダルの色にも負けない美しさを湛(たた)えた静寂の時だった。

成長の軌跡を描いた『浅田真央 さらなる高みへ』(吉田順著)によると、彼女は試合中にトリプルアクセルがうまく跳べた時、「誰かが持ち上げてくれた」という不思議な感覚を覚えたことがあったという。そんな時は「見えない力」に感謝して、心の中で「ありがとう」と言ったそうだ。

その演技と笑顔には、見る者の心を持ち上げてくれる不思議な力があった。引退の報に接した今、言えるのは「ありがとう」のひと言だ。 

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目次

・序
・第1章 笑顔の誕生
・第2章 天才少女
・第3章 世界へ
・第4章 真央フィーバー
・第5章 アイスキャッスル
・第6章 世界女王
・第7章 耐えるシーズン
・第8章 スランプ
・第9章 復活への道
・第10章 夢舞台
・エピローグ さらなる高みへ
・あとがき
・「氷上の軌跡」 


苦難を糧にした成長の軌跡

 天才というだけならほかにもいる。しかし浅田真央には「この子、大丈夫か?」と思うくらい、何か途方もなく純粋なもの、一途なものを感じて、どうにも目が離せなかった。
 誕生から昨年末の全日本選手権まで、究極のフィギュアスケーターを目指して彼女が歩んできた道を当人や家族、コーチらへのインタビューを基にたどる。
 驚いた。まるで『ガラスの仮面』の北島マヤだ。世界ジュニア選手権に初出場で初優勝した天才少女は快進撃を続ける。だが幾多の災難が降りかかる。スケート靴の紛失、外国人コーチの離反、得意技を封じ込むかのごとき採点ルールの変更、足首のけが。

 だが彼女はいじけないし、あきらめない。「成功しても失敗しても、すべて自分で引き受ける。言い訳は絶対しない」。問題は周りではない。ただ自分で納得のいく演技ができるかどうかだ。それゆえに彼女が味わった喜怒哀楽や、苦難を糧に成長する姿を本書はまっすぐに追いかける。
 バンクーバー五輪で暗い、重いと不評だったフリープログラム曲「鐘」を選んだのは浅田自身だった。帝政ロシア崩壊時の民衆の怒りと嘆きが込められた曲に、彼女は自分に必要な「人間の力強さ」を見いだした。
 それから続く長いスランプと、五輪で流した涙を私たちは知っている。氷上で何度転んでも、立ち上がっては全力で滑る姿も。
 3月、東京で予定された世界選手権は震災のため延期された。力強い復活の姿を見ることができるのは、もう少し先だ。