2017年04月11日の記事 (1/2)

何度目のハタチ

滴一滴 4/11

手元に手作りの文集が届いた。「1年間の学びをおえて…」と表紙にある。岡山市の岡輝中、岡南小、清輝小で行われている「シニアスクール」の修了生が感想をつづったものだ。

週1~3日、地元の小中学校の空き教室で高齢者が英語や数学などを勉強している。給食を食べ、児童生徒らと学校行事で交流もする。「この年になって学ぶことの楽しさを実感している」「子どもたちに若さのパワーをもらった」。文章の随所に感じられるのは、学びたいという意欲、そして孫のような「小さな級友」たちとの出会いの喜びである。

シニアスクールは2003年に岡輝中でスタートし、小学校でも始まった。生徒はおよそ50人。同様の取り組みは岡山県鏡野町などでも行われているという。

いま、高齢者向けの生涯学習講座が花盛りだ。超高齢社会は医療や介護など心配も尽きないが、一方で長寿という恵みももたらす。たどり着いた晩年をどう生きるか。生きがい探しの人も中にはいよう。

精神科医の保坂隆さんは著書「老いを愉(たの)しむ習慣術」(朝日新書)で、年齢を「何度目のハタチ」と数えるよう勧めている。60歳なら3度目のハタチ、80歳は4度目…。そう思えば次の20年へ新たなスタートが切れるという。

フレッシュな入学式たけなわである。人生の実りの秋を楽しむ入学式もあっていい。 


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「もう今さら」「めんどくさい」と心が後ろ向きに諦めてしまったとき、老いが一気に進みます。逆に言えば、老いを軽やかに受け入れる習慣が身につけば、いつまでも人生を愉しむことができるのです。(1)「老いをポジティブにとらえる、心の習慣術」、(2)「脳を元気にする習慣術」、(3)「心にハリを与える、人間関係の習慣術」、(4)「体とうまくつき合うための習慣術」、(5)「心を円熟させていく習慣術」の五つにわけて、精神科医の著者が日々の生活で実践できる「ちょっとした習慣術」を伝授。「しなやかな心」を身につけて、老いを愉しみましょう。

北風の中

東京書籍 5年


北風の中  木村信子

北風の中ぼくは駆けていく
北風の中ぼくはまたころぶ

北風ごうごう吼えている
北風もやっぱりさがしている

北風の中ぼくは夢を割る
北風の中ぼくの少年期

北風北風もっと吹け
ぼくももっと高く跳ぶ

風のあと

東京書籍 5年


風のあと  北原白秋


 ゆうひはなやかに、
 こほろぎなく。
 あはれ ひとひ、
 このはちらしふきすさみたる
 かぜもおちて。
 ゆうひはなやかに、
 こほろぎなく

水のこころ

東京書籍 5年


水のこころ  
                   高田敏子

            水は つかめません
            水は すくうのです
            指をぴったりつけて
            そおっと 大切に──

            水は つかめません
            水は つつむのです
            二つの手の中に
            そおっと 大切に──

            水のこころ も
            人のこころ も

紙風船

東京書籍 5年


紙風船

落ちてきたら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも

打ち上げよう

美しい

願いごとのように

西瓜の詩

東京書籍 5年


西瓜の詩  山村暮鳥


農家のまひるは
ひつそりと
西瓜のるすばんだ
大でつかい奴がごろんと一つ
座敷のまんなかにころがつてゐる
おい、泥棒がへえるぞ
わたしが西瓜だつたら
どうして噴出さずにゐられたらう


おなじく

座敷のまんなかに
西瓜が一つ
畑のつもりで
ころがつてる

びんばふだといふか


おなじく

かうして一しよに
裸體まるはだかでごろごろ
ねころがつたりしてゐると
おまへもまた
家族のひとりだ
西瓜よ
なんとか言つたらよかんべ


おなじく

どうも不思議で
たまらない
叩かれると
西瓜め
ぽこぽこといふ


おなじく

みんな
あつまれ
あつまれ
西瓜をまんなかにして
そのまはりに

さあ、合掌しろ


おなじく

みんな
あつまれ
あつまれ
そしてぐるりと
輪を描かけ
いま
眞二つになる西瓜だ

五月

東京書籍 5年

           五月
               室生犀星


       悲しめるもののために
       みどりかがやく
       くるしみ生きむとするもののために
       ああ みどりは輝く



         

ぼくらのもの

東京書籍 5年


ぼくらのもの  与田凖一


大きくなったら
なにになるんだ、
そう聞かれたが
まだわからない。
波がさわぐ
波止場に立って、
どこへだって
自由に船出できる朝の
海にあふれるきらめき。
そうなんだ、
わかってる、
それだけはぼくらのもの
ぼくらのものだ

真犯人は誰か

中日春秋 4/11

英語のレッドヘリングとはもともと「ニシンの薫製」のことだが、推理小説の専門用語としても使われる。なんのことか推理、願いたい。

真犯人は誰か。作家としては読者にあっさり見破られるわけにはいかない。そこで真犯人とは別の怪しい人物を登場させ、読者の目をそらす。この手法がレッドヘリングである。ニシンの薫製は匂いがきつく、猟犬の鼻をごまかすことに由来するそうだ。

犯人に思える人物は犯人ではなく、犯人とは思えぬ人物が犯人。ミステリーの女王アガサ・クリスティの作品にはこの手のレッドヘリングがよく使われる。

被疑者とは思えぬ人物といえば、被害者の血を分け、生活をともにする親族や、配偶者をまず除外したいところだが、現実は残念ながらそうではない。殺人事件の半数が被疑者と被害者の関係が親族である。もはや親、子は「犯人とは思えぬ人物」とは言い切れぬ時代かもしれぬ。

警察庁のまとめによると二〇一四年に全国の警察が摘発した親族間の殺人事件や傷害致死事件などのうち、「父母」が被害者となったのは約三割。子が介護に疲れてというケースを想像する。

「将来を悲観」。最も多い動機という。特別養護老人ホームへの入居の困難さなど介護をめぐる状況は厳しい。悲劇の背景の一つでもあろう。鼻をごまかされず、社会の不備という「真犯人」を捕まえなければならぬ。

手紙

東京書籍 4年

手紙  武鹿悦子