2017年04月06日の記事 (1/4)

私は不思議でたまらない

小社会  4/6

 〈私は不思議でたまらない、/黒い雲からふる雨が、/銀にひかっていることが。(略)私は不思議でたまらない、/誰にきいても笑ってて、/あたりまえだ、ということが。〉。童謡詩人の金子みすゞの「不思議」の一節だ。

 みすゞの作品を発掘し、世に出した童謡詩人の矢崎節夫さんが書いている。「子どもは不思議がりの天才です。『なぜ?』『どうして?』と不思議がり、考えることで、心がゆたかになるのです」(「さみしい王女」)。質問攻めに遭う親はつらいけれど。

 新聞記者が取材を始める際にも、「なぜ」「どうして」が動機になることが少なくない。目に見えるものはむろん、まだはっきりとは見えていないものでも、気掛かりな動きなどがあれば、読者や県民に知らせる。大切な役割だろう。

 権力者が情報を隠したり、意に沿わない報道に圧力を加えたりするような時代にあっては、なおのことだ。疑問を感じず、あらがうこともないままに流されていけば、後戻りのできない地点に立たされかねない。
 
 きょう6日は「新聞をヨム日」。春の新聞週間も始まった。新聞の役割を再認識してもらうとともに、読者とのつながりをより深めようという狙いだ。私たちにとっては報道が果たすべき使命と責任を自省し、自戒する機会でもある。

 「当たり前だ」と思った瞬間に、思考は停止しかねない。読者とともに「なぜ」を持ち続けたい

…………………………



 不思議

わたしは不思議でたまらない
黒い雲から降る雨が
銀に光っていることが

わたしは不思議でたまらない
青いクワの葉食べている
蚕が白くなることが

わたしは不思議でたまらない
たれもいじらぬ夕顔が
一人でパラリと開くのが

わたしは不思議でたまらない
たれに聞いても笑ってて
あたりまえだということが

HAPPY NEWS!

水や空 4/6

 新聞に載っている記事が全部ニュースだとは思わない-何年も前の報道部時代の送別会、異動で取材現場を離れる一人が言った。「読んだ人を、怒らせるか、笑わせるか、びっくりさせるか、泣かせるか。それが『ニュース』で、残りはただのお知らせ」。だからみんな、もっとニュースを書こうよ。

今も時折思い返すこの説によるならば「ニュース」には読み手の反応が欠かせない。4月6日は「4・6」の語呂合わせで「新聞をヨム日」。

きょうはうれしいニュースが一つ。昨年秋の新聞週間に合わせて本社報道部の古瀬小百合記者が書いた記事への感想が日本新聞協会の「HAPPY NEWS」に選ばれた。

〈理想と現実の間で力のなさを嘆き、日常に忙殺されて理想を忘れたり...そんな中でもチャンスはやってくるのだ!〉と熱いコメントを添えて応募してくださったのは長崎市の学校図書館司書、小林香さん。詳しくは21面で。

2年目のスタートに大きなプレゼントをもらった古瀬記者。「言葉の重さと責任の重さを改めて感じてます」と神妙な表情で喜びを語ってくれた。

ところで冒頭の「怒・笑・驚・泣」。順番を本人に確かめようとしたら、ご発言そのものを忘れていた。俺、何か言ったっけ。え、酒の勢いが言わせた名言? 感動していたのに。


大弦小弦 4/6

〈鏡は己惚(うぬぼれ)の醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である〉。夏目漱石の名作「吾輩は猫である」で、鏡に見入る主人の姿に猫がつぶやくセリフである。

最近、同じセリフが口をつきそうになる。相手は、内閣支持率という「鏡」の前でいまだ余裕の安倍政権である。森友学園問題の影響で下落気味ながら、3月下旬の世論調査の数字も52%と5割台を維持している。

安倍政権は発足以来、安定した「鏡」をうぬぼれの醸造器としてきた。安倍晋三首相らが野党の質問に真剣に向き合わず、時折小ばかにした国会での対応に色濃くにじむ。

森友学園問題で国民が求める疑惑解明の核心は、国有地を格安で払い下げた財務省などの意図や政治家の関与の有無である。だがそこには目をつぶり、学園理事長だけを「悪者」にして幕引きを図る政府与党のシナリオも見えてきた。

また、今村雅弘復興相が4日の会見で、原発事故に伴う福島県内の自主避難者を「本人の責任」と切り捨て、政府の責任を追及した記者に「うるさい」と怒鳴った。発言の根っこにあるのは政権内に広がる慢心だろう。

ギリシャ神話に登場する美少年ナルシスは、水面に映る自らの姿に恋し、やつれ衰え、絶命する。鏡の前で浮かれ、国民の声を慢心の「消毒器」にできなければ、待っているのは神話と同じ末路である。

学校と時計

有明抄 4/6

 陽気で桜の開花も進む。きょうは小中学校で始業式がある。一つずつ学年が上がるにつれ環境も変わることだろう。入園、入学式を控えた子どもたちもいて、心弾む春だ。すぐ給食が始まり、勉強に部活にと気ぜわしい日常がスタートする。

今でこそチャイムの音とともに、きちんと運営される学校だが、明治の中ごろまでの小学校規則や学校管理法書には、校時の区切りを拍子木で打ち鳴らす「撃柝(げきたく)」や、太鼓を使った「鼓報」で知らせると書いてある(佐藤秀夫著『学校ことはじめ事典』)。

戦前から戦後すぐの瀬戸内海の島の分教場を舞台にした映画「二十四の瞳」でも、校時を鐘で知らせる情景が描かれている。学校に時計が普及していない時代は、時限が細かく分かれていなかったようだ。

日ざしや、時には先生の「腹時計」で大体の区切りをつける。ちょっと笑えるような、おおらかな時代だったのである。義務教育の普及で学校の規模が大きくなり、先生の数も増え、管理運営の画一化の傾向は時計の備え付けを必要とした。

時計の普及が学校に幸せを運んだかは分からないが、子どもたちは時間を守ることの大切さを学ぶ。社会全体の流れが速い時代だ。時間に追われながらも、しばらく足を止める時もあっていい。いつもいつも走っていては、見えない風景もあるのだから。

…………………………
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内容説明
なぜ4月新学期なのか。なぜ教室は20坪なのか。なぜ女生徒はセーラー服を着るのか。…従来ごく当り前と考えられてきた慣行や事柄の「成り立ち」を追求することで、かくれた問題を掘りおこし、広く日本の教育をとらえ直す。
目次
1 学校の始まり(学校と塾;公立学校;校門と塀;4月学年始期;夏休み;学校と時計 ほか)
2 授業の成り立ち(知育偏重論;教科と教科目;修身;万国史 ほか)
3 先生と子ども(生徒;就学義務;身体検査;掃除;学生服;セーラー服;ランドセル ほか)
4 学校の改革(教育改革論;高等教育会議;臨時教育会議;教育審議会 ほか)
出版社内容情報
「学校」と「塾」はどう違うのか。遅生まれと早生まれ、運動会・修学旅行の始まりは、教育勅語と御真影、女生徒はなぜセーラー服を着るのか、など学校に関するさまざまな話題を取り上げ、そのルーツを探る。

〔第1 章 学校の始まり〕 学校と塾(1)?「学校」と「塾」とはどう違う? 学校と塾(2)?自由に出入りできない「学」と「校」 公立学校?「官立」「公立」「私立」の区分の誕生 私立学校?政府は疎んじてもしぶとく残った私学 各種学校?「正規」学校と「その他」の学校 校門と塀?日本の学校にはなぜ塀があるのか 校地?通風・日当たり・静穏の校地規準はいま? 運動場?児童一人に一坪の体操場がなぜ必要か 雨天体操場?木造の雨天体操場造りは困難 校舎?ギヤマン校舎から兵営式校舎へ 昇降口?はきものを区別する日本独特の出入り口 二〇坪の教室?畳一枚に子ども二人の空間 児童控所?休み時間を子どもたちはどう過ごしたか 裁縫教室と理科実験室?特別教室の条件と意味 講堂?明治の頃も現在も専用講堂は数少ない 廊下?中廊下から片廊下への進化 廊下の南北論争?南廊下説の敗退 学年?学年は一年単位でなくてもよい? 遅生まれと早生まれ?一日違いの「断絶」 四月学年始期(1)?四月始期制は人材獲得競争から 四月学年始期(2)?「四月始まり」に教育的意義はない 夏休み?「夏期ニ授業ヲ行ハサル日」 併行学年?明治末から認められていた併行学年 学期?夏休みのせいで難しくなる学期の区分 

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「学校ことはじめ辞典」

   「学校ことはじめ辞典」   佐藤 秀夫
P46.~森有礼(もりありのり)は、学生・生徒に国家意識を植え付ける一方法として、「君臣接近」、天皇の存在を生徒が身近に感ずるように「御真影」の下付を思い立ったのである。ただ、森の場合、その拝礼式の施行を三大節、国家の祝日にだけ限定し、祭日は除いた。宗教(国家神道)と公教育の分離原則が念頭にあったからである。~法令で強制しようとはしなかった。
P48.~この教育勅語とは、1890(明治23)年10月30日、日本の教育の基本理念を示す文書として、明治天皇から時の文相芳川顕正に下付されたもので、全文わずか315字の小文。~日本の教育は皇室を中心とした日本独特の「国体」に基礎をおくとした序文、孝行から始まって16の徳目を列挙した中間徳目、この教訓の普遍妥当性を強く強調した結文、の三部分からなり、序文が最重要視された。教育勅語はもとより天皇自身が起案したものではなく、首相山県有朋の指導下、法制局長官、井上毅中心で、宮中顧問官元田永孚(ふ) が補助して、1890年から約4ヵ月間でまとめられた。
P68.~「輓近(ばんきん)専ラ知識才芸ノミヲ尚(たつと)トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス」。これは1879(明治12)年夏、近代学校が知育のみに走って徳育がおろそかになったとして、明治天皇の名で政府に示された批判文「教学趣旨」の一部である。
P72.~庶民教育では昔から、「よみ・かき・そろばん」の三科目が基本とされていたし、儒学がほぼ唯一の学習内容とされた武士の藩校では、素読・論講・詩文などが主な科目であった。
P74.~「修身」~「その家をととのへんと欲せば、まづその身を修めよ」という中国古典の「大学」に出典をもつこのことばは、「斉家治国平天下」つまり「家をととのへ、国をおさめ、天下を平安にする」基礎としての、道徳教育関係の一科目名として、1872(明治5)年から1945(昭和20)年末まで、この国の近代学校に存続していたのである。~最初は、「ギョウギノサトシ」つまり日常の子どもたちの立ち居振る舞い(行儀)を好ましいと考えられているルールに沿うよう~1880(明治13)年まで、小学校の基本科目…読書・習字・算術・地理・歴史・修身の、最末尾に掲げられる科目にすぎなかった。~1880年末に公布された第二次「教育令」以来一挙に首位に、つまり教育において最も重んずべき科目として指定された。
P75.~明治新政権が自己の民衆支配を強化するために、江戸時代以来の伝統的な儒教思想を学校教育の場に導入したものとされている。~上下の身分的秩序を重視する儒教の思想を学校現場にもちこんで、当時自由民権運動の地方における主な担い手であった小学校教員たちを牽制するとともに、未来の大人である子どもたちに従順・服従の態度を植え付けようとしていたことは明らかであた。
P76.~明治政府は、封建制下になずんでいた民衆を、組織的効率的に文明開化の民たらしめるために、民衆の育ててきた教育体系を否定した。~明治政府がつくり出した学校に、すべての教育を独り占めさせようとした。このために、学校は知育・徳育・体育のすべてを扱うことになったのである。~人間形成の責任すべてを負わされた学校では、いきおい人作りの核としての徳育を、重視。~だが、学校で徳育を重視したために肝心の徳育が育てられなくなるという、深刻な矛盾が作り出されることになるのだった。
P77.~修身は確かに儒教的な色彩を当初から持っていた。開明派の森有礼は、1880年代末これを嫌って、中学校や師範学校には欧米風の「倫理」を課すとしたほどである。~儒教そのものであったとしたら、欧米風近代化への途を歩むのに障害になってしまう。そこで日本得意の「ごった煮」方式がここでもとられた。~近代学校は、何といっても文字や言語を媒介として教育するところ、~教科書を使って教えられる「修身」は、徳そのものの教育でなくて、「徳について言語や文字で表された知識」を教授する科目にならざるをえなかった。
P78.~1941(昭和16)年度からの国民学校国民科修身におよんで、それは頂点にのぼりつめる。天皇の神格性・神国日本のアジア支配の正当性・皇軍の不敗性などがうたいあげられたのだから、敗戦直後の1945(昭和20)年12月、国民科国史・同地理とともに、占領軍によって授業停止処分を受けたのは当然だったといえる。~1958(昭和33)年文部省は「逆コース」にのって「道徳」の授業を復活させたが、それは「教科」や「特別教育活動」などとも異なるカリキュラム中の特別の分野とされた。~「知」
の科目と化した、戦前への反省にたっているのだろうが「学校で徳は教えられうるのか」
という根本問題は、まだ解決をみていない。
P79.~戦前国民道徳の目標とされた「忠君愛国」がどうなったか~「忠君」とは、いうまでもなく君主への忠誠でタテのモラル、「愛国」は国民の連帯を前提としたヨコのモラル。封建制下の道徳と市民国家でのモラルとを、無媒介にセットしたこの徳目は、そのために一体に融合することができなかった。~大正期以降、社会の近代化に合わせて次第に「愛国」に力点が移されるようになるが、民衆レベルの社会改革論を否定したファシズム期には一転して「忠君」が絶対化された。そして、敗戦。「忠君」優位の忠君が、突如否定されたとき、独り立ちしていなかった「愛国」は自己主張をなしえず「忠君」と運命をともにした。かくして「愛国」は「忠君」とセットのもの、したがって多くの人々から「古めかし」ものとみなされてしまった。
P80.~森は、文相としてその解決の途を「万世一王」の天皇の存在と、「人民護国ノ精神忠武恭順ノ風」、要するに「忠君」モラルの武士的資質を「無二ノ資本至大ノ宝源」として、兵式訓練により上から愛国心を与えようと提案する。~欧米では市民革命の結果、公民としての自由と平等がかちとられたことが強固な愛国心の基礎となっていたことは十分知っていたはずである。…だが、藩閥に身をおく立場からは民権運動に組することはできず、「下から」生まれたものを「上から」教育を通じて作り出そうという「矛盾」に陥らざるをえなくなった。以来この国では、「みんなの国」ではなく「おかみの国」を守るために、みんなが犠牲となることを辞さないことが崇高極まりない愛国心だと教えられるようになった。~その非論理性・非理性化は、日本の場合とくにはなはだしくなり、その結果として、戦後は「愛国心」自体をナンセンスと否定する風潮が生じてきてしまった。
P84.~「よみ・かき・そろばん」~一般化したのは明治時代、小学校教育が普及してからのことと考えられる。江戸時代の寺子屋で、この三種が合わせて教えられるようになったのは、その後期、しかも江戸・京・大阪など都市部の寺子屋の一部に限られていた。寺子屋教育の主流は「手習い」、つまり「よみ・かき」で、そろばんを同時におしえうるお師匠さんはそう多くは居なかった。~そろばんが主要基礎教育内容の一つに加えられるようになったのは、「算術」が必須科目となった小学校になってから、
P86.~「国語」とよばれるようになったのは、1900(明治33)年八月の第三次「小学校令」からで~それまでは、長く「読書」「作文」「習字」の三科目に分かれていた。「よみ」「かき」の伝統によるもので、「かき」が文章の作法と文字の書法とに分かれていたのである。それらが「国語」科に統一されると、その中の「読み方」「書き方」「綴り方」に衣替えすることになる。1941(昭和16)年四月、国民学校での「国民科国語」に改められたとき、新しく正式に「話し方」が加わって四領域となる。~言語教育の科目へと「国語」が転換しはじめるきっかけとなった。

望外

滴一滴 4/6

 将棋の最年少プロ棋士で、公式戦11連勝。目を見張る記録なのは言うまでもないが、それ以上に驚いたのは14歳のこの発言だった。「望外の結果なので素直にうれしい」。藤井聡太さんの中には豊かな言葉の世界があるようだ。

「望外」は望んでいた以上によいこと、の意味である。たった一言に知性がにじむとはこういうことかと胸に落ちた。ちょうどある本を読み終えたところだった。「語彙(ごい)力こそが教養である」(角川新書)。

著者で、明治大教授の斎藤孝さんは学生の語彙力を1分間で見極められるという。判断基準は分かりやすい。複数の事柄をひとつの言葉で済ませてしまおうとするか、否か。若者がよく使う「やばい」は分かりやすい例かもしれない。

少ない語彙でも仲間内では通じるし、不便もない。それでも人は無意識のうちにいろいろな場面で、相手が使う言葉でその人を判断する。語彙不足のせいで「また会いたい」「一緒に仕事をしたい」と思ってもらえなければ好機を逃すことにもなる。

語彙力を鍛える基本は「読書の習慣」と斎藤さん。棋士の藤井さんは活字が好きで、学校から帰ると毎日、新聞をめくる中学3年生である。

きょう4月6日は「新聞をヨム日」。本欄を日々、書き写してくれる中学生もいると聞く。少しでもお役に立てれば、

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明治大学文学部教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


「言葉は身の文(あや)」ということわざがあります。

話す言葉はその人の人格や品位までも表す、という意味の言葉です。

たしかに、テレビで芸能人やスポーツ選手のインタビューを見ているとき、なんとなく「頭がよさそうな受け答えだな」「意外と子どもっぽいな」「普段のキャラクターと違って思慮深いんだな」と感じることがありますよね。


それではこのとき、あなたはどういうところに着目して「この人は頭がいい」とか「子どもっぽい」、「思慮深い」と判断しているでしょうか。

逆に言えば、どういうふうに話せばポジティブな印象を与えることができるのでしょうか。


私の答えははっきりしています。

それこそが、「語彙(ごい)」なのです。

語彙によって相手に与える印象が変わるのは、芸能人やスポーツ選手だけではありません。

「言葉は身の文」なのは、あなたも同じ。

使う言葉のレパートリーが少なかったり、平易な言葉でしかものを語れなかったりすると、「物足りない人」という印象を持たれます。

反対に、あなたの語彙力が豊かであれば、仕事でもプライベートでも「一目置かれる存在」になれるのです。

いい年になって適切な言葉を適切な場で使える人と、使えない人。

どちらの能力が高そうか、言うまでもありませんからね。


より多くの語彙を身につけることは、手持ちの絵の具が増えるようなものです。

8色の絵の具で描かれた絵画と、200色の絵の具で描かれた絵画。

どちらの絵が色彩豊かで美しいか?

いわずもがな、200色のほうでしょう。


語彙力を身につけることは、いままで8色でしか表現できなかった世界が、200色で表現できるようになるということなのです。

「すごい」「やばい」「なるほど」「たしかに」ばかり使う人は、8色の絵の具しか持っていない人。

一方で、200色の絵の具を使える人は、あまねく表現を駆使して相手を動かせます。

部下にかける言葉も、自己アピールの言葉も、ビジネスでの商談も、プライベートな雑談も、「200色」の彩りをもって表現できるようになる。

当然、それに伴って、あなたが受ける評価も大きく変わっていくでしょう。


「語彙が豊富だと周りから一目置かれる」ということばかりではありません。

いちばん伝えたいのは、「語彙が豊かになれば、見える世界が変わる」ということ。

人生そのものが楽しくなるということです。


思考は、頭のなかで言葉を駆使して行われます。

つまり、何かについてじっくり考えて意見を持つためには、先にたくさんの言葉をインプットすることが必要不可欠です。

英語が苦手な人は、英語で深く思考することはできないでしょう。

それと同じように、乏しい語彙力では、それをとおした狭い世界しか見ることができません。


語彙力があるかどうかは瞬時に判定できます。

判断基準はいたってシンプルです。

それは「複数のことがらをひとつの言葉で表現しようとするか否か」。

語彙が少ない、教養が乏しいと感じる人は、とにかく言葉の選び方が「省エネ」なのです。

ポジティブにもネガティブにも使える「やばい」。

小さいものも愛らしいものもひっくるめた「かわいい」。

感嘆詞にも強調にも使える「まじ」。

本気とも冗談ともつかない「うざい」。


語彙の貧困化が深刻なのは、若者だけではありません。

上司に出すレポートの末尾が「頑張ります」「精進します」だらけの部下。

「なるほど」「たしかに」ばかりの相づち。

SNSに料理の写真をアップしても「おいしい」「感動」としか書けない人。

どんな言葉も「とても~」で強調する人。

挙句の果てには「言葉にならない」で逃げる人…。


『語彙力こそが教養である (角川新書)』


齋藤孝氏はこう語る。

「日本語の90%を理解するために必要な語彙数は、およそ1万語と言われています。

ところが、諸外国を見てみると、ケタが違う。

英語は日本語の3分の1にも満たない3000語、スペイン語やフランス語にいたっては2000語足らずで、その言語を90%理解できるのです。

つまり、日常のコミュニケーションを円滑に進めたり文章を読んだりするために、私たち日本人はスペイン人の5倍の語彙を持たなくてはならない、ということです」

語彙力豊かな人は、単語の数を知っているというだけでなく、単語を使った熟語、ことわざ、いいまわし、もっと言うなら物の見方などもユニークで豊かだ。

語彙力を増やすには、映画やドラマや演劇を見るとか、落語を聞くというような方法もあるが、最もてっとり早い方法は、活字を読むこと。

本だけでなく、インターネットの記事や新聞や雑誌などの活字媒体。

そして、大事なことはいくら語彙力をふやしても(インプットしても)、それをアウトプットしないと身に付かないということ。

何事も実践で使わなければ、それは「畳の上の水練」でしかなくなる。

語彙力を増やし教養を高めたい。


あぎれのない文

正平調 4/6

「理科系の作文技術」は物理学者木下是雄(これお)さんが論文の書き方を説く本だ。出版35年目の昨年、100万部に達し話題になった。

例えば、こんな一文を悪しき例として挙げている。「黒い目のきれいな女の子」。これでは「黒い目の、きれいな女の子」とも「黒い、目のきれいな女の子」とも読めてしまう。「まぎれのない文」を心がけよと教える。

官邸も読んで学べばいい。教育勅語を学校で扱うことについての政府答弁書は「まぎれの文」である。「教育の唯一の根本とするような指導は不適切」としながら、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」。読んで「?」である。

戦前の教育勅語は軍国主義教育と結びついた。その考えを21世紀の教育現場に持ち込んではいけないと言うのか、いや場合によっては…と言うのか。分かりにくいし、これでは都合のいいように解釈され、独り歩きする。

「だるまさんがころんだ」という子どもの遊びがある。鬼役の子は短い掛け声を唱える間は振り返らない。その背後から少しずつ近づき、背中にタッチする。

日々の暮らしに追われ、振り返ることなく過ごすうち、背後から少しずつ近づいてくるものがありはしないか。教育勅語をめぐるこのところの動きを見るにつけ、心配性の胸は騒ぐ。

京のパン食

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凡語 4/6


 京都ゆかりの作家森見登美彦さんのミリオンセラー小説「夜は短し歩けよ乙女」のクライマックスは、京都大に近い老舗カフェ「進々堂」でのデート場面だ。今出川通に面した席で主人公はコーヒーを飲みつつ彼女を待つ。

その黒光りする長テーブルの上にパンがあればと、つい思ってしまう。1913年、パリに留学してパン作りを学んだ創業者が、日本で初めてフランスパンを製造・販売し始めたのがこの店だからだ。

欧州仕込みの味が本物志向の京都人の口に合ったのか、パンは広く普及し、総務省統計によると京都市民は日本で最もたくさんのパンを食べる。バターの消費量も1番だ。和食のイメージが強いだけに意外である。

先の文部科学省の教科書検定で、小学校の道徳科で「国や郷土を愛する態度」を教えるためとして、読み物に登場する店がパン屋から和菓子屋に変わった。京都は和菓子の本場ゆえ歓迎したいのだが、これではパン屋さんの立つ瀬がない。

鉄砲とともにパンが伝来して4世紀半、和洋折衷のあんパンが考案されて140年余。戦後の学校給食はパン抜きに語れない。そんなパンが「非日本的」とはいかにも了見が狭過ぎる。

冒頭の小説がアニメ映画化され、明日から公開される。さて、ラストシーンの卓上にパンはあるだろうか。

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さくら

越山若水 4/6

このごろ愛読している故向田邦子さんのエッセーに面白い句がある。「菜の花や百万人のいり卵」。向田さんは知人の迷句と言ったが、食いしん坊には名句である。

通勤途中に見る田んぼがいま、まさに句の情景になりつつある。一面が菜の花の黄色で埋め尽くされ、花より団子の人にはうまそうな、いり卵の大皿と見える。

黄色は春の色だ。寂しい冬景色にかっきり終わりの太線を引くように辺りを彩る。続く主役が桜である。福井地方気象台がきのう、ソメイヨシノの開花を発表した。

平年より2日、昨年より9日遅かった。温暖化のせいで年々早くなると思っていたのは、気のせいだったようだ。当方が考えるほど単純ではない自然の営みを思い知る春である。

一昔前の文壇には桜を愛好する人が多かった。随筆家の故白洲正子さんも毎春名所を訪ねた。半世紀前のエッセー集「かくれ里」では、若狭町の神子の山桜を次のように書いた。

「最後の岬を回ったとたん、山から下の浜にかけて、いっきに崩れ落ちる花の滝が現出した」。本紙の写真でも毎年見る山桜だが「花の滝」とは心引かれる形容である。

和歌に数多く歌われる名所・旧跡を「歌枕」という。その歌枕を訪ねるのを楽しみとした昔人よろしく、白洲さんの足跡を追ってみたいとかねがね願っていた。ことしこそと思うが、天気予報は傘マークが多い。

エヴァ柄

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斜面 4/6

「ネクタイが特徴的ですね」との質問を受け今村雅弘復興相は「エヴァンゲリオンの柄です」と答えた。かの人気アニメの制作会社が福島に新設した拠点を訪ねた際に頂いたと説明。被災地の企業の「動く広告塔です」と締めくくった

 以上は気分も良かったであろう2月28日の会見。やはり「エヴァ柄」のネクタイで臨んだ一昨日の会見は一変した。原発事故の自主避難者に対する国の責任を問われるうちに激高。なおも質問する記者に「うるさい」と捨てぜりふを残して会場を去った。

 復興相は自己責任論を振りかざした。自主避難者への住宅支援は帰還を促すため3月末で打ち切っている。「難しい問題を抱えながら帰ってもらえる人」を持ち上げ、帰りたくても帰れない自主避難者は「本人の責任、判断」と言い切る。被災者を分断するかのような姿勢が見えた。

 〈お前の苦しみは全部お前のせいだし、お前より大変な人はもっといる〉。作家雨宮処凛さんは先日出版した「自己責任社会の歩き方」で、自己責任を通訳すれば、そんな意味だと書いた。直訳するなら「うるさい、ガタガタ言うな、黙れ」である、と。

 安倍晋三首相は3月の東日本大震災追悼式の式辞で「原発事故」の文言を使わなかった。「復興の着実な進展」に力点を置いたように見えた。成果を誇示し前に進めと号令をかける政治は、思い悩んでうずくまる人々を置き去りにする。エヴァ柄を自慢するばかりでは苦悩に寄り添えない。

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新聞をヨム日

天地人 4/6

 コント55号の笑いは新聞記事からできた。ネタを考えるとき、新聞を広げる。<型にはまらない結婚式が増えている>という記事が出ている。萩本欽一さんが「ジェット機飛ばしましょうよ。派手ですよう」。すると、坂上二郎さんが「飛びます、飛びます」

 業界の話で恐縮ながら、きょうは「新聞をヨム日」という。4月6日の語呂あわせである。日本新聞協会と全国の会員新聞・通信・放送社は、12日までの1週間を「春の新聞週間」としている。

 週間にあわせて毎年、各界で活躍する人たちに新聞の読み方や魅力について語ってもらう。これまでに掲載した記事をさがした。明大教授の斎藤孝さんは<新聞が日本語力の基礎を支えてきた>。作家の林真理子さんは<自らの「無知」を知る第一歩が新聞を読むことだ>。いずれも含蓄に富む、ありがたい話である。

 ネットに流布している情報の信頼性に、疑問をなげかける指摘もあった。まもなく、IT大手が運営する10の情報サイトが休止に追いこまれた。無断転用したものや、誤った記事が、数多く掲載されていたと聞いた。

 ニュース解説で定評があるジャーナリストの池上彰さんは、心強い新聞応援団である。著書『新聞勉強術』(ダイヤモンド社)で、新社会人に呼びかけている。<勉強…まずは新聞を読むことから>。緊張したであろう第1週は、もうすぐ終わる。

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