2017年04月02日の記事 (1/2)

自閉症の僕が跳びはねる理由

自閉症の僕が跳びはねる理由

 東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由~会話のできない中学生がつづる内なる心~』(エスコアール)より。

 僕は、今でも、人と会話ができません。声を出して本を読んだり、歌ったりはできるのですが、人と話をしようとすると言葉が消えてしまうのです。必死の思いで、1~2単語は口に出せることもありますが、その言葉さえも、自分の思いとは逆の意味の場合も多いのです。
 また、人に言われたことに対応できないし、精神的に不安定になるとすぐにその場所から走って逃げ出してしまうので、簡単な買い物さえも、一人ではできません。
  まずは、その人のできないことを知る必要があります。できないことを知らないからこそ、できないことをしないことと周りが誤解し、まちがった対応をしてしまうのです。

 人は見かけだけでは分かりません。中身を知れば、その人ともっと仲良くなれると思います。
 これを東田直樹さんを扱った授業の最後に持ってこようと思います。

 僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。
 これを授業で見せる2つ目の文章にします。

 側にいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないで下さい。自分の存在そのものを否定されているようで、生きる気力が無くなってしまうからです。
 僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。
 自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。
 自閉症児に付き添う先生が、悩んでる姿をその子の前では見せてはいけないのです。その姿こそが、その子を追い詰めていたりするのです。
授業で最初に提示する東田さんの文章は、『跳びはねる思考』から選びました。

 僕は、植物に嫉妬することがあります。
「嫉妬するというのは、うらやましいということです。なぜ、この人は、植物をうらやましいと思うのでしょうか。」
 そして、前に引用した次の文を示します。

 僕が植物をうらやましいと感じるのは、考えなくてよいからではありません。植物は、どのような環境の中にあっても美しく咲こうとし、種を残そうとするからです。
 それは遺伝子に組み込まれた形態なのかもしれませんが、僕はその姿に圧倒されるのです。
 東田さんの文章に圧倒される自分がいます。

理解できないのが当たり前

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理解できないのが当たり前

 東田直樹『続・自閉症の僕が跳びはねる理由~会話のできない高校生がたどる心の軌跡~』(2014,9㈱エスコアール)は、短い質問に、東田さんが答える形で書かれています。

24 こだわりはやめられませんか?
 こだわりは、とても辛いものです。
「こだわりを好きでやっている」と思っている人がいるなら大間違いです。(中略)
 僕は、いつもこだわりと必死で闘っています。にもかかわらず、それをやるのが好きだと言ったり、迷惑をかけているのもわからないと非難したり、ひどい罰を与えたりするなど、追い討ちをかけるようなことはしないで欲しいのです。
 やりたくないのにやってしまうのが「こだわり行動」なのです。
 やっている本人は、その行動を止めようと闘っている、ということに、私たちは気付けないわけです。目に見える行為のみに反応してしまうわけです。

31 すぐに行動できないのはなぜですか?
 指示されたことをすぐにやりたいと思ってはいますが、指示された行動をイメージしないと自分の行動に結びつきません。どうやればそれができるのかがわからず、すぐに体を動かすことができないのです。動くために、自分の中で成功体験として残っている記憶をイメージします。そのイメージを頼りに、どう動けばいいのか思い出そうとするのです。
 指示したあと、固まってしまう子がいます。
 教師としては、指示にサッと反応して行動してほしい、と思ってますが、そういかない子はいるのです。
 そんな場合は、見本を示す必要があるのでしょう。
 その見本が、行動へのイメージとなるのです。
 また、成功体験を積ませることで、いろんな行動を取れるようになっていくのでしょう。

34 お手伝いはできますか?
 時間に縛られるのは苦手ですが、自分が納得した決まり事をするのは嫌ではありません。
 残念ながら僕は、人が困っているのを見ても自分から手伝うことはできません。それは、その人のために何をしてあげればいいのか、思い付かないからです。だからといって、お手伝いが嫌いなわけではありません。むしろ人の役に立ちたいと、いつも願っています。ですから、日課としてお手伝いを入れてもらえると、自分の役割がはっきりして嬉しいです。
 人の役に立ちたくても、何をしていいか分からないわけです。1人1当番のようなお手伝いを与えることは、人の役に立つチャンスを与えることにつながりそうです。お手伝いなんて嫌いなんだとか、できないんだとか、決めつけてしまわないようにしないといけないですね。

44 笑い出すのは気持ちが楽しいときですか?
 問題は、悲しくてどうしようもないときにも笑い出すことです。おかしいと思われるかも知れませんが、辛いのに笑い出してしまいます。なぜ怒られているのか不満に思うことが多い中で、怒られている状況が自分でもよくわかったとき、ついそれが嬉しくて笑い出してしまうのです。
 こちらが怒っているときに、その対象が笑い出したら、余計、腹が立つのが普通です。でも、そんなときに笑うのは、別の意味があるんだ、と考えないといけないのです。自分には理解できない行動であるなら、自分なりの解釈はすでに当てにならないということなのですから。

53 目で見てわかりやすい環境づくりは大切ですか?
 目で見てわかりやすい環境づくりは、視覚優位な自閉症の人にとっては動きやすいと思います。(中略)
 第一、僕はロボットではありません。どうせ説明してもわからないと思われることは、説明している内容が理解できるかどうか、ということ以上に傷つくのです。
 どうせ理解できないだろう、どうせできないだろう。そう決めつけて、その人に接してしまえば、その人はそう思われてることで傷つく場合があるのです。
 相手の立場になることは、難しいことです。むしろ、相手を理解できてないことを前提に、理解していく努力をしていくべきなのでしょうね。

扉の詩の扱い方

扉の詩の扱い方

 扉の詩を扱う上で、おさえておくべきことがいくつかあります。

1)題名・作者・連の数は、毎回、聞かれることを意識させる。
2)教科書の折り目の部分が、連の切れ目かそうでないかは毎回確認させる。
3)教師が範読する前に、自分で読むことをさせる。
4)気づいたことを発表する。
5)子どもが気づかないようなことを授業で扱う。
6)連がいくつかあれば、一連だけを最初に扱って、検討する。
7)その連がいくつの文でできているかを認識させる。
8)文がいくつかあれば。その連でどの文が一番大切な文かを扱える。
9)作者の主張(主題)を学級開きにつなげる。
10)視写をせることで、ノートの書き方をお知られる。
 詩の扱い方を最初の授業である程度、示すことが大切です。
 なくなってしまう仕事がるように、これからの時代を正しく予測するのは、難しい。先の見えない社旗なのです。
 だからこそ、ぶれない指導が大切になっていきます。
 詩であれば、最初にこうすると決まっている方が、子どもたちも安定するのです。その安定こそが、新たなチャレンジを支える土台となるのです。

巻頭詩が一年を支える


「一年間を見通した学級づくり 国語の巻頭詩が一年を支える」です。
      ☆              ☆
 五年生の子どもたちに、一つの詩を紹介しました。

「花です 虫です からだです
 鳥です 草です こころです
 それらはみんないのちです
 という詩です。その詩の中で、
 互いに支えているんです
 見えない手を出し 声を出し
 互いに支えているんです
 というところがあります。みなさんは、卒業式の練習を通して、卒業した六年生のみんなが支え合っている姿を見たはずです。きっとみなさんも、支え合える立派な六年生になるはずです。期待しています。」
 この「いのち」の詩は、『新しい国語6』(東京書籍)の巻頭詩です。
 六年になり、国語の教科書を最初に開いたページに載っているのです。
 この詩が、一年間の学級を支えるものともなりえるのです。

一、国語の教科書には主張がある
 詩・物語・説明文・新聞づくり・インタビューなど、さまざまな教材が、国語の教科書には詰まっています。
 たんなる教材の羅列かとも思えますが、実は、意図的な編集がされています。
 先ほど紹介した小海永二の詩「いのち」は、いのちが見えない手、音なき声の支え合いで生かされてることを詠っています。
 このあと、やなせたかしの物語「サボテンの花」、谷川俊太郎の「生きる」の詩が続いていくのです。
「ぼくがあるから、あの人が助かった。ぼくがここにいるということは、むだじゃなかった。 たとえ、ぼくが死んでも、一つの命が生きるのだ。生きるということは助け合うことだと 思うよ。」
 サボテンを剣で切りつけ、その水を飲んだ旅人の命を救えたことをサボテンは、喜んでいるのです。
 生きることは支え合うこと。
 このような、教科書編集者の意図を読み取り、その主張をうまく活かせば、授業づくりだけでなく、学級づくりにも生かすことができます。

二、一年を通して使える巻頭詩
 巻頭詩は、教科書編集者の主張が一番鮮明に込められています。
 例えば、光村図書『国語五 銀河』には、次の巻頭詩が載っています。

あの遠い空にひとすじ、
星たちが、
ぶつかり合い、重なり合い、
河のように光っている「銀河」。
牛乳をこぼしたようにも見えるから、
「乳の道」とも言うそうだ。
どっちもいい名前だなあ。
 連れ読み・一斉読み・たけのこ読みなど、覚えるぐらい音読をした後、詩では、毎回聞く発問をしていきます。
「題名は何ですか。」
「作者は、だれですか。」
「何連の詩ですか。」
 詩の前には題名はないのですが、これはすぐに分かります。「銀河」です。
 光村図書の国語は、巻頭詩の題名を教科書のサブタイトルにしているのです。
 作者名も扉のページには書かれていません。でも、教科書の巻末を見ると、「とびら詩 羽曽部 忠」と書かれているのです。
 詩の連は、一連です。でもこの後、
「一連の詩ですが、三連の詩に分けることもできます。分けてごらんなさい。」
 句点があるので、簡単に分けられます。
「三連に分けた場合、どの連が作者の一番言いたかった連でしょうか。」
 連を選ばせ、その理由も発表させます。
「一連だと思います。なぜなら、題名の「銀河」が書いてあるからです。」
「三連だと思います。なぜなら、どっちもいいと言っているからです。」
 ぶつかり合い、重なり合いが、学級の姿をイメージする先生は、一連を選ぶかもしれません。私は、二連を選びます。
「二連では「乳の道」とも言うそうだ。と言っています。この詩を語っている人は、「銀河」が以外の言い方を知ったのです。
 みなさんは五年生です。同じ学校なので、友だちのことはよく知っているかもしれません。でも、そうなのでしょうか。まだまだ友だちの知らない面があるのではないでしょうか。この一年間で、友だちの知らない面をたくさん見つけ、よりなかよくなってほしいと、先生は願っています。」
 詩の授業がいつのまにか、学級づくりになったわけです。

三、見かけだけでは分からない

「僕は、植物に嫉妬することがあります。」
 なぜ、植物がうらやましいのでしょう。

「僕が植物をうらやましいと感じるのは、考えなくてよいからではありません。植物は、どのような環境の中にあっても美しく咲こうとし、種を残そうとするからです。
 それは遺伝子に組み込まれた形態なのかもしれませんが、僕はその姿に圧倒されるのです。」『跳びはねる思考』
 前述の文は、会話ができない自閉症者である東田直樹さんのものです。
 東田さんは、人の視線が怖いそうです。

「人はいつも刺すような視線で見ます。」
(NHK「君が僕の息子について教えてくれたこと」より。)
 刺すような視線とは、理解できないものを見るような視線なのでしょう。
 銀河を銀河とだけしか見ない学び方や生き方を一年間かけて、それ以外の面を見つけられるような学級にしていきたのです。

「人は見かけだけでは分かりません。中身を知れば、その人ともっと仲良くなれると思います。」
(『自閉症の僕が跳びはねる理由』より。)
四、一年の終わりにも巻頭詩
 毎日子どもたちが持ってくる国語教科書の最初のページには、あなたの学級を支える指針を示した巻頭詩が載っています。
 子どもたちとお別れする日に言ってください。
「学級びらきの最初に教えた詩を覚えていますか。」と。
       ☆                ☆
 今度の学級びらき講座用に考えたことが、そのまま原稿になりました。
 それが、学級びらき講座の準備にもつながってくれました。一挙両得です。

考え、議論する道徳

斜面 4/2

無毒のヘビを飼っている小学1年のクラスがあった。体長や重さを記録したり、図鑑や絵本を作ったりしているうちに最初は怖がっていた子どもも愛着を抱くようになる。せっせとカエルを取ってきては餌やりを続けた。

 2年生になったある日。印刷された絵本を手にした5歳の男児から手紙が届いた。「カエルがかわいそう」。子どもたちの大論争が始まる。「カエルはヘビに食べられるために生きているんじゃない」「じゃ、何のために生きているの」「人間だって肉や魚を食べているじゃない」…。

 信州大付属長野小の実践を描いた「教科書を子どもが創る小学校」(小松恒夫著)。「命」のやりとりをどう考えるか。時に泣きながら懸命に小さな頭を巡らす姿を伝える。総合学習の先駆けになった取り組みだが、著者は「道徳」でもあると説く。

 小学校の道徳が来春から正式教科になり、教科書が使われる。「節度、節制」「規則の尊重」など学習指導要領で示した22の徳目に沿っているか。教科書検定で文科省は目を光らせた。「伝統と文化の尊重」が不十分と指摘されて「パン屋」が「和菓子屋」に差し替わった教科書もある。

 型枠に流し込んだ全国共通の教科書で、文科省の掲げる「考え、議論する道徳」になるのか。長野小の子どもたちは目の前のヘビやカエルの身になって考え、そして自然に返すことを決めた。身の回りの問題こそが良い教材になる。教科書はそれぞれの心の中で編めばいい。

天地人 4/2

 「込」「畑」「辻」「栃」「峠」…。辞典を見ると、これらの字は「国字」とある。日本製の文字、日本でつくられた漢字だ。訓読みしかないのがほとんどで、音読みがない字が多いという。

 「働」という字も国字だそうだ。「はたらく」の本来の意味は、「からだを動かす」「行動する」。そこから「仕事をする」「労働する」の意味が生まれ、その意味をあらわすために、「人」と「動」を合わせて「働」という国字ができた(「日本語源大辞典」)。

 国字は訓読みだけが多いと書いたが、「働」は「はたらく」という訓のほかに「どう」という音読みを持つ。「いかに日本人がこの国字を重要視しているかわかろうというものだ」と国語学者の金田一春彦さんが書いている(「美しい日本語」角川ソフィア文庫)。

 その「働」の在り方を見直そうと政府が先ごろ、働き方改革の実行計画をまとめた。安倍晋三首相が力を入れる目玉政策だ。懸案の長時間労働や非正規の格差の改善へ一歩踏み出した形で、首相は「歴史的な一歩」と自賛した。

 ただ、企業や働く人の自主的努力に委ねられた面も多いという。絵に描いた餅に終わらないか気になる。金田一さんは「勤」「労」「務」などに比べ、「働く」という字は、人がいきいきと動いているという語感がある-とも述べている。誰もがそう思える「働」という字にしたい。


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 「全然おかしい」「立ち上げる」といった座りの悪い言葉が広まり、新語が生まれては消える。国語学の大家として知られた著者が、物事を説明する6つのコツ、「が」と「は」の使い方などを伝授する。2002年刊の新書を改題・文庫化。日本語について改めて考えることができる、洒脱しゃだつな一冊である。

教職員人事異動

大観小観 4/2

三月は別れ、四月はスタートの時となるのだろうが、三月のどん尻に発表された教職員人事異動が記録が残る平成十三年度以降最大規模という陰で、退職教員一千八十六人に対し、新規採用四百八十八人。半減以下という数字に、改めて三月相次いだ閉校式を思う。

伊勢市の市立今一色小学校と、志摩市では市立船越小学校など六校。津市は美里町の市立小学校三校と同中学校が閉校式をし、四校で小中一貫の義務教育学校「みさとの丘学園」として四月開校する。義務教育学校は学校教育法の改正で昨年に制度化されたばかり。県内初のスタートとなる。

今後十年で教職員を五万人近く減らせると言ったのは財務省で「暴論だ」とかみついたのは文部科学省だが、小中一貫、統廃合は促す。クラスの絶対数が減少し教職員が減らされる。平成二十八年度は全国で四千人減。新年度はさらに減ることが県の教職員人事から垣間見える。

給与削減を巡る県教職員組合との交渉難航で、山口千代己前県教委教育長は組合側が指摘する悪名高い教職員の長時間勤務について、初めて「一定の改善をする必要がある」と認めた。その根底である人員不足という課題に、新年度人事は応えたかどうか。

津市が国の教職員体制もはっきりしない義務教育校へ踏み切ったのは、地域の少子化のためで、子どものためとは議会で明言していない。後続もない。過剰労働解消と学校統廃合は二律背反だが、山口教育長は「子どもたちの夢の実現に手助けができる尊い職業。誇りを持て」など、旧態依然の「聖職者論」を残しただけで去っていった。

和をもって貴しとなす

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滴一滴 4/2

「和をもって貴しとなす」で有名な「憲法十七条」が聖徳太子によって定められたのは604年4月3日とされる。わが国初の成文法といわれ、役人や豪族の心得を説いた。聖徳太子は仏教の普及に努め、10人の話を一度に聞いたなど逸話も多い。

旧1万円札などの肖像にも使われ、日本史では超一流の有名人であろう。だからか、文部科学省が次期学習指導要領で、「厩戸王(うまやどのおう)(聖徳太子)」などと小中教科書で表記する案を示したところ、一般から反対が相次いだ。

聖徳太子は没後の呼称で、歴史学では「厩戸王」―。それが改定の理由だが、結局、元通りの表記にするという。そのほか、案では消えた江戸時代の「鎖国」も復活した。

かつて歴史の教科書で学んだことが変更されるケースはままある。筆者が覚えた「仁徳天皇陵」はいま「大仙陵古墳」などと呼ばれる。歴史研究が進めば、教科書は常に書き換えられる。今回は長年の愛着を尊重したということだろう。

教科書では、今年初めて作られた道徳でのある記述が話題となった。指導要領に照らし、登場する「パン屋」が「和菓子屋」に変更されたのだという。パン屋だと日本文化に合わないと考えたのなら、首をかしげるばかりだ。

もうすぐ新しい教科書での学びが始まる。好奇心が刺激され、考える力を育てる存在であってほしい。

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大弦小弦 4/2

休日の午後、書店の児童書コーナーは子どもたちでいっぱいだ。人気は「おしりたんてい」や「かいけつゾロリ」などのシリーズ物。「ぐりとぐら」「しろくまちゃんのほっとけーき」などの名作は今も読まれ続けている

本の小宇宙に没頭する子どもたちの姿を写し取った「本をえらぶ日」(写真・吉岡一生)という写真集がある。「あくび」という絵本を広げる友だちの後ろで、大口を開けあくびをする男の子。どんな場面なのか、満面の笑みで本を見つめる女の子。1冊の本を十数人で取り囲む姿-。

どれも山口県内の小学校で開かれた「選書会」の様子。教室や体育館に下関市内の書店「こどもの広場」が選定した絵本や児童書など約500冊を並べ、品定めをする。

集まった子どもたちは「学校の図書室に入れてほしい」と思う本に、しおりを挟んでいく。しおりが多かった順に購入していく仕組みだ。

友だちも一緒になって興味の赴くまま、思う存分試し読みをし、自分の感覚を信じて本を選ぶ経験は楽しく、豊かな心を育むに違いない。

4月2日は童話作家アンデルセンの誕生日を記念した「国際子どもの本の日」。児童書に年齢制限はない。新年度が本格的に始まり、慌ただしくなる月曜日が来る前に、心を落ち着けて、子どもの本の世界に触れてみるのはどうだろうか。

子供の本

卓上四季 4/2

想像の翼を自由に広げた。教室の片隅で、ストーブの横で、ベッドの中で。子供のころのそんな読書に、思い出がある方は少なくないだろう。きょうは「国際子どもの本の日」だ。

童話作家アンデルセンの誕生日にちなんで1966年に提唱され、翌年から国際的な催しとなった。半世紀前と言えば、日本の児童書がより広く読まれるようになった時代でもある。

代表格は、たとえば「ぐりとぐら」(福音館書店)か。双子の野ネズミがカステラを作り動物仲間と分け合う。50年で216刷・496万部、シリーズで1542万部を発行した。「おおきなかぶ」「スーホの白い馬」も同時期だ。祖父母から孫まで読んだ、というご家庭もあろう。

良質な児童書は、決して子供だましの本ではない。子供はそんな物にはなかなかだまされない。自分や友達はどんな時にうれしく、悲しく、怒りを覚えるのか。何が本当で何が偽りなのか。本を読む中で自分の「物差し」を真っすぐに試し、共感する力を広げてゆく。

大人の文学はより複雑だし完成度が高い。だがそこはやはりオトナの世界、ウソでもホントでも「人生いろいろ」と、達観した雰囲気が先立ったりもする。

子供らしい正義感をうらやましく思う瞬間がある。大人になってしまった証拠か。新しい春の風が吹く時季だ。書店や図書館で児童書をめくって、真っすぐな力をもらうのも悪くない。