2017年04月01日の記事 (1/2)

愛国心

春秋 4/1

「パン屋さん」では駄目なのか。来年度から小学校の「教科」になる道徳の教科書。登場する店が「和菓子店」に変更された。

「わが国や郷土の文化に親しみ、愛着を持つという要素が足りない」と国の検定で指摘され、出版社が差し替えた。国や郷土を愛する気持ちは大切だけれど、「愛国心」が上からの押し付けになってはいないか。

教育勅語を暗唱させる幼稚園に驚いた。その愛国教育を「素晴らしいと聞いている」と言う首相や「教育勅語の核の部分を取り戻すべきだ」と国会答弁する防衛相にもっと驚く。教育勅語は親孝行や友愛など大切な道義を説いている、と防衛相。詭弁(きべん)だ。勅語の「核」は、天皇や国家のために命をささげることが臣民の最高の徳目とした思想。これが軍国教育につながった。

戦後、国会は基本的人権を損なうとして教育勅語の排除や無効を決議した。にもかかわらず、政権が復古調の「美しい日本」に傾斜すれば、道徳や歴史の教科書への“忖度(そんたく)”が心配になる。

教育基本法、学校教育法が制定され、現在の小学校6年、中学校3年の「六三制」が始まって、きょうで70年。多大な犠牲の上に生まれた民主教育を後戻りさせてはならない。

子どもたちが好きなあんパン、カレーパン、メロンパン…。どれも日本発祥とされる。元は舶来でも、知恵と工夫で新しい価値を生み出すのは日本人のおはこ。それも日本の文化であろう。

最低量

天地人 4/1

 歌人の若山牧水は酒好きだったことでよく知られる。同居していた牧水の門弟によると、「朝二合、昼二合、夜六合、一日合計一升」飲んだ。ただ、それはあくまでも「最低量」で気分によりさらに増えたという(永田和宏「近代秀歌」岩波新書)。

 酒を題材に詠んだ歌も多く残している。<妻が眼を盗みて飲める酒なれば惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ>。妻の目を盗んで酒を飲み、あわてていたために、むせて鼻からこぼした-。ユーモラスな情景に思わず笑ってしまう。牧水の飾らない人柄が表れているようだ。

 新年度がスタートした。きょう、あすは土・日曜日なので、社会が本格的に動きだすのは、あさってからか。会社などでは歓迎会が盛んに行われる頃だ。全国各地から桜の便りが聞こえ始め、本県もじきに花見シーズンがやって来る。酒との付き合いが増えそうだ。

 一気飲みを強要されて大学生の子どもを失った親らがつくる「イッキ飲み防止連絡協議会」は毎年、全国キャンペーンを行っている。急性アルコール中毒死につながる一気飲みや、飲酒の無理強いなどをやめようと呼び掛ける。

 もちろん若い人に限らず、酒を楽しむのであれば周りへの配慮や節度を心掛けたい。酒を愛する牧水はこんな歌も作っている。<それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味>。笑顔あふれるさまが浮かぶ。


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 永田和宏『近代秀歌』(岩波新書)を読む。とても楽しい読書だった。「はじめに」より、

 本書で私は、近代以降に作られた歌のなかから、100首を選んで解説と鑑賞をつけるという作業を行った。(中略)100首の選びは、できるだけ私の個人的な好悪を持ちこまず、誰もが知っているような、あるいは誰にも知っていて欲しいと思う100首を選ぶよう心がけた。(中略)

 あらかじめ断っておけば、ここに選ばれた100首は、近代のもっともすぐれた100首という選びとは微妙に異なる。ベスト100なら、選ぶそれぞれの人によって100通りの選びがなされるべきである。また、近代の歌は、これだけを知っておけばそれで十分なのかと言われれば、それも違うと思う。ベスト100や、十分条件としての100ではなく、必要条件としての100というつもりである。

 挑戦的な言い方をすれば、あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの100首であると思いたい。

 さて、本文を見ると、

 君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ   北原白秋


 一夜をともにした君を見送るときの思いであり、感覚である。見送るため外に出ると、朝の舗道には一面に雪が降り敷いていた。まだ誰も通っていない敷石に、あなたの足跡だけがくっきりと黒く残ってゆく。あなたを包むように降る雪よ、降るなら、林檎の香りのように降っておくれ、と詠うのである。

 ここに詠われた君とは人妻なのだった。

 老ふたり互に空気となり合ひて有るには忘れ無きを思はず  窪田空穂


 老いた夫婦が二人、今ではお互いが空気のような存在になっている。一緒にいると、いることを忘れ、かと言って、そこにいないということなどは、もとより思うことさえない、というのである。(中略)

 「有るには忘れ無きを思はず」というフレーズが、どこかアフォリズム(警句)風で魅力的である。ともに歳月を重ねてきた夫婦にだけ実感される、互いの意識の仕方なのだろう。晩年までをこんな夫婦でいられることの幸せを思うのである。

 「晩年までをこんな夫婦でいられることの幸せを思う」と書いている。永田和宏は2010年に歌人の妻河野裕子を亡くしているのだ。永田の悲痛を思う。

 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ  若山牧水


 生涯に残した7000首あまりの歌のうち、酒を詠んだものが200首はあるという。単なる歌の多さだけではなく、実際に牧水はこよなく酒を愛した歌人であった。1日1升は飲んでいたというから半端ではない。(中略)

 同居していた門弟の大悟法利雄は、その酒について次のように証言する。

 「大正14年、千本松原に家を新築した頃には、酒にもおのずからに定量ができていた。朝2合、昼2合、夜6合、1日1升というのがその定量と言ってよかった。しかしそれは「定量」というよりも「最低量」といった方が正しいくらいで、毎日それが守られていたのではなく、きょうは思いの他仕事が捗ったからとか、どうもちょっと気分が晴々とせぬからとかいうように、種々なことが理由となって、もう1本、もう1本という風に追加が出される。」

 長男によると、「このころの牧水は一度に3升を飲む男になっていた」という。

 これら100首のうち、私が知っているのは約1/3に過ぎなかった。

 「あとがき」によれば、続編が予定されているとのこと。

アリガトウとゴメン

日報抄 4/1

 胸に聞いてみる。親には言えない夢がうずく。そんなときはどうする。心の声に正直になろうとウソの力を借りることだってある。心配をかけまいと、言いつくろって、扉をこじ開ける。

その達人はグフフッと笑うあの人だ。笑福亭鶴瓶さんは高校を卒業する際、父親から「どうするねん?」と聞かれた。そこで出任せをひとつ。「渥美清さんの弟子になる」と。本当は「落語家に」と言いたかった。

でも食っていくのは至難の業。親を説得できるはずもなく、たまたま目にした新聞広告の「寅さん」が口をついて出た。そのまま大阪から東京へ飛び出し、渥美さんの事務所を訪ねてしまう瞬発力がある。

寅さん不在のため、あえなく退散し進学した後も、やっぱり落語をあきらめきれない。中退し六代目笑福亭松鶴さんの門をたたくと、師匠は「親を連れてこい」と言う。ここでもウソで切り抜ける。

「ケンカして相手が親と謝りに来い言うてんねん」。それで父と菓子折りを手に相手の元へ。「父親はビックリしてましたよ。『あ、松鶴さんや』って。師匠は知らんから『親が承知なら』言うてね。全然承知やないのに」。師匠の家を出た途端「お前というやつは!親をだまして」と、どつかれた(斎藤明美「家の履歴書」)

世渡りしていけそうな、たくましいウソだ。父の一喝は「頑張れ」の裏返しか。この4月、親に謝りたいゴメンの道を進む若者もいるだろう。正直に歩めばいい。アリガトウとゴメンを繰り返し、たくましくなる。

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わたぬき

越山若水 4/1

きょう4月1日。新しい年度が始まる節目の日である。また「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む珍しい名字も、冬の着物から綿を抜いた古い習慣に由来する。

衣替えを意味するが、これは旧暦ゆえもう少し先。今年は今月26日に当たる。欧米で親しまれるのが「エープリルフール」で、日本では「四月馬鹿(ばか)」とも呼ぶ。

この日だけはウソをついても、人をだましても許される。それこそ米国のトランプ大統領がわめき立てる「フェイクニュース」(偽記事)だって全くおとがめなし。

「四月馬鹿閻魔(えんま)の抜きし舌の数 宮地英子」。地獄の裁判官、閻魔大王も大量のウソと奇妙な風習にビックリ仰天していることだろう。ところが最近の世の中は常に虚々実々、何が本当か分からない。

その典型が国有地の格安売却を巡る「森友学園」問題。確かに、学園の籠池氏が証言した安倍首相夫人の100万円寄付、行政への口利きの有無など疑問は深まるばかりだ。

国会では与野党が角突き合わす。自民は籠池氏の偽証罪告発を視野に再び国政調査権を発動する構えだ。対して民進は首相夫人の証人喚問を要求する。

問題の本質は国有地払い下げが適正かどうか。さすがに首相の名誉を庇護(ひご)する調査権は主客転倒だろう。ここは一つ、閻魔様にお願いする。「エープリルフール」を過ぎたら、ぜひ正しい審判を下してもらおう。

青息吐息

くろしお 4/1

 「牛のスネ肉料理」の話を引いて親のスネをかじる以上は有意義に過ごせ、と新大学生向けに書いた小欄に、読者からメールで「親側の立場に偏った視点」との指摘があった。

 私的な意見との断りもある丁寧な文面だった。〈新大学生への警句でしょうか。しかし多くの大学生は、奨学金という借金を卒業時に背負い、社会人の歯車で磨耗しながら生活していきます。多少は、奨学金の話題を入れても良かったのではないでしょうか。〉。

 本紙の年間企画「みやざき考福論」第2部「~変わる価値観~」(3月26日付)を読んで、指摘はしごくもっとも、と理解した。記事は県内の大学を今春卒業したものの400万円を超える返済額にぞっとした、という女性に取材したものだ。

 日本学生支援機構から有利子で毎月8万円の奨学金を受給、授業料や生活費に充ててきた。40歳すぎまで毎月約2万円の返済が続く。結婚や出産をしても支払いは残る。「結婚するなら、奨学金を借りていない人がいい」。友人の言葉が胸に突き刺さったという。

 奨学金を受給している学生は全体の半数を超えるという。20年前まで2割台で推移していたが近年大幅に増加している。受給学生が増えたことの背景には国立大でも年間53万円超という授業料の高騰と不況によって悪化した家計がある。

 国立大なら授業料が3万円台だったころの感覚では想像できない実態だ。メールの差出人は「奨学金を青息吐息で返済する社会人」。今後は返還支援や給付型の充実を訴え、親も学ぶ本人も応援して、スネかじりなどとは二度と書くまい。

窯変

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映画監督というより、人間としての生き方が語られている…

黒澤明の一生を支えていたものは「失敗」です。数多くの名作は、失敗作のあとに生まれています。代表作「生きる」は不評だった「白痴」がなければ生まれなかったと言われています。「僕は戦いに敗れることを活力源にして次々に戦いに挑んでいる」。何があっても前に進む。失敗は成功するための因です。これが、黒澤明の人生哲学なのです。

本書には数多くの失敗と成功が散りばめられています。黒澤明は、失敗を乗り越え、次の高みを目指す時、必ず古今東西の名著が傍らにありました。「七人の侍」の時は、トルストイの「戦争と平和」を携えています。「本を愛するというよりは、その前に跪ずいている」という言葉は、どれほど本が自分の人生にかけがいのないものかを端的に表しています。読書離れと言われる今日、黒澤明のこの一言は重いのです。いままで、黒澤明の言葉は、新聞・雑誌・書籍等で数多く取り上げられてきましたが、デビューから亡くなる八十八歳までを年齢・年代別に時系列的に編集された本書は、年齢とともに移り変わる主張、一貫して変わらない考え方がわかり、身近に黒澤明を感じることができます。


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卓上四季 4/1

映画「雨月物語」で知られる溝口健二監督は、演技に一切助言しないことで有名だった。俳優ではないので演技は素人、というのが理由らしい。

女優の香川京子さんも指示がないまま「どうぞ」と言われていろいろ試すが、監督から「違う」を繰り返され、困り果てた。不親切かもしれないが、溝口監督を敬愛する黒澤明監督は「俳優が絞り出さなければ、しょうがなくなる」と教育効果を認めていた(都築政昭著「黒澤明の遺言」)。

きょうから新年度。社会人生活をスタートさせる方も多いだろう。手取り足取り教えてもらうのも、研修の間だけ。職場に配置されれば、いきなり「どうぞ」と言われるかもしれない。

私事で恐縮だが、入社早々に「取材に行け」と指示され、何を聞いて、どう書けばいいのか、さっぱり分からなかった。冷や汗たらたら文章を「絞り出す」ほかなかった。

突き放しているようだが、上司からすれば初めから正解を求めているわけではない。どこに目を付けているのか、問題意識の方を探ろうとしていたのだろう。そこが分かれば伸ばすべき芽が見えてくる。

黒澤監督は「演出窯変」という言葉をよく使った。土の器も窯で焼くと色や形が変わって味わいが出てくる。映画もスタッフの意見を取り入れ、面白みを増す。「最初から器用にまとまると僕は機嫌が悪い」。黒澤監督の言葉は新人への応援歌にも聞こえる

朝が来ると

【朝がくると】まど・みちお

朝がくると とび起きて
ぼくが作ったものでもない 水道で 顔をあらうと
ぼくが作ったものでもない
洋服を きて
ぼくが作ったものでもない
ごはんを むしゃむしゃたべる
それから ぼくが作ったものでもない
本やノートを
ぼくが作ったものでもない
ランドセルに つめて
せなかに しょって
さて ぼくが作ったものでもない
靴を はくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったものでもない
道路を
ぼくが作ったものでもない
学校へと
ああ なんのために
いまに おとなになったら
ぼくだって ぼくたって
なにかを 作ることが
できるように なるために

…………………………

中日春秋 4/1

 百四歳で天寿を全うした詩人まど・みちおさんに、「朝がくると」という詩がある。<朝がくると とび起きて/ぼくが作ったのでもない/水道で 顔をあらうと/ぼくが作ったのでもない/洋服を きて…>。

自分で作ったのではない本や文房具を持ち、自分で作ったのではない学校に向かう。それは何のためか。詩は、こう結ばれる。<いまに おとなになったなら/ぼくだって ぼくだって/なにかを 作ることが/できるように なるために>

きょうから四月。今春はおよそ八十九万人が新社会人として歩みだすという。いよいよ自分で、だれかのために何かを作り始める。そういう朝を迎えるわけだ。

毎朝、人間が寝床から起き上がることを可能にする力は何か。それは「楽観」だと、英国の心理学者エレーヌ・フォックス博士は『脳科学は人格を変えられるか?』で説いている。

興味深い調査がある。一九三〇年に修道院に入った百八十人の数十年分の日記を調べると、明るく陽気な日記を書いていた修道女は、暗い日記を書く人より平均で十年も長生きしていた。驚くべき楽観の力だ。

フォックス博士は楽天家の至言として、エジソンの有名なひと言を挙げている。電球の試作の失敗が一万個に達したことを知った時、発明王曰(いわ)く、<失敗したのではない。うまくいかない方法を一万通り見つけただけのことだ>。


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『脳科学は人格を変えられるか?』

「サニー・ブレイン」晴れ
オックスフォード大学感情神経科学センター教授、エレーヌ・フォックス博士は
世の中には楽観的な性格の人と悲観的な性格の人の2つの性格があり、「逆境にも強く前向きな人」のポジティブな脳を「サニーブレイン」(楽観脳)、「後ろ向きで打たれ弱い人」のネガティブな脳を「レイニーブレイン」(悲観脳)と呼び、なぜ同じことが起こってもプラスとマイナスの反応をしてしまうのかを、心理学、分子遺伝学、神経科学の各分野を横断しながら、人格がどのように形成されていくのかということを数々の科学的な根拠をもとに明らかにしています。

悲観論者は『人生は自分でコントロールするなんてできない』と信じている。

それとは対照的に、楽観論者は、『物事は最後にはうまくいく』という強い信念から行動し、たとえ問題が起きても、自分の未来は自分が物事にどう対処するかで決まると信じている。」という。

さて、あなたの人生の幸福度を調べてみましょう!
□1.だいたいの点において、私の人生は理想に近いものだ
□2.私の人生の状況はすばらしい
□3.私は自分の人生に満足している
□4.これまでのところ、私は人生において自分が望む重要なものごとを手に入れてきた
□5.もし人生をやり直せるとしても、私はほとんど何も変えたいとは思わない

1=まったくあてはまらない、2=あてはまらない
3=あまりあてはまらない、4=どちらともいえない
5=少しあてはまる、6=あてはまる、7=非常にあてはまる

合計30~35点の人は「非常に満足度が高い」
合計25~29点の人は「満足度はかなり高く、おおむね順調」
合計20~24点の人は「先進国の平均的スコア」
だいたい満足しているが、「もっとよくできるはず」と感じている。
合計10~14点の人は「不満足」
合計5~9点の人は「極度に不満足」

参照:『脳科学は人格を変えられるか?』(エレーヌ・フォックス:著 森内薫:訳/文藝春秋)

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 書店に行くと「ポジティブ・シンキングがあなたを変える!」など、“前向きになって、人生バラ色になっちゃいましょう!”という自己啓発本が山積みになっている。しかしそんなことをいくら言われたところで、自己啓発本を何冊も読んだところで、後ろ向きな性格はなかなか前向きにはならない。「生まれつきだからどうしようもない」「遺伝子で決まってるんだなと諦めた」「いいことがあると思ってみたけど、そんなこと一切なかった」…そんな「後ろ向きな人」に、ぜひお勧めしたい本がある。「なぜ逆境にも強く前向きな人と、後ろ向きで打たれ弱い人がいるのか」という疑問を中心に、感情の科学について幅広く研究するオックスフォード大学感情神経科学センター教授であるエレーヌ・フォックス博士の『脳科学は人格を変えられるか?』(エレーヌ・フォックス:著 森内薫:訳/文藝春秋)だ。


フォックス博士は「逆境にも強く前向きな人」のポジティブな脳を「サニーブレイン」(晴天脳)、「後ろ向きで打たれ弱い人」のネガティブな脳を「レイニーブレイン」(雨天脳)と呼び、なぜ同じことが起こってもプラスとマイナスの反応をしてしまうのかを、心理学、分子遺伝学、神経科学の各分野を横断しながら、人格がどのように形成されていくのかということを数々の科学的な根拠をもとに明らかにしていく。つまりこの本は誰かの成功体験などをベースにした自己啓発本ではない。確固たる研究の成果をもとに書かれているのだ。とはいっても学術書ではないので、難しいところはない。「へー!」「ほー!」「そうなのか!」と膝を何度も打ちながら読み進められる。

「サニーブレインの中心は神経構造の中でとくに、報酬や気持ちの良いことに反応する快楽の領域にあり、レイニーブレインの中心は脳の古い構造部の中、とくに危険や脅威を警戒する恐怖の領域に存在している」そうで、これは人間が生き延びていくために必要な能力だ。蛇を見たら驚いて飛び上がる、というのはレイニーブレインが働くおかげなのだが、敵に襲われることや飢餓に見舞われることの少ない現代においても、危険が人の注意を惹きつける力は強烈で、たやすく克服されるものではないという。しかし「生まれつきだから」と思いがちな性格だが、サニーブレインとレイニーブレインの回路は、脳の中でも一番可塑性の高い場所であり、それは環境などで変化していくというのだ。フォックス博士は脳内の活動や大脳、海馬、側坐核、扁桃体といった部位がどのように連携しているのか、さらには最新の遺伝子研究などから、なぜ脳内の回路が変わっていくのかを明快に説明していく。

またフォックス博士は「ポジティブに思考するだけで良い出来事が起こる」ということに対しては「問題解決とは似て非なるもの」と否定している。物事を前向きに捉えるだけではなく、自分に何ができるのかを考え、行動に移すことができないと「良い出来事」は起こらない…つまりポジティブな人は自ら「行動」を起こしているのだ。そしてただ単に物事の明るい面だけを見ることが「オプティミズム」(楽観主義)なのではなく、「世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないこと」だと言っている。

「個人を個人たらしめている記憶や信念、価値観や感情、そして習慣や性格の特徴などの要素はどれもみな、脳の中でニューロンがどんなふうにネットワークをつくりどのように連結するかに関連」しているので「このパターンを変化させられれば、自分を変えることもきっとできる」と、抑うつなどを科学で癒やせる可能性はあるとフォックス博士は語っている。確かに「人が状況にどう反応するかは、先天的な資質と後天的な環境に左右される」のだが、「どんな遺伝子の構造をもっていても、どんな出来事に見舞われても、それで人生の道筋が決まるわけではない」ので、「人生の舵は自分が握っている」という感覚を持つことが非常に重要だという。数々の科学的根拠に裏打ちされた本書は「そうか、ネガティブに考えてしまうのは、こうなっていたからなのか」と納得した上で、後ろ向きな自分を変えるきっかけになる読書体験になるはずだ。

応援ソング ガッツだぜ!!


ガッツだぜ!!

歌:ウルフルズ 作詞:トータス松本 作曲:トータス松本

ガッツだぜ パワフル魂
ガッツだぜ すいもあまいも
ガッツだぜ Do the ド根性
男は汗かいて ベソかいて GO!

モテない できない
言えそーもない(ガッツだぜ)
このチンケなオイラに
愛をちょーだい
逢えない 抱けない
できそーもない(ガッツだぜ)
このザンゲを神様
聞いてちょーだい

そんな弱気で
どーすんの(どーすんの)
グッと飲んで パッとやって
Try Try Try
たまにゃはずして
Feel So Good(Feel So Good)
ほら 万が一 金田一
迷宮入りする前に

ガッツだぜ パワフル魂
ガッツだぜ なにはなくとも
ガッツだぜ Do the ド根性
男は汗かいて ベソかいて GO!
モテたい ハメたい ナンパされたい(ガッツだぜ)
このSoulが売りよ 燃えてちょーだい
イキたい 抱きたい 愛しあいたい(ガッツだぜ)
ムチャでもいいからやってちょーだい

生まれて死ぬまであっちゅー間(あっちゅー間)
恋をもっと 腰はHot Try Try Try
ウソも方弁 Feel So Nice(Feel So Nice)
ほら グッと行って 押しの一手
命中するまで

ガッツだぜ やまとなでしこ
ガッツだぜ 老いも若きも
ガッツだぜ Do the かわい気
女はかわいく きびしくね

Oh 行くか もどるか
どーしようか(どーしようか)
ちょっとチューチョ
だけどいっちょ
Try Try Try
燃える想いは
Beautiful(Beautiful)
ほら あんたがった
その他大勢
永久 Lovin' You Ah
ガッツだぜ パワフル魂
ガッツだぜ すいもあまいも
ガッツだぜ Do the ド根性
男も女も 盛り上がって GO!

ガッツだぜ
ガッツだぜ Do the ド根性
ガッツだぜ
ガッツだぜ すいもあまいも
ガッツだぜ
ガッツだぜ
ガッツだぜ
ガッツだぜ Do the かわい気
ガッツだぜ

応援ソング 終わりなき旅




終わりなき旅

歌:Mr.Children 作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿

息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ
ただ未来だけを見据えながら 放つ願い
カンナみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯しては
また光と影を連れて 進むんだ

大きな声で 声をからして
愛されたいと歌っているんだよ
「ガキじゃあるまいし」自分に言い聞かすけど
また答え探してしまう

閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっと きっとって 僕を動かしてる
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

誰と話しても 誰かと過ごしても 寂しさは募るけど
どこかに自分を必要としてる人がいる

憂鬱な恋に 胸が痛んで 愛されたいと泣いていたんだろう
心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる

難しく考え出すと 結局全てが嫌になって
そっと そっと 逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ

時代は混乱し続け その代償を探す
人はつじつまを合わす様に 型にはまってく
誰の真似もすんな 君は君でいい
生きる為のレシピなんてない ないさ

息を切らしてさ 駆け抜けた道を
振り返りはしないのさ
ただ未来へと夢を乗せて

閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっと きっとって 君を動かしてる
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう
もっと素晴らしいはずの自分を探して

胸に抱え込んだ迷いが プラスの力に変わるように
いつも今日だって僕らは動いてる
嫌な事ばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅








世の中を見る目、人を見る目

認知的不協和理論
矛盾はいやよ・意見は変えません・予言が外れるとき



認知的不協和理論とは

タバコ吸いますか?(喫煙者の心理)

 あなたはタバコを吸いますか。でも、タバコは身体に害があるそうですよ。

 さて、調査によりますと、タバコをたくさん吸う人ほど、タバコは身体に害があるとは考えていないことがわかりました。

 タバコを吸っているという事実。そして、タバコは害があるという知識。この二つには矛盾があります。害があると思いながら、タバコを吸うのは、何となく落ち着かなくて、不愉快です。

 この不愉快な気持ちを「認知的不協和」と呼んでいます。

 人は、思いや行動に不一致、矛盾があると、心の中に不協和が生まれます。これは気持ちが悪いので、何とか不協和を下げようとします。

 タバコを吸うこととをやめてもいいのですが、これはかなり難しい。そうすると、人は、変えやすいほうを変えます。

 タバコには害がないと思えばよいのです。



どんな広告を見ますか?(安心するための広告)

 カタログをいっぱいもらってきて、考えて、考えて、選んだパソコン。さて、買ってしまった後は、広告もカタログも見る必要はないのですが、それでも人は広告を見ます。

しかも、自分が買った商品の広告を選んで!

 他の広告を見て、もしも他のパソコンの方が良いと思ってしまったらどうでしょう。簡単に買い替えはできませんから、「私はこのパソコンを買った。しかし、あっちのパソコンの方が良かった」という認知的不協和状態になります。

 こうなってしまっては困るので、自分の行動が正しかったと思うことができる広告を読もうとするわけです。

 人は、自分の考えに会った、自分に都合の良い情報だけを選んで、集めてこようとするのです。



あの人があいさつしなかったのはなぜ?

 親友を外出先で見かけた。あいさつをしたのに、その人は、そのまま行ってしまった。なぜでしょう。

 その人は親友だという思いと、あいさつを返さなかったという事実は矛盾します。

 すると、普通は友達を裏切り者呼ばわりするのではなく、気づかなかったのだろう、声が聞こえなかったかな、と考えるのです。

 またことが、嫌いな人との間にあれば、「私を無視した!」と思って怒ることでしょう。

 人は、不協和が高くならないように、情報を解釈します。自分の考えに合うように、都合が良いように解釈してしまうのです。



予言が外れれば、脱会しますか?(予言が外れるとき)

 1999年、12月31日に、この世の終わりが来るぞう!!!

 教祖様に言われて、最後の日を待ちます。ところが、何も起こらず、2000年になりました。さて、あなたならどうします。

 こういうことって、新興宗教ではよくあることですよね。

 入信したばかりの人は、教祖に幻滅し、脱会するでしょう。

 でも、この世の終わりが近いと信じ、財産をすべて寄付し、学校をやめ、会社を辞め、家族を捨て、友人も捨てて従ってきた。教祖のために違法行為も行った。もし、こうだったらどうでしょう。

 ここまで、のめり込んだ信者は、脱会することができません。帰る場所が無いからです。

 終末予言をする教祖を信じている。しかし、この世の終わりは来なかったという事実がある。ここに認知的不協和が生まれます。

 人は、変えやすいほうを変えます。たいした信仰も活動もしてこなかった信者は、教祖はペテン師だと考え、脱会します。脱会することで、不協和を下げます。

 しかし、すべてを捨ててしたがってきた信者は、そんなふうに簡単には思えません。

 そこで、むしろ逆に、信仰を強め、教祖様のお力でこの世の終わりは来なかったなどと考え、ますます熱心に活動し始めるのです。

 狂信と熱心な活動によって、不協和を何とか下げようとするのです。

(だから、危険な団体を批判するのは良いけれど、メンバーが帰れるところを残しておいて欲しいのです。)

(2000年前のキリストの時代にも、終末は近いと信じる人はいました。彼らの一部は、終末が近いと言って仕事をやめたりしました。しかし、キリストの弟子達は、仕事をやめさせたり、財産を寄付させるのではなく、落ちついて日々の生活に努めるようにと、諭したのです。)

*認知(信仰)も、事実も、どちらも変えられない場合には、事実の「解釈」をかえたり、その不協和(矛盾)自体を軽視するようにまります。