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論語 衛霊公第十五 5

論語 衛霊公第十五 5

子張問行。子曰。言忠信。行篤敬。雖蠻貊之邦行矣。言不忠信。行不篤敬。雖州里。行乎哉。立則見其參於前也。在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。

子張しちょう行おこなわれんことを問とう。子し曰いわく、言げん忠信ちゅうしん、行こう篤敬とくけいならば、蛮貊ばんぱくの邦くにと雖いえども行おこなわれん。言げん忠信ちゅうしんならず、行こう篤敬とくけいならずんば、州里しゅうりと雖いえども行おこなわれんや。立たてば則すなわち其その前まえに参まじわるを見みるなり。輿よに在ありては則すなわち其その衡こうに倚よるを見みるなり。夫それ然しかる後のちに行おこなわれん。子張ちしょう諸これを紳しんに書しょす。


下村湖人(1884~1955)は「子張が、どうしたら自分の意志が社会に受けいれられ、実現されるか、ということについてたずねた。先師がこたえられた。言葉が忠信であり、行ないが篤敬であるならば、野蛮国においても思い通りのことが行なわれるであろうし、もしそうでなければ、自分の郷里においても何ひとつ行なわれるものではない。忠信篤敬の四字が、立っている時には眼のまえにちらつき、車に腰をおろしている時には、ながえの先の横木に、ぶらさがって見えるというぐらいに、片時もそれを忘れないようになって、はじめて自分の意志を社会に実現することができるのだ」と訳している(現代訳論語)。

論語 衛霊公第十五 3

論語 衛霊公第十五 3

子曰。由知徳者鮮矣。

子し曰いわく、由ゆう、徳とくを知しる者ものは鮮すくなし。

由 … 子路の名。なお、宮崎市定は「由」の字は本来「能」ではないかと疑問を呈している。「能く徳を知る者は鮮ないかな、となれば口調もよく、文章がずっとすっきりする」と言っている。
鮮 … 「すくなし」と読む。すくない。ほとんどいない。
矣い … 文末につけて、断定の意を示す。訓読しない。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。由ゆうよ、ほんとうに徳というものが腹にはいっているものは少ないものだね」と訳している(現代訳論語)。


論語 衛霊公第十五 2

論語 衛霊公第十五 2

子曰。賜也。女以予爲多學而識之者與。對曰。然。非與。曰。非也。予一以貫之。

子し曰いわく、賜しや、女なんじは予われを以もって多おおく学まなびて之これを識しる者ものと為なすか。対こたえて曰いわく、然しかり。非ひなるか。曰いわく、非ひなり。予われは一いつ以もって之これを貫つらぬく。

女 … 皇侃おうがん本等では「汝」に作る。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。賜しよ、お前は私を博学多識な人だと思っているのか。子貢がこたえた。むろん、さようでございます。ちがっていましょうか。先師――ちがっている。私はただ一つのことで貫いているのだ」と訳している(現代訳論語)。

論語 衛霊公第十五 1

論語 衛霊公第十五 1

衛靈公問陳於孔子。孔子對曰。俎豆之事。則嘗聞之矣。軍旅之事。未之學也。明日遂行。在陳絶糧。從者病。莫能興。子路慍見曰。君子亦有窮乎。子曰。君子固窮。小人窮斯濫矣。

衛えいの霊公れいこう、陳じんを孔子こうしに問とう。孔子こうし対こたえて曰いわく、俎豆そとうの事ことは、則すなわち嘗かつて之これを聞きけり。軍旅ぐんりょの事ことは、未いまだ之これを学まなばざるなり、と。明日めいじつ遂ついに行さる。陳ちんに在ありて糧りょうを絶たつ。従者じゅうしゃ病やみて、能よく興たつこと莫なし。子路しろ慍いかりて見まみえて曰いわく、君子くんしも亦また窮きゅうすること有あるか。子し曰いわく、君子くんし固もとより窮きゅうす。小人しょうじん窮きゅうすれば斯ここに濫みだる。

霊公 … 春秋時代、衛の君主。在位は前534~前493。ウィキペディア【霊公 (衛)】参照。
陳じん … 陣の古字。戦闘のための軍勢の配置の形。
対 … 目上の人にていねいに答えるときに用いる。
俎豆之事 … 祭具の並べ方などの礼について。
軍旅之事 … 軍事。軍隊。
明日 … 「めいじつ」と読む。「あくる日」の意。「みょうにち」と読むと「あした」の意になる。
陳ちん … 国名。今の河南省淮陽わいよう県を中心とした地にあった小国。春秋時代末に楚そに滅ぼされた。
在陳絶糧 … 陳の国で食糧がなくなった。
従者 … 孔子のともの者。孔子の弟子たちを指す。
病 … 飢えて疲れはてる。
莫能興 … 「よくたつことなし」と読む。「興」は起つ。「莫」は「無」と同じ。「起ち上がることができなかった」と訳す。
子路 … 姓は仲ちゅう。名は由。字あざなは子路、または季路。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【子路】参照。
慍 … 「いかる」「うらむ」と読む。
見 … 「まみゆ」と読み、「お目にかかる」と訳す。
亦 … ~もまた。縮臨本では「mojikyo_font_005761」に作る。「亦」の古字。
窮 … 困窮する。行き詰まる。
乎 … 「か」「や」と読み、「~であろうか」と訳す。疑問の意を示す。
君子亦有窮乎 … 皇侃おうがん本・四部叢刊初篇所収正平本等に「有」の字なし。
固 … 「もとより」と読み、「もちろん」「いうまでもなく」「もともと」と訳す。
斯 … 「ここに」と読む。「則」と同じ。
濫 … 「みだる」と読む。乱れる。度をこした行ないをする。
矣 … 置き字。

下村湖人(1884~1955)は「衛の霊公が戦陣のことについて先師に質問した。先師がこたえていわれた。私は祭具の使い方については学んだことがありますが、軍隊の使い方については学んだことがございません。翌日先師はついに衛を去られた。陳ちんにおいでの時に、食糧攻めにあわれた。お伴の門人たちは、すっかり弱りきって、起きあがることもできないほどであった。子路が憤慨して先師にいった。君子にも窮するということがありましょうか。すると、先師がいわれた。君子もむろん窮することがある。しかし、窮してもとりみださない。小人は窮すると、すぐにとりみだすのだ」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 47

「学校教育で活用できる論語章句」を活用した論語学習事例集

新『学習指導要領』「伝統的な言語文化」に即した 入門期漢文教育法

孔子から学ぶ~あなたの伝えたい論語~



論語 憲問第十四 47

闕黨童子將命。或問之曰。益者與。子曰。吾見其居於位也。見其與先生並行也。非求益者也。欲速成者也。

闕党けっとうの童子どうじ、命めいを将おこなう。或あるひと之これを問といて曰いわく、益えきする者ものか。子し曰いわく、吾われ其その位くらいに居おるを見みる。其その先生せんせいと並ならび行ゆくを見みる。益えきを求もとむる者ものに非あらざるなり。速すみやかに成ならんと欲ほっする者ものなり。

将命 … 皇侃おうがん本等では「将命矣」に作る。

下村湖人(1884~1955)は「闕けつという村の出身だった一少年が、先師の家で取次役をさせられていた。そこである人が、先師にたずねた。あの少年もよほど学問が上達したと見えますね。先師はこたえられた。いやそうではありません。私はあの少年がおとなの坐る席に坐っていたのを見ましたし、また先輩と肩をならべて歩くのを見ました。あの少年は学問の上達を求めているのでなく、早くおとなになりたがっているのです。それで実は取次でもやらして、仕込んでみたいと存じまして……」と訳している(現代訳論語)。

論語 憲問第十四 46

論語 憲問第十四 46

原壌夷俟。子曰。幼而不孫弟。長而無述焉。老而不死。是爲賊。以杖叩其脛。

原壌げんじょう夷いして俟まつ。子し曰いわく、幼ようにして孫弟そんていならず、長ちょうじて述のぶること無なく、老おいて死しせず。是これを賊ぞくと為なすと。杖つえを以もって其その脛すねを叩たたく。

孫弟 … 皇侃おうがん本等では「遜悌」に作る。
述 … 宮崎市定は「恐らく怵の假借であろう」とし、「怵おそるるところなく」と読み、「遠慮會釈することを知らず」と訳している。

下村湖人(1884~1955)は「原壌げんじょうが、両膝をだき、うずくまったままで、先師が近づかれるのを待っていた。先師はいわれた。お前は、子供のころには目上の人に対する道をわきまえず、大人おとなになっても何ひとつよいことをせず、その年になってまだ生をむさぼっているが、お前のような人間こそ世の中の賊だ。そういって、杖で彼の脛すねをたたかれた」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 45

論語 憲問第十四 45

子路問君子。子曰。脩己以敬。曰。如斯而已乎。曰。脩己以安人。曰。如斯而已乎。曰。脩己以安百姓。脩己以安百姓。堯舜其猶病諸。

子路しろ君子くんしを問とう。子し曰いわく、己おのれを脩おさめて以もって敬けいす。曰いわく、斯かくの如ごときのみか。曰いわく、己おのれを脩おさめて以もって人ひとを安やすんず。曰いわく、斯かくの如ごときのみか。曰いわく、己おのれを脩おさめて以もって百姓ひゃくせいを安やすんず。己おのれを脩おさめて以もって百姓ひゃくせいを安やすんずるは、堯舜ぎょうしゅんも其それ猶なお諸これを病やめり。

子路 … 姓は仲ちゅう。名は由。字あざなは子路、または季路。孔門十哲のひとり。
脩己 … 「脩」は「修」と通用す。自己を修養する。
以敬 … 「以」は「而」に同じ。「敬」は慎み深くする。
如斯而已乎 … 「かくのごときのみか」と読み、「ただこれだけか」と訳す。「而已」は「のみ」と読む。「斯」は「脩己以敬」を指す。
安人 … 自分の関係のある人々を安心させる。
百姓 … 「ひゃくせい」と読む。多くの人民。
脩己以安百姓。脩己以安百姓 … 宮崎市定は「脩己以安百姓の句が二回繰返されるが、初の句は上を受けて、子路の質問に直接答え、次の句は自分の言った言葉に対する補足的説明の為であって下へ続くから、両者の語気が全く違わなければならない」と言い、初めの句に「焉」の字を補って「脩己以安百姓焉」としている。詳しくは『論語の新研究』323頁参照。
堯舜 … 古代の伝説上の聖天子。
其猶病諸 … 「これに苦労されたのだ」と訳す。「其」は強調。「~でさえもやはり」と訳す。「病」は困難とする。悩みとする。「諸」は「これ」と読み、「脩己以安百姓」を指す。なお、「諸」は本来は「之於しお」の二字をあわせて一字にしたもの。

下村湖人(1884~1955)は「子路が君子の道をたずねた。先師がこたえられた。大事に大事に細心な注意をはらって、自分の身を修めるがいい。子路――それだけのことでございますか。先師――自分の身を修めて人を安んずるのだ。子路――それだけのことでございますか。先師――自分の身を修めて天下万民を安んずるのだ。天下万民を安んずるのは、堯舜のような聖天子も心をなやまされたことなのだ」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 44

論語 憲問第十四 44

子曰。上好禮。則民易使也。

子し曰いわく、上かみ礼れいを好このめば、則すなわち民たみ使つかい易やすきなり。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。為政者が礼を好むと、人民はこころよく義務をつくすようになる」と訳している(現代訳論語)。

論語 憲問第十四 43

論語 憲問第十四 43

子張曰。書云。高宗諒陰三年不言。何謂也。子曰。何必高宗。古之人皆然。君薨。百官緫己。以聽於冢宰三年。

子張しちょう曰いわく、書しょに云いう、高宗こうそう諒陰りょうあん三年さんねん言ものいわずと。何なんの謂いいぞや。子し曰いわく、何なんぞ必かならずしも高宗こうそうのみならん。古いにしえの人ひとは皆みな然しかり。君きみ薨こうずれば、百官ひゃくかん己おのれを総すべて、以もって冢宰ちょうさいに聴きくこと三年さんねんなり。

下村湖人(1884~1955)は「子張がいった。書経に、高宗こうそうは服喪中の三年間口をきかなかった、とありますが、どういう意味でございましょうか。先師がこたえられた。それは高宗にかぎったことではない。古人はみなそうだったのだ。君主がおかくれになると、三年の間は、百官はそれぞれの職務をまとめて、すべて首相の指図に従うことになっていたので、あとに立たれた君主は口をきく必要がなかったのだ」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 42

論語 憲問第十四 42

子撃磬於衞。有荷蕢而過孔氏之門者。曰。有心哉撃磬乎。既而曰。鄙哉。硜硜乎。莫己知也。斯已而已矣。深則厲。淺則掲。子曰。果哉。末之難矣。

子し、磬けいを衛えいに撃うつ。蕢きを荷にないて孔氏こうしの門もんを過すぐる者もの有あり。曰いわく、心こころ有あるかな磬けいを撃うつやと。既すでにして曰いわく、鄙ひなるかな。硜硜乎こうこうこたり。己おのれを知しる莫なくんば、斯これ已やまんのみ。深ふかければ則すなわち厲れいし、浅あさければ則すなわち掲けいすと。子し曰いわく、果かなるかな。之これを難かたしとする末なし。

磬 … 古代の楽器。「へ」の字型に曲がった玉や石板で作った打楽器。吊るして打ち鳴らす。
衛 … 国名。
荷 … かつぐ。
蕢 … 土を入れて担いで運ぶもっこ。あじか。「簣」とも書く。
孔氏 … 孔子のこと。皇侃おうがん本・四部叢刊初篇所収正平本等では「孔子」に作る。
者 … ここでは隠者。
有心哉 … 世を憂える心がこもっているなあ。「哉」は「かな」と読み、「~であるなあ」と訳す。感嘆・詠嘆の意を示す。
撃磬乎 … 磬のたたき方は。「乎」は「や」と読む。
鄙哉 … いやしい感じだなあ。孔子の世を憂える心情をいやしいものとしている。
硜硜乎 … コチコチした融通性のない音色だなあ。「乎」は「こ」と読み、形容する語の意味を強調している。
莫己知也 … 自分を認めてくれる人がいなければ。
斯已而已矣 … すぐやめるまでのことだ。「而已矣」は「のみ」と読む。強い断定をあらわす助辞。
深則厲。浅則掲 … 深い川なら着物を脱いで渡り、浅い川なら裾すそをまくりあげて渡る。「厲」はむりやりに水を切って浅瀬を押し渡ること。「掲」は裾すそをまくりあげて川を渡ること。『詩経』邶はい風、匏有ほうゆう苦葉くよう篇の句。ウィキソース「詩經/匏有苦葉」参照。
果哉 … 果敢だなあ。思い切りがいいなあ。
末之難矣 … これは何も難しいことではない。「末」は「無」と同じ。「之」はその人のように思い切りよく考えること。「難」は困難。

下村湖人(1884~1955)は「先師が衛に滞在中、ある日磬けいをうって楽しんでいられた。その時、もっこをかついで
門前を通りがかった男が、いった。ふふうむ。ちょっと意味ありげな磬のうちかただな。しばらくして、彼はまたいった。だが、品がない。執念深い音だ。やっぱりまだ未練があるらしいな。認めてもらえなけりゃあ、ひっこむだけのことだのに。それから彼は歌をうたいだした。『わしに添いたきゃ、渡っておじゃれ、水が深けりゃ腰までぬれて、浅けりゃ、ちょいと小褄こづまをとって。ほれなきゃ、そなたの気のままよ』。それをきいていた門人の一人が、先師にそのことを話すと、先師はいわれた。思いきりのいい男だ。だが、思いきってよければ、何もむずかしいことはない。大事なのは、一身を清くすることではなくて、天下とともに清くなることなのだ」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 41

論語 憲問第十四 41

子路宿於石門。晨門曰。奚自。子路曰。自孔氏。曰。是知其不可。而爲之者與。

子路しろ石門せきもんに宿しゅくす。晨門しんもん曰いわく、奚いずれ自よりする。子路しろ曰いわく、孔氏こうし自よりす。曰いわく、是これ其その不可ふかなるを知しりて、而しかも之これを為なさんとする者ものか。

石門晨門 … 皇侃おうがん本等では「石門石門晨門」に作る。

下村湖人(1884~1955)は「子路が石門せきもんに宿って、翌朝関所を通ろうとすると、門番がたずねた。どちらからおいでですかな。子路がこたえた。孔家のものです。すると門番がいった。ああ、あの、だめなことがわかっていながら、思いきりわるくまだやっている人のうちの方ですかい」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 40

論語 憲問第十四 40

子曰。作者。七人矣。

子し曰いわく、作たつ者もの七人しちにんなり。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。立ちあがったものが、七人だ」と訳している(現代訳論語)。

論語 憲問第十四 39

論語 憲問第十四 39

子曰。賢者辟世。其次辟地。其次辟色。其次辟色。

子し曰いわく、賢者けんじゃは世よを辟さく。其その次つぎは地ちを辟さく。其その次つぎは色いろを辟さく。其その次つぎは言げんを辟さく。

辟 … 皇侃おうがん本等では「避」に作る。
其次 … 宮崎市定は「其の次には」と読んでいる。「次の段階では」と訳している(論語の新研究)。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。賢者がその身を清くする場合が四つある。世の中全体に道が行なわれなければ、世をさけて隠棲する。ある地方に道が行なわれなければ、その地方をさけて、他の地方に行く。君主の自分に対する信任がうすらぎ、それが色に出たら、その色をさけて隠退する。君主の言葉と自分の言葉とが対立すれば、その言葉をさけて隠退する」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 38

論語 憲問第十四 38

公伯寮愬子路於季孫。子服景伯以告曰。夫子固有惑志於公伯寮。吾力猶能肆諸市朝。子曰。道之將行也與。命也。道之將廢也與。命也。公伯寮其如命何。

公伯寮こうはくりょう、子路しろを季孫きそんに愬うったう。子服景伯しふくけいはく以もって告つげて曰いわく、夫子ふうし固もとより公伯寮こうはくりょうに惑志わくし有あり。吾わが力ちから猶なお能よく諸これを市朝しちょうに肆さらさん。子し曰いわく、道みちの将まさに行おこなわれんとするや命めいなり。道みちの将まさに廃すたれんとするや命めいなり。公伯寮こうはくりょう其それ命めいを如何いかんせん。

於公伯寮 … 皇侃おうがん本等では「於公伯寮也」に作る。

下村湖人(1884~1955)は「公伯寮こうはくりょうが子路のことを季孫にざん言した。子服景伯しふくけいはくが先師にその話をして、いった。季孫はむろん公伯寮の言にまどわされていますので、心配でございます。しかし、私の力で、なんとかして子路の潔白を証明し、公伯寮の屍をさらしてお目にかけますから、ご安心下さい。すると先師はいわれた。道が行なわれるのも天命です。道がすたれるのも天命です。公伯寮ごときに天命が動かせるものでもありますまいから、あまりご心配なさらない方がよいと思います」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 37

論語 憲問第十四 37

子曰。莫我知也夫。子貢曰。何爲其莫知子也。子曰。不怨天。不尤人。下學而上達。知我者其天乎。

子し曰いわく、我われを知しるもの莫なきかな。子貢しこう曰いわく、何為なんすれぞ其それ子しを知しる莫なからんや。子し曰いわく、天てんを怨うらみず、人ひとを尤とがめず、下学かがくして上達じょうたつす。我われを知しる者ものは其それ天てんか。

莫我知也夫 … 私を理解する者は誰もいない。荻生徂徠は「世主せいしゅ、孔子を知る者無きを謂うなり」(謂世主無知孔子者也)といい、君主が孔子を登用してくれなかったことを指すといっている。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
也夫 … 「かな」と読み、「~なのかなあ」と訳す。慨嘆の語気を含んだ助辞。
子貢 … 孔子の門人。姓は端木たんぼく、名は賜し。子貢は字あざな。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【子貢】参照。
何為 … 「なんすれぞ」と読む。どうして。なぜ。
何為其莫知子也 … どうして先生を知らないことなどありましょうや。
下学而上達 … 手近なことから学んで、次第に高遠な道理に通ずること。孔安国(古注)は「下、人事を学び、上、天命を知る」と注釈している。荻生徂徠は「下は今を謂うなり。上は古を謂うなり。先王の詩書礼楽を学びて先王の心に達するを謂うなり」(下謂今。上謂古也。謂學先王之詩書禮樂而達先王之心也)といっている。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
上達 … 「達」は到達の意。徳や道理を知り、高遠な問題が分かるようになる。

下村湖人(1884~1955)は「先師が嘆息していわれた。ああ、とうとう私は人に知られないで世を終りそうだ。子貢がおどろいていった。どうして先生のような大徳の方が世に知られないというようなことが、あり得ましょう。すると先師は、しばらく沈黙したあとでいわれた。私は天を怨うらもうとも、人をとがめようとも思わぬ。私はただ自分の信ずるところに従って、低いところから学びはじめ、一歩一歩と高いところにのぼって来たのだ。私の心は天だけが知っている」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 36

論語 憲問第十四 36

或曰。以徳報怨。何如。子曰。何以報徳。以直報怨。以徳報徳。

或あるひと曰いわく、徳とくを以もって怨うらみに報むくゆる。何如いかん。子し曰いわく、何なにを以もって徳とくに報むくいん。直なおきを以もって怨うらみに報むくい、徳とくを以もって徳とくに報むくいん。

下村湖人(1884~1955)は「ある人がたずねた。怨みに報いるに徳をもってしたら、いかがでございましょう。先師がこたえられた。それでは徳に報いるのには、何をもってしたらいいかね。怨みには正しさをもって報いるがいいし、徳には徳をもって報いるがいい」と訳している(現代訳論語)。


論語 憲問第十四 35

論語 憲問第十四 35

子曰。驥不称其力。称其徳也。

子し曰いわく、驥きは其その力ちからを称しょうせず。其その徳とくを称しょうするなり。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。名馬が名馬といわれるのは、その力のためではなく、調教が行き届いて性質がよくなっているからだ」と訳している(現代訳論語)。

論語 憲問第十四 34

論語 憲問第十四 34

微生畝謂孔子曰。丘何爲是栖栖者與。無乃爲佞乎。孔子曰。非敢爲佞也。疾固也。

微生畝びせいほ孔子こうしを謂いいて曰いわく、丘きゅう何なんぞ是この栖栖せいせいたる者ものを為なすか。乃すなわち佞ねいを為なす無なからんやと。孔子こうし曰いわく、敢あえて佞ねいを為なすに非あらざるなり。固こを疾にくむなり。

孔子曰 … 皇侃おうがん本等では「孔子対曰」に作る。

下村湖人(1884~1955)は「微生畝びせいほが先師にいった。丘きゅう、お前はなんでそんなに、いつまでもあくせくとうろつきまわっているのだ。そんなふうで、おべんちゃらばかりいって歩いているのではないかね。先師がいわれた。いや、別におしゃべりをしたいわけではありませんが、小さく固まってひとりよがりになるのがいやなものですから」と訳している(現代訳論語)。

論語 憲問第十四 32

論語 憲問第十四 32

子曰。不患人之不己知。患其不能也。

子し曰いわく、人ひとの己おのれを知しらざるを患うれえず。其その不能ふのうを患うれうるなり。

患其不能也 … 皇侃おうがん本では「患己無能」、四部叢刊初篇所収正平本・縮臨本では「患己無能也」に作る。
「学而16」、「里仁14」、「衛霊公18」と同じ趣旨。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。人が自分を認めてくれないのを気にかけることはない。自分にそれだけの能力がないのを気にかけるがいい」と訳している(現代訳論語)。

論語 憲問第十四 31

論語 憲問第十四 31

子貢方人。子曰。賜也賢乎哉。夫我則不暇。

子貢しこう人ひとを方たくらぶ。子し曰いわく、賜しや賢けんなるかな。夫それ我われは則すなわち暇いとまあらず。

賜也賢乎哉夫 … 皇侃おうがん本では「賜也賢乎我夫哉」、四部叢刊初篇所収正平本・縮臨本では「賜也賢乎我夫」に作る。

下村湖人(1884~1955)は「子貢がある時、しきりに人物の品定めをやっていた。すると先師はいわれた。賜しはもうずいぶん賢い男になったらしい。私にはまだ他人の批評などやっているひまはないのだが」と訳している(現代訳論語)。