コラムの記事 (1/124)

大暑と甘酒

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有明抄 7/23

 梅雨も明け、じりじりと日が肌を焦がすようで、夏本番だ。きょうは二十四節気の「大暑(たいしょ)」。次の節気の立秋までが、一年中で最も暑い時とされる。<兔(うさぎ)も片耳垂るる大暑かな>。芥川龍之介。

熱中症対策の飲み物として注目されているのが「甘酒」である。俳句の世界では夏の季語。江戸時代、夏バテ防止の定番飲料だったからだが、最近は「飲む点滴」と呼ばれブームに。

もち米の粥(かゆ)に麹(こうじ)をまぜ、発酵させて作る甘味飲料で、発酵に6~7時間かけると甘酒になるところから一夜酒ともよばれる。酒とは名ばかりで、アルコール分はない。熱いのを、ふうふう吹いて飲むのが消夏法といわれる。

古くは奈良時代の『日本書紀』に登場し、江戸初期の俳書『御傘(ごさん)』には「ひと夜酒 夏なり。あま酒とも読めば、あま酒も夏なり」とある。行商で売られ出したのは室町時代からとされ、江戸のあとの方では四季を通しての飲み物となった。

この現代、食品メーカー各社が夏向けの「冷やし甘酒」なるものを売り出し、活気づく。市場規模もここ5年で3倍以上に膨らんだ。整腸作用に威力を示すオリゴ糖や疲労回復に効くビタミンB群、必須アミノ酸などが含まれ、「体にいい」との期待からだろうか。ぐいっと飲んで、厳しい夏を乗り切るのもまた良し。<一夜酒隣の子迄(まで)来たりけり>一茶。

キュウリ

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【胡瓜:きゅうり】

歴史
日本では1500年ほどの栽培の歴史を持ちますが、江戸時代までは主に黄色く完熟させてから食べていたので黄瓜(きうり)と呼ばれています。
しかし、完熟した後のキュウリは苦味が強くなり美味しくありません。
戦国時代に「医聖」と言われ、将軍足利義輝や織田信長など数多くの有名武将を診察した医学者曲直瀬道三(まなせどうさん)の『宜禁本草(ぎきんほんぞう)』(食用として植物、動物、鉱物を解説した食療本草書。病気に対する食物の良否を述べて、その起源や使用法が著されています。)などに書かれたキュウリの有毒性に関する記述の影響から、キュウリが懸念されるようになり、水戸黄門でお馴染みの徳川光圀は「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」、江戸時代の学者の貝原益軒(かいばら えきけん)も、「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」など、江戸時代末期まで印象の悪い野菜でした。
幕末、キュウリの産地だった砂村(現在の江東区)で、品種改良が行われ、成長が早く、歯ごたえがよく、味も良いキュウリが出来てから食されるようになりました。

栄養・効果
●見た目が緑色の野菜なので緑黄色野菜と思われますが、淡色野菜に分類されるキュウリは全体の90%以上が水分で、ビタミンC、カロチン、カリウムなどの栄養素が含まれていますが含有量は非常に低く、1987年ギネスブックに「最も栄養価の低い果実」として記録されています。(ただし当時のデータであり現在の版には載っていません。)
●利尿作用や体の老廃物を排出する効果のあるイソクエルシトリンという成分を含んでいて、むくみをとるのに効果があります。

選び方
●濃い緑色で、チクチクするくらいトゲが尖って、太さが均一なものが新鮮で良質です。
●真っすぐに伸びた綺麗なキュウリが高級とされ、曲がったものが安く売られていますが、味は変わらないので曲がりキュウリが安ければそちらの方がお勧めです。
●収穫時期が遅れて大きくなってしまったキュウリは種も大きくなっているので、生では食べにくいです。

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南風録 7/23

 鹿児島市の実家の庭でキュウリが食べ頃を迎えている。太陽の光を存分に浴びて育った深緑の実は、口に入れるとみずみずしい。しゃきっとした食感も楽しめる。

 キュウリの旬は夏だ。ヒマラヤ山麓が原産地で平安時代にはすでに日本で栽培されていたという。昔は苦みが強いため不人気で、食通で名高い水戸藩主・徳川光圀も「毒多くして能なし」と言って嫌ったらしい。

 9割以上が水分だからだろうか。「世界で最も栄養価の低い野菜」などとやゆされたこともある。だが、その水分や比較的豊富なカリウムが体を冷やし、熱を放出してくれる。夏バテや熱中症の予防に力を発揮してくれるに違いない。

 同じ夏野菜のトマトはビタミン類など栄養素を多く含み、疲労回復にも効くとされる。ヨーロッパでは古くから「トマトが赤くなると医者が青くなる」といわれているほどだ。旬の野菜には時季に合った効能が詰まっているということだろう。

 とはいえ、最近はキュウリもトマトも、一年中店頭に並ぶ。旬が夏だと知らない人もいるようだ。栽培や保存技術が発達して多くの恩恵を受ける一方、食卓から旬が消えつつあるのは味気ない。

 きょうは二十四節気の大暑。一年で最も暑いとされているが猛暑はこれからが本番だ。夏野菜の力も借りながら乗り切りたい。漬物、酢の物、冷やし中華…。今夜は、キュウリで一品といきたい。

怪談の聞き方

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怨霊のふるさと

■ 有井基 『怨霊のふるさと 兵庫のミステリー』 のじぎく文庫 1972年(昭和47)12月刊 

 有井基(ありいはじめ、1932~2006)、神戸新聞記者で郷土史研究家。

目次

ひしめく“怨霊”の群  信じようと信じまいと 芦屋の幽霊さわぎ 常識と怪談 深層の恐怖 一本足の怪 ……

人と動物が変身する時  子育て幽霊 賽の神の近くに ウブメの怪 嫉妬に狂う鬼女 小天神の呪い ……

石にも木にも血の刻印  師直の妄念 石工の災難 石にこもる魂 血ぬられた石 淡路の“河童駒引き” ……

海の妖異と人魂と  髑髏をにらみ返す 福原遷都に恨みの声 崇徳院のタタリ 波間に平家の怨霊 奪われた姫 ……

“怨霊”の話は「一本足の怪」(山人)から始まり、「一眼一足」(山の神と田の神)、「一つ目小僧」(山の神と山の男=製鉄)、「片目の魚」(たたり)、そして「御霊信仰」に行きつく。

御霊信仰とは、奈良時代末期から平安時代にかけて盛んになった民間信仰で、いずれも権力抗争に敗れた貴族や政治家、のちには戦いに負けた武士の、霊をなぐさめ、なだめるためのものだった。それは、疫病の流行、不時の死、さらに天変地異ことごとくが怨霊の祟りだと信じられた時代の発想であり、その後も庶民の生活の中に生きてきた。

「播州皿屋敷」も怨霊の祟り。主人が大事にしていた皿を割って手打ちになった腰元の幽霊の話。姫路のお菊神社の由来記では、お家騒動がからんで、お菊は主君を守った神として祀られている。同じ話が各地にある。土佐では庄屋の下女、播州の修行者が登場する。江戸の「番町皿屋敷伝説」を浄瑠璃にするにあたって、「番町」をはばかって「播州」にした、という説もある。
 いろいろな詮索よりも広く流布したことに興味がある。

女中や下女が、領主や庄屋といった権力をおびえさせ、ほろぼした話が、たとえ、つくり話にしても各地で共鳴を興した、その事実のほうに興味がある。絶えず押しつけられていた庶民が、その話を通じて、ざまあみろ、の快哉をさけんだ心情は、だれにでも用意におしはかれるだろうから。

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正平調 7/23

芦屋の閑静な住宅街に、女の幽霊が出るらしい。うわさを耳にしてやってきた若者は約200人に上り、パトカーが出動する騒ぎとなった。1968(昭和43)年の真夏の夜の出来事という。

有井基(はじめ)著「怨霊のふるさと~兵庫のミステリー」(のじぎく文庫)によるところでは、現場には高さ3メートルの大理石の門柱があった。風化で一部にくぼみができ、それが髪振り乱す女の姿に見えたのが真相らしい。

怪談、オカルト…といった言葉にはどこか昭和の懐かしい響きがある。昼間の怖い話におびえ夜の寝床でトイレを我慢した子供のころ、あるいは友人らと肝試しを楽しんだ青春のときを思い出す人もいるだろう。

きょうは一年で最も暑いころとされる、二十四節気の「大暑」。梅雨も明けて、気温は連日30度を超えている。昔にならって、怪談噺(ばなし)に涼を求めるのも乙かもしれない。

「怪談の聞き方」という古い随筆で、英文学者の吉田健一さんがお化けよりぞっとするものを教えてくれている。「セシウムにストロンチウム、煙草(たばこ)を飲めば癌(がん)になるとか」そんなことを考えたらよろしい…と。

原発や煙草の煙に限らず、世の中、怖い話が増えた。雑誌やテレビ欄に「怪談」「心霊」の文字を見つけては、何やらほっとする昨今ではある。

棚上げ

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「山陽新聞」のコラム

備前市出身の作家柴田錬三郎には生死をさまよう体験があった。衛生兵として召集されていた一九四五年。台湾南方のバシー海峡で乗船が撃沈され、数時間漂流した。

 「ただ、茫然(ぼうぜん)と海上に浮いていた」。随筆集「地べたから物申す」の中で、わが生涯の中の空白としてこう回想する。この異常体験が、後の「眠狂四郎」シリーズに代表される虚無の文学世界につながったのだろう。

 岡山市の吉備路文学館で没後三十年を記念した「柴田錬三郎展」が開催中(十八日まで)だ。自筆原稿や写真、自ら絵付けした皿、小説の題字にも使われた独特の書などが並び、ダンディズムを貫いた人気作家の足跡が浮かび上がる。

 「文壇の無頼漢」を自称し、“シバレン”の名で親しまれた。苦虫をかみつぶしたような表情で眼光鋭く紫煙をくゆらす写真からは、孤独な魂の輝きが伝わってきそうだ。映画で眠狂四郎を演じた市川雷蔵と一緒の写真も目を引く。

 母校の小学校に送った手紙では「私が希望したいのは、自分はいったい何が好きかということを早く見つけること」と助言し、後輩を思う優しい素顔をのぞかせる。

 歯に衣きせぬ毒舌家としても知られ、軽佻(けいちょう)浮薄な世相を切りまくった。政治への信頼が失われ、社会の劣化が進む混迷の今の時代をどう見ているだろうか。

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天鐘 7/23

 置き忘れの経験を持つ人は多いだろう。批評家の小林秀雄さんは帽子をよく電車内に置き忘れたという。かぶっていれば良さそうだが、車内だから周りに遠慮して脱ぐのだろうか。何とも厄介な置き忘れ癖だ。

今度は忘れないぞ―とばかりに、よく見える向かいの棚に帽子を置き、見上げていたというから面白い。別の事柄を考え始めたのがまずかった。ある駅に到着して、棚の下に座った乗客が降りる際に「君、帽子!」と言った。もちろん自分の帽子である。

相手は礼を言ってプラットホームを出て行った。自分のと気付いたが後の祭り。作家柴田錬三郎さんの『地べたから物申す』(集英社文庫)にある。どっちもどっちだ。

政治家の説明責任を帽子に見立てればどうか。小林さんのように、どこかに忘れてきた―では通用すまい。政策や決定過程に透明さがなければ国民の信頼は得られない。

透明さを担保するのが政治家の説明責任であろう。それがないがしろにされては権力の乱用になりかねない。「1強」の政治状況だからこそ、安倍政権には欠かせない。

「加計学園」「PKO日報」問題を巡って、安倍首相らの丁寧な対応が求められる。説明責任という帽子を忘れずに、しっかりと国民の疑問に答える必要がある。小林さんは、帽子を棚の上に置いていた。だが政治家のこの帽子は“棚上げ”してしまえば、責任逃れになってしまう。

ガンダムのジム

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『僕たちはガンダムのジムである』

【本書のポイント】

■僕たちはその他大勢の一人にすぎない

 2012年の春、僕は一生経験することがないであろう、貴重な体験をしてしまった。それは15年間に及ぶサラリーマン生活にピリオドを打ち、フリーランスのライター、講師になるとともに、大学院に進学したことだ。自由になったその直後に『機動戦士ガンダム』を観直したのだ。会社を辞めた後に思わず「ガンダム」を観たくなったのは偶然のような必然だった。
 そして気づいてしまった。「ガンダム」が僕たちが生きていた企業社会の縮図であるということに。地球連邦軍もジオン公国軍も、まるで企業のように見えたのだった。
 さらに、衝撃的なことに気づいたのだ。
 僕たちは、「ガンダム」のジムのようなものであるということに。
 そう、ガンダムではなく、ジムなのだ。量産型で、よくやられる。自分はガンダムだ、主役だと信じているのだが、仕組まれた自由や幻想に踊らされ、いつしかジムのようになっている。会社にも社会にも埋没している。
(中略)
 ではジムは、だめなのか?否。世の中はデキる人、意識の高い人で動いているのではない。普通の人で動いているのである。自分はその他大勢とは違うと思っている人も小さな一人でしかない。量産型のジムでも、パイロットとしての能力を上げ、機体の性能アップをし、環境を選び、戦略・戦術を工夫し、戦闘をやり切れば、生き残ることができるはずだ。
(本書より P3~P6)


■この仕事は明日もあるのか?

 15年間のサラリーマン生活を振り返って思い出すのは、いつも「曖昧な不安」に追われていた日々のことだ。いや、具体的な不安もある。企画書は締め切りまでに書けるだろうか、営業目標を達成できるだろうか、職場の人間関係が上手くいくのだろうか、左遷されないだろうか、住宅ローンを返せるだけのボーナスがでるだろうか・・・・・・。当時、真性の「社畜」だった僕は、ネタではなく本気で、このことを心配していた。
 しかし、こんな切迫感のある具体的な不安以上に、「曖昧な不安」の方が大きかった。リクルートという比較的スピードが速く、ドラスティックな改革をやる企業にいたこともあるが、いつも「君は生き延びることができるか?」と問いかけられていたように思う。
 入社してから僕が体験したことは、実は世の中の変化とともに連動している。皆さんもきっと、少なからず体験しているはずだ。
(本書より P47~P48)


■「すごい人」ならなければいけないという幻想

 「キャリアアップ」幻想がみんなをおかしくしている。カッコつきにしたのはちゃんと理由があって、キャリア教育にかかわっている者から言わせると、そこにはアップもダウンもなく、すべてが自分が歩んできた轍なので、「キャリアアップ」という言葉はおかしい。この言葉を使っている人がいたら素人だと思っていい。それでも、その他大勢から抜け出したいから、ジムである自分を認められないから、みんな「キャリアアップ」や「スキルアップ」に踊らされ、気がつけばアップアップしている。転職しなくちゃと思ったり、資格の勉強をしたり、ビジネス書を読んだり、異業種交流会に参加したり、ソーシャルメディアでがんばってみたりするが、いまいち成長しないし、仕事ができるようにもならない。
 目を覚ますのだ。隣の芝生は青く見えるものである。「友人の○○に比べて、自分はがんばっていないように思う」「もっと年収を上げなくちゃ」「この仕事で身につくスキルは市場価値があるのだろうか?」というような感情が沸き起こるわけだが・・・・・・人生は長いのである。成功したかどうか、「キャリアアップ」したかどうかの評価は、短期・中期・長期で考えなければならない。
(中略)
 「すごい人」にならなければいけないという幻想がジム型人材を襲う。ジムである自分が許せなくなる。しかし結果として、そこから迷走が始まるのである。
(本書より P98~P100)


■ジムであることに絶望するな

 僕たちは「ガンダム」のジムである。
 そんなことは考えたことも受け入れがたい事実だろう。でも、あらためて気づきたい。僕たちは「ガンダム」のジムであると。あえて言おう、ジムであると。
 ただ、ジムであることを卑下してはいけない。
 『機動戦士ガンダム』は、ガンダムと次々に現れるジオン公国軍の新型モビルスーツとの決闘シーンを中心に進んでいく。
 でも、ちょっと待ってほしい。絶対数で言うならば、そこでは描かれていない、無数にジム対ザクによって戦争は進んでいたはずである。そして、実際のビジネスもそうやって動いている。
 名門企業も結局、ジムのような人で動いている。それこそ東大生などから就職先として絶大な人気を誇る外資系金融機関や、外資系コンサルティング会社や、総合商社に行ったところで、その組織の中では東大生でさえジムのような存在なのである。
 ジムに絶望しないでほしい。世の中は、働く人の1%もいないであろうガンダムのような人ではなく、残り99%のジムのような普通の人で動いている。いくら名経営者がいたところで、ジムがいなければ世の中は動かない。
(中略)
 世の中はジムで動いている。そこから逃げてはいけないし、それを卑下してもいけないのだ。
(本書より P105~P107)


■等身大の人から刺激を受ける

 世の中は仕組まれた自由と、包帯のようなウソでできている。「デキる人」に騙されないようにしよう。彼らは確かに普通の人以上の力があるのだろうが、とはいえ、演出されている部分も大きいからだ。時には、経歴を捏造したり、誇張したりしていることさえある。企業の広告塔的な人ならなおさらだ。いや、確かに本当にすごい人もいる。いわばガンダムのような人材である。ただ、彼らは何もかもが規格外であり、まったく参考にならない。
(中略)
 それよりも参考にすべき人がいる。それは、社内で愛されている普通の先輩だ。あるいは、古くから知っている、他社に行っている昔の先輩だ。つまり、身の回りにいる、仕事で成果を上げている人、取引先や仲間から信頼されている人にこそ学ぶべきである。ビジネス誌などに出ているデキる人から刺激を受けるのもいいが、大事なのは目の前にある今の仕事であり、今の会社なのだ。その仕事で成果を上げている人、会社で認められている人にこそ学ぶべきであろう。
 「カッコ悪い自分」を恥ずかしがらないことだ。ここで書いたような、一見すごく見える人の多くは虚飾の産物である。よく見せようと努力していたり、過大評価の連鎖でそうなっている。隣の芝生は青く見えるが、実際はもう枯れていて人工芝かもしれない。カッコ悪い自分に誇りを持とう。実際はあなたは、「デキる人」よりもかっこいいかもしれない。自分が何を正しいと思うか。かっこ良さはあとからついてくる。
 すごい人だけに憧れてもダメだ。等身大の人から刺激を受けよう。
(本書より P144~P146)


■弱いジムだからこそ戦略が必要だ

 人生には戦略が必要だ。打たれ弱いジムだからこそ、戦略がなければ生き残れない。パイロットの操縦スキルが上がるか、機体を「ジム・カスタム」などにバージョンアップさせるか、戦う環境を選ぶことが大事だ。中でも、戦う環境を選ぶこと、つまり最良のポジションを見つけることは、難しそうで実は取り組みやすい。
(中略)
 戦略とは何か?戦略とは何をやって、何をやらないかを決めることである。違いを生み出すことである。特に競争が激しい環境においては、自分の苦手なポジションで、血で血を洗う争いをすることは賢いことなのだろうか?違う。自分にとって有利な物事を進められるポジションを見つけること、ポジションの違いを作り出すこと、つまり「自分が戦う環境を選ぶ・作る」ことが大事なのだ。
(本書より P155~P156)

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卓上四季 7/23

人気アニメ「機動戦士ガンダム」に出てくるジムは、量産型ロボットで性能は高くない。いわば「その他大勢」だ。

札幌出身で千葉商科大専任講師の常見陽平さんは、この作品に世の中の縮図を見る。著書「僕たちはガンダムのジムである」で、1%のガンダムより、99%のジムのような普通の人の役割こそ大切と説いた。

連合のホームページに、題して「1億総活躍より1億総安心労働社会を!」という1年前の対談が載っている。神津里季生(こうづりきお)会長が常見さんと意気投合し、労働規制緩和の流れを憂えていた。「隔世の感」を禁じ得ない。

ジムたちの怒りだろうか。連合本部前で市民有志がデモを行った。普通の働き手たちが「労働者代表」に抗議する前代未聞の事態である。一部専門職を労働時間の規制から外す「残業代ゼロ法案」を巡り、連合執行部が条件付きで容認に転じたからだ。

同じホームページでは、事務局長時代の神津氏のコラムも読める。「労働基準法の改悪法案」「財界から『小さく産んで大きく育てればいい』という声が出ている」「このような法律を通すわけにいかない」。全くその通り。一体、何が変わったのか。

安倍晋三首相が振り回すうさんくさい「ドリル」は、岩盤規制に穴をあけるという。しかし、ここで「岩盤」呼ばわりされているのは、長い間、労働者を守ってきたルールだ。連合が盾にならないでどうする。

宿題

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本書は、幕末に来日し、日本に大きな足跡を残したドイツ人医師シーボルトと、長崎の遊女・其扇(滝)との間に生まれた娘・稲の物語です。

シーボルトが日本を去った後、母の滝が嫁した俵屋時治郎は、混血児・稲に対しても寛容でした。そのお蔭で、稲は学問の上でも優れた才能を表し、自らオランダ語の習得に熱意を燃やし、やがて日本初の女医 としての道を歩むことになります。父親であり、名医と謳われたシーボルトの娘らしい運命だと言えます。
しかし、稲はその真摯な熱意に反して、幾多の宿命に翻弄されます。そうした悲運にも関わらす医業に励む稲の姿は、とても感動的です。
稲、稲の娘タカの夫となる三瀬、来日したシーボルトの長男アレキサンデル(つまり稲の異母弟)と、時代の先端を駆けて行った人々の群像が、本作品の中で見事に浮かび上がってきます。その一方で、滝・稲・高子と、時代に翻弄されたような3代の女性の悲哀もまた描かれています。
明治期に入ると、先覚者だった稲の医術も、もはや時代に遅れたものとなりますが、新たな世代によって更に道が継がれていることに、光明を見出すような思いにかられます。

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中日春秋 7/23

「小学生時代、夏休みの宿題はかなりの量であったが、それを私は、夏休みがはじまった日から遊ぶこともせずにこなし、五日ほどで仕上げた。それから夏休みの間、宿題の日記だけを書くだけでのんびりと過(すご)した。」

わが身の自慢として書きたかったが、そんなはずもなく『ふぉん・しいほるとの娘』などの作家、吉村昭さん。夏休みの宿題といえば、ぎりぎりまでほっておいた揚げ句、「最後の夜」に半泣きでという苦い思い出のある人も少なくないだろうに五日間とは恐れ入る。

作家になった後も原稿の締め切りを一度として守れなかったことはなかったと聞く。夏休みの宿題と同じで頼まれた期限より十日ほど早く自分の締め切り日を決め、それに合わせて書き上げていた。これなら遅れるはずはない。

吉村さんとは違い、この子は夏休みの宿題が間に合わなくてもさほど気にはならないらしい。「だって締め切りを延ばしてもらえばいいんだもん」。その子の名は、日銀である。2%の物価目標の達成時期の見通しについて「二〇一九年度ごろ」と再び先送りした。

これで六回目の先送り。大規模金融緩和によって物価を上昇させデフレ脱却を図る宿題がなかなか終わらない。

黒田東彦(はるひこ)総裁の任期は一八年四月。夏休みの宿題を終える今度の目標は「卒業後」ということになる。小学生ならば先生と両親から大目玉である。

議事録 : ブーメラン


「素人を防衛大臣にしないでほしい」稲田防衛大臣、自らの過去発言がそっくりそのままブーメランに
2017年7月7日23:32 by shishimaru | カテゴリー こぼれ話


稲田防衛大臣の過去の発言が、そのまま稲田防衛大臣の首を絞めるという、なかなか面白い事態となっています。詳細は以下から。

まず見てもらいたいのが、第179回国会予算委員会の議事録。

当時野党だった自民党の稲田朋美氏が当時の一川防衛大臣を政治とカネの問題で糾弾する際、防衛大臣の資質を強い口調で問い詰めていますが、その内容を読めば読むほど「えっ、自己紹介?」と言いたくなってしまいます。これぞまさにブーメランです。

<1>
防衛大臣、あなたは自分の役目がわかっているんですか。あなたの役目はこの国を守ることであって、あなたの身の保身を守ることじゃありませんよ。いいかげんにしてくださいよ。

<2>
大臣、もう一度、これだけ混乱をさせて、官僚の責任じゃないんです、あなたの責任なんです。この混乱を、自分が受けとめて、この場で辞任を表明されるべきだと思いますが、この場で表明をされませんか。

<3>
あなたは公じゃなくて私を優先しているんです。そして、自分の保身を優先しているんです。そんな人にこの国を守れるわけありませんから。 今の大臣の答弁を聞かれて、総理、それでも総理は防衛大臣を更迭しないで、そして防衛大臣を守るおつもりですか。

<4>
不用意な発言が多過ぎる。素人だなどと発言をされました。総理、御自分のことを素人だなどと発言している防衛大臣を置いておくこと自体、国益に反しますよ。そんなおめでたい政府は世界じゅうどこにもありませんよ。防衛大臣が、自分は安全保障の素人だなどと言っている、そんな人を防衛大臣に据えている、そんなおめでたい国はどこにもなくて、世界じゅうからの笑い物ですよ。

<5>
笑わせないでくださいよ。国民目線と言うのであれば、素人を防衛大臣にしないでほしいというのが国民目線ですよ。

弁護士であるにもかかわらず、都議選で自民党公認候補を応援する際に「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と、憲法・自衛隊法・公職選挙法違反の数え役満をやってのける、まともな答弁もできないなど、法律のエキスパートとしても国務大臣としても資質に疑問符が浮かばざるを得ない稲田朋美氏。

ここまで見事に過去の自分に刺される政治家も、珍しいのではないでしょうか。


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斜面 7/22

民主党政権下の2011年12月。自民党の稲田朋美氏は衆院予算委で一川保夫防衛相を追及した。沖縄防衛局長が県民感情を逆なでする発言をして更迭。防衛相も米兵の少女暴行事件を「詳細には知らない」と答弁し批判を受けていた。

 稲田氏は「沖縄県民、国民の怒り」を背に辞任を求めた。口を極めるとはこういうことか。議事録から発言を抜粋する。「官僚に責任をとらせて終わりか。政治主導とは政治家が責任をとること。部下には厳しく自分には甘い。それで示しがつくのか」

 「公より保身を優先している。そんな人に国を守れるわけはない」「ブータン国王の宮中晩さん会をキャンセルし同僚のお金集めパーティーに行った」「不用意な発言が多すぎる。自分を素人などと発言している防衛相を置くこと自体が国益に反する。世界中の笑いものですよ」

 追及のブーメランが防衛相を務める稲田氏に向かって戻ってきた。南スーダンPKO部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題だ。幹部の会議で陸上自衛隊が保管していた日報データは個人が集めたものだから公文書に当たらないと非公表を決めた。稲田氏も了承したという。

 かつて海自の護衛艦乗組員がいじめを苦に自殺した問題で「廃棄した」と説明した関連文書が内部告発で出てきたことがあった。組織防衛による隠蔽体質があるからこそ、文民統制の要の防衛相がいる。その役目を担えるのか。稲田氏は11年の議事録を読み直し、胸に手を当てたらどうか。

思わぬ大発見

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談話室 7/22

その夏はひどい渇水だった。大江町の最上川は川床の岩盤が露(あら)わになり偶然、夏休みの小学生2人が巨大な骨の化石を見つけた。800万~1千万年前の新種と判明し、後に「ヤマガタダイカイギュウ」と命名される。

発見された1978(昭和53)年のこと。県立博物館の報告書に緊急発掘の様子が生々しい。作業の終盤に激しい夕立。川は見る見る水かさを増し、間一髪で化石の岩塊を掘り上げた。川床はその夏以降とんと水面から出なくなったというから、幸運な世紀の大発見だった。

一方、こちらは千葉県市原市の養老川岸。77万年前に地球の地磁気が逆転した痕跡を示す地層が見られるという。年代の境界を表す良好な地層と認定されれば近々、地球史に初めて日本由来の「チバニアン(千葉時代)」という名が登場するかもしれない。吉報を待ちたい。

昨晩は本紙の編集制作フロアに多くの小学生親子が訪れた。恒例となったミッドナイト・ツアー。普段見ることのない新聞作りの現場は、子どもたちの目に新鮮だっただろう。いよいよ夏休み。いろいろな場所に出掛けてみたい。思わぬ大発見が、待っているかもしれない。

ねじばな

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中日春秋 7/22

<捩花(ねじばな)はねぢれて咲いて素直なり>青柳志解樹(しげき)。ネジバナは夏の季語。まっすぐ天に伸びた緑色の細い茎に、小さな小さな桃色の花が、らせん階段のように並ぶ、野生のランだ。こんな句もある。<捩花のもののはづみのねぢれかな>宮津昭彦

それにしても、ネジバナの花々はなぜ、あれほど見事ならせんを描いているのか。富山大学の石井博教授らは、そのねじれ具合と、花粉を運ぶハチとの関係を調べた。ねじれが強いものと弱いものでは、どちらが生存に有利なのか。

ねじれが弱いと、小さな花々が縦に並ぶから、ハチはたっぷり花粉を運ぶが、同じ個体の中で受粉される「自家受粉」を起こしやすい。ねじれが強いと、ハチが花粉を運ぶ量は減るが、すぐ他の個体に飛ぶので「他家受粉」となりやすい。量の面ではねじれが弱い方がよく、質の面では強くねじれている方がいい。一長一短。どっちもどっちというわけだ。

ネジバナには右巻きと左巻きのものがあるが、これも半々。石井教授は「ねじれの強弱、右巻き左巻きで、どちらかが有利なら淘汰(とうた)が起きるはずですが、そうなっていない。そもそもなぜらせんなのかも、実は分かっていません」と解説する。

強も弱も、右も左も。どっちつかずのねじれ方こそ、可憐(かれん)なネジバナのしたたかな生存戦略かもしれぬ。

<まっすぐに生きてるつもりねじれ花>たかはしのぼる

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ネジバナのねじれる方向について

質問
今年気が付いたのですが、芝生の庭に咲いているネジバナが固体によって花がねじれる方向が違うのです。自宅の庭や公園などで見てみると、右巻きと左巻きが半々でした。普通、ツル植物などは一つの品種では同じ方向に巻いていると思うのですが、どうしてネジバナは巻き方が二つあるのですか。そして、優勢遺伝はしないのですか。図書館などで調べましたが、そもそもネジバナについて記述したものが見つかりませんでした。よろしくお願いいたします。 ひでさん

みんなの広場へのご質問有難うございました。
私の先生格の先生の飯野徹雄先生がネジバナのねじれ方に興味を持っておられたことを思い出しましたので、飯野先生のお弟子さんの奈良女子大学の鈴木孝仁先生に回答をお願いいたしますた。鈴木先生は、飯野先生を始め色々な方とご相談の上、以下のような回答をお寄せ下さいました。ご参考になれば幸せです。

ネジバナの花の付き方は、主に染色体性の1遺伝子によって決められいるという研究が昔にあるそうです。また、螺旋のない直線型の変異体もあるそうです。
ご質問のように、ほぼ1対1で右巻きと左巻きが現れる場合には、その両方が現れる(どちらになるかがランダム)ことがその株の遺伝的性質とみなせそうです。
右巻きのみ、左巻きのみ、あるいは直線型の変異型品種と交雑実験を行えば、優劣も分かるはずです。ただ、ショウジョウバエの遺伝子地図をつくったことで有名なステータバントは、当時マイマイの巻き方が母性遺伝であるとした説を否定して、卵の段階ですでに右巻きか左巻きかの指令が出ていることを交雑第2代での自家受精によって証明した例がありますように、優劣の見分けられない中間遺伝なのか、優劣の対立遺伝子によって決まっているのかは、相当な交雑実験が必要だと思います。

花の並び方は包葉と呼ばれている花の下にある特殊な葉の付き方で決まり、その包葉がどこに付くかは、その包葉より古い包葉がどこに配置されていたかによって決まります。新しい包葉は古い包葉からなるべく離れた位置に出来ます。らせん葉序が1:1で出現するのが一般的だそうですので、ネジバナの花の巻き方に二つあることは、むしろ普通であると言えるのでしょう。

鈴木 孝仁(奈良女子大学)

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・中学生の研究 「ネジバナのねじれに規則性はあるのか」

「ネジバナのねじれに関する研究」という論文があります。

なんと中学生の研究です。

冷静にネジバナを観察し、その捻じれ方についての推論を研究しています。

「研究のねらい」として以下の3点があげられています。

1.ネジバナの巻く向きについて、左右同じ程度にあるのか、また、場所や環境によって、左向き・右向きに差があるか調べる。
2.ネジバナの巻く回数について、どの程度か、また、場所や環境によって巻き数にちがいがあるか調べる。
3.1,2やネジバナの形態観察等を通して、なぜ、どのようにしてネジバナがねじれるのかを調べる。

おおよそ600本のネジバナを観察したようです。

ネジバナの「巻く向き、何回巻くか」については、「環境によるものであることも想像させるが、しかし観察地点毎にある一定傾向になるわけではなく、その要因がわからない」としています。

さらにネジバナがどうやってねじれていくか、二つの仮定をたてて実証を試みています。

ネジバナの茎をルーペ等でよく観察すると、やはり茎がねじれているのが観察される。やはり茎がねじれて、ネジバナになっているんだと考えた。

彼女は、インクを染み込ませてさらに観察をし、以下のように書いています。

しかし、さまざまなタイプを観察すると、そうとばかりはいえないことがわかってきた。

これだけの観察をしても結論には到達しないばかりでなく、研究の中で足りなかった視点などを「おわりに」で書かれています。

ねじれの要因は環境要因と考えた場合、太陽の運行、雨量など様々な条件が絡み、ネジバナの茎のねじれや伸びの量など、まだ追求を続ける必要がある。

最初、花のつき方と茎のねじれと花の巻き方についての関係がわからず観察していた。早めにこのことに気づいて、データーを取り、整理すればよかった。

夏休みになると植物の観察日記の宿題がありましたが、今なら、じっくり観察するそういう宿題も楽しいと感じるかもしれません。


…………………………

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スッと伸びた1本の茎に、
ピンク色の小さな花がびっしりと螺旋状に付いている。
蜂がひと花ずつ蜜を吸って、螺旋階段を上っていく。
ちょっと目にはファンタスティックな光景だけれど、
じっくり見ていると、腕のいい職人さんの手によるような
規律正しいねじれ並びが一種異様に思えてくる。
どうしてこうも整列しなくちゃならんのか、
どうしてこうもねじれなくっちゃならんのか、と。
ネジバナについては昔から
「ただ者ではない」と思っていた。
思いっきり育っても身の丈20センチくらいである。
小さく細身で、原っぱや空き地で見ても
普通は気付かないほどの
見た目は地味な野の草なれど、
何かしら「ただ者ではなさ」ぶりが漂っていた。
そして今回、梅田さんの解説で、
やはり「ただ者ではなかった」ことが判明した。
それも私の想像をはるかに超えて
「ただ者ではなかった」のだ。

まず意外だったのは、ネジバナがランの仲間ということ。
地味な印象ゆえに結びつかなかったのだけれど、
ルーペで覗くとまさにランの花。
それも、ラン中のランと言われる
カトレアにそっくりではないか。
唇の形をしたピンク色の5弁から
白い弁が1枚ベロのように出ている。
こうして見ると妖艶でもある。
地味な野の花との概念が一瞬のうちに消え去った。

次に驚かされたのはラン菌問題だ。
ネジバナの種は発芽に必要な栄養分を持っていない。
そのために、風に飛ばされ新居を得たネジバナの種は
土中にあるラン菌を呼び寄せる。
ラン菌は種の外側を食べて増殖していくが、
それはネジバナの作戦で、
寄生し太ったラン菌から
発芽のための栄養分をたっぷり吸収するためだ。
発芽して育ち葉を広げ、
光合成で自ら栄養分が作り出せるようになると、
今や不要となったラン菌を
今度は自分の栄養分として食べて(吸収して)しまう。
育ててもらった相手をきっちりと食べるのだ。
ドライでクールで非道である。
しかし賢い。

もひとつ拍手ものだったのは“巻き”の謎。
「よく見てください、花はみんな横向きでしょう?」
とルーペを覗いたまま梅田さんは言う。
なぜ横向きか、は、さすがにもう、
私もガッテン承知の助で、
虫や蜂が中に入りやすいようにである。
「しかしみんなが同じ方向に付いていると‥‥」
と梅田さん。
「あ! そうか、傾くんですね? 重みで」と私。
何とネジバナ、力学も熟知していた。
左右の重みのバランスが取れるよう、
螺旋状に茎を巻きながら花を付けることにしたのだ。


…………………………

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 右巻きの花穂と左巻きの花穂を良く見ると、花のつき方が違っていました。
正面から見て、茎の左側に花がついている物は、茎は左巻きにねじれているのですが、見かけ上、花は右巻きになります。
 正面から見て、茎の右側に花がついている物は、茎は右巻きにねじれているのですが、見かけ上、花は左巻きになります。
  

パンダ

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滴一滴 7/21

中国の奥地でひっそりと生息していたパンダがフランス人宣教師に“発見”されたのは148年前だった。地元では重視されておらず、欧米の熱狂ぶりに中国も愛らしさの価値に気づいたとされる。

知れば知るほど不思議な動物である。竹を食べるのはおなじみだが、もともとは肉食だったとされ、パンダの腸は竹の消化に向いていない。栄養がうまく吸収できないから食べ続け、なおかつ、体力を温存するために長い時間を寝て過ごす。

東京の上野動物園で先月生まれた赤ちゃんパンダは順調に成長しているようだ。園を管理する東京都が28日からインターネットなどで名前を公募する。

かわいい名前がついた後は末永く人気者でいてほしいが、そうはいかないらしい。両親のリーリーとシンシンは中国から有料で借りており、赤ちゃんも2歳になれば中国に返すことになっている。

日本にいる他のパンダも所有権は中国にある。友好の証しとして各国へ貸し出す中国のパンダ外交は有名だが、習近平国家主席は特に熱心らしい。強権的な政治手法を平和的なイメージのパンダで包み隠す戦略だろうか。

とはいえパンダの身になれば、いずれは故郷で暮らせる方が幸せかも。絶滅が危惧される野生のパンダは中国でも約1800頭しかいない。日本生まれの赤ちゃんパンダ、健やかに育ってほしい。

夏の野菜

水鉄砲 7/21

 暑さで食欲が落ちるこの季節になると、薬膳料理の達人、程一彦さんを思い出す。二十数年前、連載を依頼したのが縁で知り合い、料理や食材の話をあれこれ教えてもらった。

 とりわけ夏野菜の話が懐かしい。例えば、キュウリは水分が豊富で体を冷やしてくれる。ぬか漬けにすると、米ぬかと乳酸菌が働いてビタミンが増える。食欲がない時には短冊に刻んで油で炒め、少量のラー油としょうゆを垂らすと、ぴりっとして食べやすい――といった具合だ。

 夏野菜の効能は古くから知られている。「トマトが赤くなると、医者の顔が青くなる」「ミョウガは刻んでみそ汁に入れたり、そうめんの薬味にしたりすると、食欲を引き立ててくれる」「夏ばてにはネバネバ野菜。オクラに含まれる成分は免疫力を高め、胃腸の調子を整えてくれる。ネバネバ仲間の山芋と合わせて酢の物にするとよい」。

 野菜だけではない。夏の果実、例えばバレンシアオレンジに含まれるクエン酸は、代謝をよくして疲れを取ってくれるし、ビタミンCは美肌や風邪予防に効果があるという。

 それぞれ紀南の地で採れるものばかり。地元の新鮮な食材を利用して元気を回復したい。程さんも「出来合いの食べ物でも、何らかの手を加えてください。健康面でも精神面でも重要なことです」といっている。

 ひと手間掛ければ、自分だけの料理ができる。手間を惜しまないことが夏ばて防止につながる。 

人間の鎖

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南風録 7/21

 ロシア民話の「おおきなかぶ」は、子どもたちに人気の物語だ。彫刻家・佐藤忠良さんの挿絵がついた福音館書店の絵本に親しんだ人たちも多いのではないか。

 とてつもなく大きく育ったカブはなかなか抜けない。おじいさんがおばあさんや孫娘を次々に呼び、犬や猫たちまで動員して「うんとこしょ、どっこいしょ」と掛け声をかける。長く連なって引っ張るイラストはユーモラスだ。

 さらに大勢が連なればカブどころか人命の救助までできてしまうようだ。米南部フロリダ州で先日、海水浴客ら約80人が浅瀬から100メートル近くの「人間の鎖」を作り、沖に流された一家9人を助けた。

 最初に子ども2人が沖合から戻れなくなった。救助しようとして両親や祖母ら7人が次々に海に入ったが全員が流されてしまう。「天使のような人たち」に救われたと感謝する母親の言葉は心から出たものだろう。

 一家が流されたのは、離岸流とみられる。海水の循環現象で岸から沖に向かう急激な潮の流れである。泳ぎの達者な人でも流れに逆らって抜け出すのは難しい。国内でも毎年のように巻き込まれる事故が起きている。

 県内の多くの公立学校が夏休みに入った。海水浴に出掛ける機会も増えよう。「うんとこしょ」と助けてくれる「人間の鎖」はどこにでもあるわけではない。離岸流のほか天候の変化などにも気を配って安全に楽しみたい。

夏休みの長短

編集日記 7/21
   
 少年は一日を長く感じるが、大人は一日を短く感じる―。それをフランスの心理学者ジャネは「人が感じる時間の長さは自らの年齢に反比例する」という法則で説明した。

 初めて歩く道は長く感じるが、帰り道はあっという間という経験があるだろう。行く道は新鮮で記憶に残すべきものが多いが、帰り道は少ない。時間を長く感じさせるのは新しい経験であり、関心を持てるものがあるかどうかの差なのかもしれない。

 県内の多くの公立小中学校で夏休みが始まった。海や山などに家族や友人らと出かける計画を立てている人がいる一方で、休みとは縁遠い夏を過ごすことになりそうだという受験生もいるだろう。

 政府は来年度から学校の夏休みを5日短くし、地域ごと異なる週に、前後の土日を含め9連休をつくる政策「キッズウイーク」を構想する。県内での実施は未定だが、実施となれば、35日間という長い夏休みは今年限りになる可能性もある。

 いずれにせよ、せっかくの夏休みを漫然と過ごしてしまえば、時間は瞬く間に過ぎてしまう。いつまでも記憶に残る感動を一つでも多く経験し、「長くてとても充実した毎日だった」と振り返ることができるような夏休みにしてほしい。

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大人になると時間が経つのが早く感じることってありませんか?子どもの頃は夏休みとかかなり長く感じたのに、20代、30代となれば2か月なんかすぐに過ぎ去ってしまいます。

1年の長さも子どもの頃に比べれば短く感じ、あっという間に年を取ってしまうように感じるでしょう。これは実際に時間が早くなっているのではなく、大人になると早く感じるようになるからです。

つまり体感時間が早くなるということですね。これはどうしてでしょうか。おそらく誰もが感じるであろう時間の経過が早くなる理由を今回は紹介します。


大人になると時間が経つのが早く感じる3つの理由
1.ジャネーの法則
2.新鮮味がなくなるから
3.同じことを繰り返すことが多くなるから
まとめ


大人になると時間が経つのが早く感じる3つの理由

1.ジャネーの法則

時間を感じるのが早くなる理由として最も有名なのがジャネーの法則です。ジャネーの法則は以下のように説明されています。

ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。

簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。

例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。


つまり、生きてきた年数によって1年の相対的な長さがどんどん小さくなることによって、時間が早く感じるということです。

例えば1歳の1年は365日とすると、50歳の1年は体感的にはその1/50となります。1歳の365日の50分の1は約7日です。

つまり、50歳に感じる1年の長さが、1歳で感じる7日分しか相当しないということになります。1歳の時に感じたわずかな7日という時間の感覚で、50歳では1年が過ぎると感じてしまうのです。これは明らかに時間が早くなると感じるでしょう。

次第に年を取っていくと、生きてきた年数によって1年の長さの比率が小さくなり、どんどん時間が早く感じるのです。

さらに、ジャネーの法則によると、体感的には20歳で人は人生の半分を終えているようです。20歳から80歳くらいまでの長い年月は、0歳から20歳までの体感時間と同じということになります。30歳の人が「つい最近まで20歳のつもりだったのに、いつのまにか30になってたよ」とよく口にするのも、納得がいくでしょう。

2.新鮮味がなくなるから

また、1年の比率が小さくなった他にも、時間が過ぎるのが早く感じる理由はあります。その一つとしては、生活に新鮮味がなくなるということです。

子どもの頃はまだ知らないことが多く、毎日のように新しい経験や発見があるでしょう。しかし、大人になってしまえば知り尽くしてしまうものが多く、そのような新しいものに出会えるチャンスは少なくなります。

人は未経験のものをやっているときは、それが強く意識に残り時間が長く感じるもので、慣れてしまえばそれによって時間の長さも気にならなくなり、早く感じるようになります。

結果的に、子どもの頃は新しいことが多いので時間が長く感じるようになり、大人になれば新鮮味のあるものに接する機会が少なくなり、時間があっという間に過ぎ去ってしまうのです。

3.同じことを繰り返すことが多くなるから

そして、大人になると新鮮味がなくなるだけではなく同じことを繰り返す頻度も多くなります。仕事に行っては帰っての繰り返しが続くでしょう。

毎日新しいものに触れることができる人など少ないです。上述したように人は慣れてしまうことで、時間を早く感じるようになります。

大人になると新鮮味が少なくなるだけではなく、同じことを繰り返す頻度も多くなり、それによってさらに時間の経過が早くなるのでしょう。いわゆるマンネリ化というやつです。



まとめ

以上のような理由で大人になると時間が過ぎるのを早く感じるようになります。基本的には体感時間が短くなるということが主な理由でしょう。

それに新鮮味が少なくなることや、マンネリ化によってもさらに時間が経過するのを早く感じるようになります。

何もしていないと時間はあっという間に過ぎ去ってしまうので、充実するように生活するといいでしょう。

ごみ日記

北斗星 7/21

停留所でバスを待ちながら向かいのガソリンスタンドを眺める。あのパイプの角度には意味があるのだろうか、敷地境界の塀には何らかの基準があるのだろうか。

そんなこと、並の人なら考えもしないだろうが、那須チカ子さん(76)=秋田市泉中央=は、ふと浮かんだ疑問を解決しようと危険物取扱者の資格まで取ってしまう人である。ご自身は車の免許を持っていないにもかかわらず。

ほかにも消費生活アドバイザーや環境プランナー、食育インストラクターなどの資格を持つ那須さんは、省エネやエコの分野で知らぬ人のいない存在だ。以前、ごみ減量の実践ぶりを見せてもらったら、徹底した分別と計量、生ごみの自家処理によって排出量は平均的な家庭の10分の1であった。

省エネで浮いたお金や資格を生かして得た謝礼をため、思い切って自己投資するのが「チカ流」である。過去に通信教育で短大と大学を卒業し、この春にはついに大学院を修了して環境学修士の学位を得た。

修士論文「循環型社会の構築に向けて」は、26年前から記録している自宅の「ごみ日記」を出発点に県や国、地球レベルの循環型社会を展望し、再び身近なごみ減量に立ち返ってその大切さを説く。

那須さんは40歳の時から5年ごとに目標を定め、実践してきた。掲げた目標こそが生きるエネルギーになっているという。75歳の目標だった大学院修了を達成し、心はもう80歳に向かう。その姿勢のせめて10分の1ぐらいは見習いたい。

夏カレー

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天鐘 7/21

 久しぶりに自宅でカレーを何度か作っている。もともと大好物なのだが、それが高じて単身赴任時代には一度に一週間分を仕込み、小分けに保存。毎日食べ続けたほど。ある意味、わが命をつないだメニューである。

作るのは基本的にインド系の味だから、最近は食料品店に出掛けると、スパイスの棚を一通り回ってみる癖もついた。クミン、コリアンダー、カルダモン…。胸が躍る。

これを機に、かねて気になっていたうわさの一品を試しに、下北半島を北上した。むつ市で提供されている「大湊海自カレー」。海自大湊総監部に所属する10艦艇・部隊直伝の味が、忠実に再現されているという。

訪れたのは2軒。大きな具がごろごろしていたり、ひき肉を使っていたり。スパイシーで、副食も充実しボリューム感は満点。金属の1枚プレート「テッパン」に盛られているのが海自の雰囲気を盛り上げる。

艦艇・部隊の調理担当者が何度も店舗に出向き、細かく技術指導したたまものという。6月11日から始まった一般提供から1カ月余り。市役所の普及会事務局は「評判は上々。市外のお客さまも多いようです」

いったんは落ち着いた北奥羽の気温だが、昨日は再び真夏の暑さが戻ってきた。外を出歩くだけで体中から汗がしたたる。こんな季節こそ、猛暑に負けないようにカレーで英気を養おう。そうだ。次は地物の夏野菜で作ってみようか。

線上の四季

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卓上四季 7/21

麺好きの人たちの間では、桜前線ならぬ「冷やし中華前線」なる言葉があるそうだ。飲食店で冷やし中華が始まる、だいたいの時期のことだという。南から北に徐々に北上していくイメージか。きょうあたりはほぼ全道で暑くなり、絶好の冷やし中華日和かもしれない。

冷やし中華があるなら、「そうめん前線」や「かき氷前線」はどうだろう。秋には、かん酒がおいしいと感じる時期を示す「熱かん前線」も。

ざれ言はともかく。気象庁は桜だけでなく、さまざまな植物の開花や動物の姿、鳴き声などを各地で観測している。季節の進度を把握するためだ。生物季節観測という。

植物なら梅やタンポポの咲いた日、動物ならヒバリやウグイスの鳴き声を初めて聞いた日、ツバメやホタルを初めて見た日などだ。これらの同じ地点を線で結んだものが「等期日線」、つまり「○○前線」となる。ちなみに今年のアジサイ前線の到達日は、札幌が今月12日、函館14日、旭川18日。全国で一番早いのが福岡と佐賀の6月2日だから、1カ月以上も差がある。

これから北海道には、アブラゼミ前線がやってくる。秋になれば、ススキの開花やイチョウ、カエデの黄・紅葉前線が本州に向け南下する。締めくくりは「初雪前線」だろう。

目に見えない線の上で、植物が色づき、鳥が鳴く。そして、あっという間に列島を駆け抜ける。だから日本の四季は美しい。

無双の「壁」

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中日春秋 7/21

モンゴルから来た身長一八〇センチ、体重八〇キロの少年に、どんな四股名(しこな)をつけるか。宮城野部屋の親方とマネジャーは「夢と希望はデッカイほうがいい。だから、スケールの大きな名にしよう」と決めた。

マネジャーが考えた名は、柏鵬(はくほう)。大鵬と柏戸。好敵手として「柏鵬時代」をつくった二人の横綱にちなむ四股名だったが、さすがに親方は異を唱えた。「悪くはないけど、あの子に『柏鵬』では、ちょっと荷が重いのではないかな」。そうして、「白鵬」となったという。(『白鵬「山」を越える男』)

親方の懸念はいい意味で裏切られたが、やはり四股名は柏鵬でなくてよかったのだろう。何しろ、圧倒的な強さで、一人で「白鵬時代」をつくった。柏鵬にしていたら、「柏鵬時代」とまぎらわしいことになっていたはずだ。

最多優勝などの記録を次々と塗り替え、きのうはついに、歴代一位と並ぶ通算千四十七勝。その中には、野球賭博で大相撲の土台が揺らぎ、テレビ中継も、賜杯授与もなかった七年前の名古屋場所を、ひとり横綱として支えた十五勝もある。

あのとき、まばらな観客席から飛んだ「相撲を守ってくれ」という掛け声に応え、全勝優勝して、涙した。そんな涙が染みた地での大記録達成だ。

横綱になる時、白鵬は「壁を越えて、今度は自分が壁になる」と語った。大相撲を守ってきた無双の「壁」である。

未来へ何を残していくのか

いばらき春秋 7/20

夏のはしりはホタルだったろうか。子供の頃、近くの水田に出向くと無数の光にあふれていた。うちわで落として持ち帰り、蚊帳の中に放っては小さな命の輝きに見入った。

夏休みは遊び満載だ。クモの巣を巻き取ってセミ捕りを作り、山に入れば樹液の出ているクヌギを蹴飛ばした。カブトムシやクワガタが落ちてくれば大手柄。川をせき止め水浴びもした。

日中の日差しは強かったが、夕暮れは和んだ。キラキラと窓辺に注ぐ木漏れ日に包まれ、つい寝入ってしまった記憶がある。思い出は美化されがちだが、夏は暑さだけではなかった。遊びに心躍らせ、祭りの後のような情感を刻む季節でもあった。

今年は梅雨明け前から猛暑が続いた。水戸の最高気温は7月に入り18日間で14日が30度台。34度超えが4日もある。この時季の平年値は25〜27度台。年によって変動はあるにせよ、かなりの高温続きである。

目を転じれば、毎年のように豪雨被害が相次ぐ。心に残る夏の情景は干上がり、濁流にさらされているように映る。暮らしに夏の試練と苦痛が伴うようになった。

未来へ何を残していくのか。経済や利便性の追求だけでは社会は持たない。普通に暮らせる環境をいかに守っていくか、心したい。

笑顔の夏休み

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あぶくま抄 7/20

 1年で一番うれしい日を尋ねられ、今日と答える小中学生もいるだろう。県内の多くの学校で20日、1学期が終わる。明日から待望の夏休みだ。学校から帰った時の開放感が何歳になっても忘れられない。子どもは心を躍らせ、教室は静まり返る。

 この夏、18年ぶりに歓声が戻る校舎がある。会津若松市湊町の旧原小。木造平屋の学びやが交流施設「はら笑楽交[しょうがっこう]」に生まれ変わる。卒業生らが地域のにぎわいを取り戻そうと準備を進めてきた。建物の改修がほぼ完了し29日に「開交式」を迎える。

 施設内の交流スペースを連日開放する。子どもからお年寄りまでが集えるようイベントを企画する。日曜日のみ営業の「カフェはら笑」もある。地元の郷土料理「豆腐もち」や一流シェフ監修のメニューを提供する。調理を担う主婦は「料理の味で笑顔にしてあげたい」と意気込む。

 廊下に懐かしい看板を掲げた。「あいさつは心のおまじない」。卒業生は原小の合言葉をずっと胸に刻んできた。人と人の心のつながりが母校を再生させる原動力となった。「こんにちは」。笑楽交の門をくぐると、みんなが笑顔になる。子どもも大人もわくわくする季節だ。

差別と戸籍






「手紙」

岡林信康

私の好きなみつるさんは
おじいさんからお店を貰い
二人一緒に暮らすんだと嬉しそうに話してたけど

私と一緒になるのだったら
お店を譲らないと言われたの
お店を譲らないと言われたの

私は彼の幸せのため
身を引こうと思ってます
二人一緒になれないのなら
死のうとまで彼は言った
だから全てをあげた事
悔やんではいない別れても
悔やんではいない別れても

もしも差別がなかったら
好きな人とお店がもてた
部落に生まれたその事の
どこが悪い何が違う
暗い手紙になりました
だけど私は書きたかった
だけど私は書きたかった

…………………………

卓上四季 07/20

「また昭和フォークか」と苦笑される方がいたら、お許しいただこう。でもきょうは、ぜひこれを引用させてほしい。岡林信康さんの「手紙」という歌。

♪私の好きなみつるさんは/おじいさんからお店をもらい/二人一緒に暮らすんだと/うれしそうに話してたけど―。パートナーの「私」が被差別部落の出身と知り、おじいさんはお店を譲らないと言い出した。彼は結婚できないなら一緒に死のうとまで言ってくれたが、「私」は彼のために身を引く。

1969年の発表当時から本人は多くを語らなかったが、実話を元にしたとも言われる。事実、出自を理由にした就職や結婚の差別は今も絶えない。

こうした差別にも利用されたのが、親の婚姻や血縁関係などの情報が記された戸籍である。被差別部落の住所一覧の冊子と、戸籍を照らし合わせた身元調査も行われてきた。

民進党の蓮舫代表が、二重国籍でないことを証明するため戸籍の写しなどを公開した。党内の要求に応えた形だが、蓮舫氏はもっと慎重に対応すべきではなかったか。外国にルーツを持つ人はたくさんいる。影響力のある人物が戸籍を公開すれば、今後同じようなことがあった際、出自を明らかにするよう迫られる人がいないとも限らない。

何より「私」のような悲しみのない社会をつくらねばならないのに、公党の議員が戸籍公開を求めてはばからない。残念でならない。