コラムの記事 (1/109)

四分三十三秒

中日春秋 4/23

現代音楽家のジョン・ケージの「四分三十三秒」といえば、無音の音楽である。ピアニストは何も音を出さない。

今でこそ有名だが、一九五二年八月、初演時の観客の反応はさんざんだった。演奏後の質疑応答では「この作曲家を町から追い出せ」の声が上がったし、ケージの母親までが「今回はやりすぎね」と語ったと伝わる。

ケージの音楽を連想するような一冊の本が米国で売れているそうだ。米共和党支持者で俳優のマイケル・ノウルズさんが十五分ほどで書き上げたという『民主党に投票する理由』。

章立てなどを除き、ほとんどが白紙である。民主党を支持する理由なんて「どこにもない」という皮肉なのだろう。トランプ大統領も素晴らしいと絶賛している。

党派的対立の強い、かの国において、この手の政治的冗談や皮肉は珍しくもないが、十ドル近い真っ白な本が十万冊近く売れている現象がよく理解できない。それが反対意見や別の考えに対する、「何もない」という決めつけ、耳を貸さぬという意思表示だとすれば、その排他的風潮が正直恐ろしくもある。

さてケージによれば、あの曲は無音ではない。初演後にこう語った。「最初は風がそよいでいる音、そして屋根に雨が当たる音。最後には聴衆が出て行く音が聞こえたはずだ」。完全な無音など、あり得ない。聞こえぬのは聞こうとしない態度のせいらしい。

味覚

三山春秋 4/22

 味覚には甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5種類があるという。年齢を重ねるにつれ衰え、高齢者が若者と同じように味を感知するには約4倍の濃度が必要とのデータもあるそうだ 。

 だからといって“おいしさ”は若者の方が分かる、というものでもないらしい。年を取ると個々の味覚が劣る分、逆に美味の領域は広がるという説もある。ビールの苦みが「うまい」と感じるのはそのせいか 。

 いずれにしろ「おいしいものを食べたい、飲みたい」という思いは、いくつになっても変わるものではないだろう 。

 太田市ですし店を営む関口明彦さん(74)は毎年春になると、館林市の特別養護老人ホームですしを振る舞っている。即席カウンターを設け、美味とともにひとときの幸せを運ぶ。休むことなく今年で30回の節目を迎えた 。

 原動力は入居者の笑顔。「喜んでもらえるのが、うれしくてね」。さらりと言うが、世に役立ちたいと思いながらかなわないわが身としては頭の下がる言葉である。関口さんも入居者に近い年齢になったが「まだまだ続けるつもり」という 。

 高齢化は進み、外出がままならないお年寄りはこの先も増え続ける。誰しも関口さんのような取り組みをまねできるわけではない。だが、力になれることは必ずあるはずである。自分には何ができるか。改めて考える契機としたい。

イノシシとタケノコ

水鉄砲 4/22

「ことしはタケノコが取れないかもしれない」と近所の人が心配している。イノシシの数が増え、地面に顔を出す前のタケノコを食べてしまうのだという。

4月上旬、自宅の裏山を5分ほど登った所にある竹林を下見して驚いた。イノシシがミミズを取ったのだろうか、地面のあちらこちらがほじくり返され、畑を耕したようになっていた。しかし、天候の関係で植物の生育が遅れているため、タケノコが食い荒らされた形跡はまだなかった。

初収穫は中旬になってから。ようやく5本だけ探し当てた。例年に比べると、ずいぶん少ない。それに対して同僚は「うちのタケノコは豊作です」という。先日も出勤前に10本以上掘ったそうだ。

彼の自宅周辺にもイノシシは出没するが「タケノコは、出始めた頃に少し食べられるだけのようです」といい、収穫に影響はないそうだ。その説が正しいのなら、人間とイノシシが自然の恵みを分け合っているということだろう。

初めて収穫したタケノコはあくが少なく、煮物やまぜずしにしておいしく食べた。料理が得意な同僚はパスタにも使うそうで、余分に取ったものはオリーブオイルに漬けて長期間、保存するという。

おとといはイノシシに取られる前にと、同僚を見習って出勤前に竹林に行った。「早起きは三文の徳」の格言通り、食べ頃のものが3本取れた。イノシシよりも人間の方がよほど欲が深いのかもしれない。

エンケラドス

20170422063346299.jpeg

20170422063345ed9.jpeg


中日春秋 4/22

これこそ、命名の妙というものだろう

天王星の発見という偉業を成し遂げたウィリアム・ハーシェルは十八世紀末、土星の衛星を立て続けに見つけた。そのうちの一つを「エンケラドス」と名付けたのは、彼の息子ジョン・ハーシェルだ。

エンケラドスとは、ギリシャ神話の巨人。オリンポスの神はその怪力を封じるために、シチリア島の下敷きにしてしまった。だからこの巨人がのたうち回るたびに、島は揺れて、火山が噴火する。そんな大地を脈動させる力が、衛星エンケラドスにも働いているというのだ。

直径五百キロほどのこの衛星は、数十キロもの分厚い氷に覆われた星だ。しかし、その内部には、土星と引き合うことによる活発な地質活動があり、熱がある。氷の下には海があって、火山の島シチリアの間欠泉のように、水蒸気などが空高く噴き上げられてもいる。(関根康人ほか『系外惑星の事典』)

米航空宇宙局(NASA)がこの「宇宙の間欠泉」から出る物質を探査機カッシーニで採取し分析したところ、有機物などに加え、豊富な水素分子もあることが分かったという。海に熱に有機物に水素…エンケラドスは、生命を育む星かもしれぬのだ。

巨人エンケラドスと戦ったのは知性と学問の女神アテナだった。二十一世紀の知性は、衛星エンケラドスとどう格闘するか。ハーシェル父子に見せたい天文のドラマだ。

20170422063740a99.jpeg

[ 続きを読む » ]

子育ての常識

滴一滴 4/22

 離乳食としてジュースに混ぜて飲ませた蜂蜜が原因で生後6カ月の男児が死亡―。衝撃的なニュースが今月初めに報じられ、その余波が広がっている。

1歳未満に蜂蜜を与えてはいけないという呼び掛けは母子手帳にも載っている。「子育ての常識」という声がある一方、「知らない」という人も少なくないことが分かってきた。

注目されたのがインターネットのレシピ検索サイトだ。蜂蜜を使った離乳食が多数投稿されており、運営会社が急きょ、注意喚起をするなどの対策に追われた。

実は17年前にも人気漫画で蜂蜜を乳児に与える場面が描かれ、批判を浴びたことがある。原作者は「自分が子育てをしていた時には聞いたことがなかった」と謝罪した。

厚生労働省によると、蜂蜜にはボツリヌス菌が混入していることがある。腸内環境がまだ整っていない乳児が食べると腸内で菌が増え、便秘や哺乳力の低下などの症状を引き起こす場合がある。こうした症例が国内で初めて確認されたのは、今から31年前という。

随分前に子育てを終えた人は、こうした情報に触れていない可能性もある。蜂蜜の容器に大抵は注意書きがあるが、見逃している人もいるかもしれない。父母だけでなく祖父母ら多様な年代が育児に関わる。悲劇を繰り返さないよう、世代を超えて「子育ての常識」を共有したい。

ガロ

水と空 4/22

 「何の制約もなく、とにかく自分たちがいいたいことをいえる雑誌を作りたい」。1960年代に若者らに支持された「月刊漫画ガロ」の創刊には、漫画編集者の長井勝一さんと漫画家の白土三平さんのそんな思いもこもっていたという。

 当初は返本の山が続いたが、やがて大学生が文学書や思想書と同じ感覚で漫画を読む時代に。白土さんの「カムイ伝」をはじめ、水木しげるさんやつげ義春さんらの作品を思い出す人は少なくあるまい。

 1970年代以降、人気は衰えていくが、新人発掘には熱心だった。高知市出身の中西章文さんが下積みを経て、「ガロ」でデビューしたのは1982年。以後も「ガロ」で作品を発表し続けたが、1999年に42歳で亡くなった。高知市の横山隆一記念まんが館の「高知出身のまんが家」リストに名前はない。

 遺作を世に出したいと、師匠のはやせ淳さんが遺族を捜している。それを伝える本紙の記事を見て、お兄さんが名乗り出た。作品の単行本化を夢見た遺志に沿い、漫画原稿は自宅で保管していたそうだ。

 はやせさんはツイッターに漫画を載せ、「お兄さんと電話で話をしました。声が章文君そっくり!」。5月には来高の予定という。「売れるタイプの漫画じゃなくても、兄としては名前を知ってほしかった」との願いは遠からず実現しそうだ。

 一つの記事が人と人をつなぐ。幸せをもたらす役割をこれからも果たしていきたいと思う。


命を吹き込む

水や空 4/22

 虫をいろいろ採集しては、脱皮したり、ふ化したりするのを観察するのが大好きで、とりわけ毛虫がお気に入り。平安後期以降に編まれた「堤中納言(ちゅうなごん)物語」に風変わりなお姫さまの話がある。「虫めずる姫君」という。

眉毛を抜いて墨で眉をかく、お歯黒にする。そんな身だしなみにまるで心動かない。感性のまま生きる姫君の運命が、子ども心に気になって仕方なかった-と宮崎駿監督はアニメ映画「風の谷のナウシカ」の原作漫画に一文を添えた。三十数年前のこと。

監督の中で、この姫君と重なるらしい。戦争で文明が崩壊してから千年の後、少女ナウシカは菌類の森「腐海(ふかい)」にすむ巨大な虫とどこか心を通わせる。

少女の名は、古代ギリシャの叙事詩オデュッセイアに登場する王女にちなむという。監督の手で、遠い時代の王女や姫君に新しい命が吹き込まれた。

作り手はこうやって作品に命を吹き込み、躍動感を与えていった、と開催中の「ジブリの大博覧会」は数々の作品の創作プロセスや裏側を見せる。

絵画にふうっと息を吹き掛けると、描かれた人や動物がたちまち動きだす-なんてことはそれこそ絵空事で、創作現場は地道な作業の積み重ねなんだな。そう実感しながら、それとは逆の不思議な感覚も抱く。まるで会場のいろんな物が今にも動きだすような。

透明化と強化

地軸 4/22

 柔らかい口調で、マラソン選手の趣味や好きな食べ物、恋人の存在といった細かなネタを中継の解説で紹介する。元五輪マラソン代表の増田明美さんの情報の多さに驚く。苦しい練習に耐えた選手を尊敬し、褒めたいからという。

 「これでいいのでしょうか」。2年前の世界陸上女子マラソン代表選考で、彼女が日本陸連幹部に問うた。選考大会の一つで優勝した選手が落選し、別の大会の3位が選ばれたためだ。「走りが消極的」との説明に「主観が入りすぎている」と指摘した。求めたのは高い透明性。

 その声が届いたと言っていい。何度も物議を醸した選考方式がようやく見直される。東京五輪の代表選びでは異なる大会の成績の比較ではなく、一発選考の要素を取り入れる。従来より客観的だと関係者の評判も良い。

 日本のマラソンは世界のトップに水を開けられ、過去3大会五輪のメダルから遠ざかる。新方式は選手の競争意識を高める効果もあり、強化につながると期待される。

 ただ長距離界をけん引する実業団は駅伝を優先させる傾向が依然強い。大会の過密日程がマラソンへの調整を難しくし、海外での「武者修行」もままならない。

 「海外で場数を踏むことで本番に力を発揮できるようになる。その経験が私には足りなかった」。増田さんは途中棄権した自身の五輪のレースをこう振り返る。「お家芸」復活のため、意識改革が必要なのは陸連だけではない。

○か×か

中日春秋 4/21

小学校一年生の最初の算数の授業。先生は黒板にチョークで丸を書き、配った答案用紙に同じものを書いてごらん、と言った。皆すぐに答えを書いて、ハイ、ハイと手を挙げたが、一人だけ手を挙げない子がいた。

先生はその子のそばに行くと、感心してじっと見ていて、答案がようやく出来上がると皆に見せた。それは黒く塗りつぶされ、その中に白い丸が注意深く塗りのこされていた。

思想家・鶴見俊輔さんは著書『思い出袋』で、こういう教育、何が問題かを自分で考え、自分なりの答えを探す力、自問自答する力を養う学びが日本の教育制度では失われていると書いた。

そんな教育のありようを改めて考えさせられたのが、経済協力開発機構(OECD)が各国の十五歳に生活の満足度を尋ねた調査結果だ。日本の十五歳の満足度は四十七カ国・地域中、四十一位。

日本や台湾といった学力調査で好成績を残す東アジアで満足度が低く、中南米など学力調査ではふるわぬ国で満足度が高いというから、皮肉なものである。

日本では学力評価が低い生徒ほど満足度も低い傾向にあるという。それは、なぜか。誰かがつくった問題への○か×かを効率よく答えることばかりが評価され、子どもたちが学力という一つのものさしだけで自分に○×をつけるようになっているのではないか。そういう自問自答を誘う「四十一位」だ。


2017042105172929b.jpeg


◎不良少年だった

『鶴見俊輔コレクション』(全4巻、河出文庫)を味わいながら、つい先日の新聞に、安保法案反対の呼びかけ人の一人として、鶴見俊輔の名前もありました。反骨の知識人。鶴見俊輔は私の敬愛する知識人の代表格です。

『鶴見俊輔コレクション』を通読してから、発信しようと思っていました。しかし間に合いませんでした。以前に書いた『思い出袋』(岩波新書)の書評を中心に、感謝をこめて鶴見俊輔に迫ってみたいと思います。

(引用はじめ)
鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)は。いきなりジョン万次郎のエピソードからひもとかれます。ジョン万次郎については、井伏鱒二『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』(新潮文庫)を読んで以来、ずっと興味を持っていました。その後、山本一力『ジョン・マン・波濤編』(講談社2010年)を読んで、さらに興味が増しました。山本一力「ジョン・マン」は、シリーズとして書き継がれるようですので、楽しみにしています。

――ジョン万次郎は私の出会った人ではないが、私の記憶の中できわだった人である。十四歳の少年として舟に乗りこみ、予想外の嵐にあって無人島に流され、アメリカの捕鯨船に助けられた。
(鶴見俊輔『思い出袋』岩波新書P2)
鶴見俊輔の筆は鮮やかな記憶を切り取り、それをビーズのようにつなげてみせます。難解な言葉はどこにもでてきません。

本書は岩波書店の情報誌『図書』に、「一月一話」というタイトルで書かれていたものをまとめた随筆集です。書き始めが80歳のときで、それが7年間続けられました。鶴見俊輔の経歴や思想、交友や読んだ本などを知るうえで、貴重な1冊です。

これまでに『期待と回想』(上下巻、晶文社)を読んでいました。分厚いインタビュー集でした。不良少年だった鶴見俊輔は、15歳でアメリカに留学します。『思い出袋』はそれらを言葉ではなく、文章で伝えてくれています。肩がこらない、1回が原稿用紙3枚ほどの掌編ですので、本書をお薦めさせていただきます。
(引用おわり「藤光日誌」2011.06.04)

◎アメリカ的リベラル

『思い出袋』のジョン万次郎は、おそらく15歳のときに留学した自分と重なっていたのだと思います。鶴見俊輔は、小田実らとともに「べ平連」の中心にいました。訃報を伝えた朝日新聞には、「鶴見俊輔さんの歩み」という記事がありました。ポイントを拾ってみます。

1922年:東京に生まれる
1939年:米ハーバート大哲学科入学
1942年:米FBIに連行され、日米交換船で帰国
1946年:雑誌「思想の科学」創刊
1965年:小田実さんらと「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)結成
2004年:小田実さん、加藤周一さん、大江健三郎さんらと「九条の会」の呼びかけ人となる

 鶴見俊輔は一貫して、戦争に反対し続けました。井上ひさしとの対談で、鶴見俊輔は沖縄について次のように語っています。

――沖縄というのはね、虚心に考えてみると、自治領として独立する条件は十分に整っていた、と思うんですよ。あれは日本の国家から賠償を取るべきであってね、一億玉砕とか本土上陸作戦とかいうことが、あそこだけで行われてきたんだし、日本の軍隊があそこで闘って、玉砕命令も随分出したんだし、たくさんの人が殺されたわけでしょう。(井上ひさし『笑談笑発・井上ひさし対談集』講談社文庫、鶴見俊輔の談)

鷲田小弥太は『昭和の思想家67人』(PHP新書)の一人として、鶴見俊輔をあげています。鷲田小弥太は別の著作の中で、次のように書いています。

――アメリカ的思考の豊かさと貴重さを、「リベラル」というキ^ワードで押さえて、戦後一貫して説き続けてきたのが鶴見である。(鷲田小弥太『日本を創った思想家たち』(PHP新書)

鶴見俊輔は幼いころはグレていましたが、アメリカで哲学を学んでから一度もブレたことはありません。ただし時々ノイローゼの症状に見舞われることがありました。そのあたりについて、埴谷雄高は著作の中で次のように書いています。平野謙とタクシーの車窓から、見た風景です。

――そとを眺めると、鶴見俊輔と夫人の姿がすぐ前に見えた。その頃、鶴見俊輔はノイローゼ気味と聞いていたので、健康のための散歩と見受けられたが、傍らに並んだ夫人のレイン・コ-トのポケットに手をつきこんだかたちが看護婦兼医者兼貞淑な話し相手という閃くような直観を喚起して印象的であった。(埴谷雄高『戦後の文学者たち』構想社)

頑固で硬派の印象が強い鶴見俊輔の、なんとも微笑ましい日常に、思わず笑ってしまいました。




ジキル博士とハイド氏

水鉄砲 4/20

 千葉県我孫子市で、小学3年生のベトナム人女子が殺害された。かわいい顔写真付きで報じられたとき、私は何となく「犯人は獣性を持つ中年男」という予感がした。容疑者の調べが進むにつれ、それが的中したようで、やりきれない。

 40代半ばの容疑者は、小学生の登下校見守りに熱心な保護者会会長だった。その一方で児童ポルノの収集に凝り、今度の事件も綿密に計画していたらしい。まさにイギリスの作家、ロバート・スティーブンソンの代表作『ジキル博士とハイド氏』の日本版だ。その矛盾する人格を再確認し、人間の心の闇にたじろぐ。

 二重人格を扱ったこの古典のモデルは、18世紀半ばにエジンバラ市議会議員だったウィリアム・ブロディ。昼間は模範的実業家だったが、夜間は盗賊として18年間に数十件の盗みを働き、最後には税務署の襲撃計画が露見して処刑された。

 私の近所にベトナム料理店がある。難民だった両親は子ども2人に日本風の名前を付け、家庭教師を雇って、日本人として育てるのに必死だ。彼らがほれ込んだこの国で、同胞に起こった今度の事件は大きなショックだったという。

 被害者の父親も犯人の実像を知って、日本人を信じていたのにと絶句した。この少女は、将来日本人にベトナムを案内するツアーガイドになることが夢だったという。

 心から愛し運命を託したこの国に、こんな形で裏切られた家族の無念は、察するに余りある。

辞書を引く

時鐘 4/20

 なぜ「辞書(じしょ)」は「ひく=引く」と言(い)うのか。全国学力(ぜんこくがくりょく)テストの中学校(ちゅうがっこう)国語(こくご)にあった問題文(もんだいぶん)である。以下(いか)はその説明(せつめい)。

辞書は字引(じびき)ともいう。字引とは字がそれでよかったか選(えら)び出(だ)すもので「くじを引く」などと同(おな)じで、ことばを選び出すものが辞書だ、と。知(し)らなかった。中学(ちゅうがく)を出(で)てから五十数年(ごじゅうすうねん)、今(いま)も辞書を引きながら仕事(しごと)をしている身(み)でありながら…。

テストとは社会(しゃかい)に出る前(まえ)に覚(おぼ)えておきたい大事(だいじ)なことや解決能力(かいけつのうりょく)をつけてもらうための教科書(きょうかしょ)だと思(おも)う。順位(じゅんい)をつけたり振(ふ)るい落(お)とすためでもない。だから、試験(しけん)の時(とき)には答(こた)えられなくても後(あと)で問題を勉強(べんきょう)しなおせばいい。

仮(かり)にテストで50点(てん)だったとしても復習(ふくしゅう)で全部(ぜんぶ)出来(でき)るようになれば100点をとったに等(ひと)しい。自分(じぶん)で学(まな)んだ分(ぶん)だけ知識(ちしき)は深(ふか)く身につく。今回(こんかい)の試験でも「辞書」のいわれを知ったことは一生(いっしょう)の財産(ざいさん)になるだろう。

そして問(とい)7。「授業(じゅぎょう)で青春(せいしゅん)というテーマで本(ほん)を紹介(しょうかい)することになった」とある。青春の二文字(ふたもじ)が出てきたせいか、この年(とし)で勉強をしたくなった。が、少年(しょうねん)老(お)い易(やす)く学(がく)成(な)り難(がた)し。わが15歳(さい)の春(はる)に贈(おく)りたい言葉が辞書にあった。

言葉の中の色彩

日報抄 4/20

言葉の中の色彩は、場合によって好印象になったり、逆になったりするから面白い。例えば青。「雲ひとつない青空」はうれしいが、「顔が真っ青」では心配したくなる。

「身の潔白」と「白紙の答案」。同じ白でも趣がかなり異なる。「黒字決算」は歓迎するが「腹黒い」のは困りもの。「赤ちゃん」と「赤っ恥」も大違い。ふと気づく。緑には負の表現が簡単には浮かんでこないのだ。

新緑の季節が近い。5月14日までみどりの月間である。緑の募金。みどりの窓口。グリーン車。グリーン企業といえば、環境に配慮した経営を進める会社のことである。残念ながら、この緑色がすっかりくすんで見える事態となった。

胎内市の肥料生産業者が、有機質入り肥料の原料には認められていない下水汚泥を使い、販売していたことが分かった。商品の袋には「バイオグリーン」や「グリーングロース」などの文字が、緑色の樹木や農産物の図柄とともに印刷されている。

県によると、少なくとも2年前から汚泥が混入し、県内を中心に年間約1500トンが出荷された可能性があるという。一部はJA製の肥料にも配合されていた。「グリーン」や「有機」という言葉が持つ「安全・安心」のプラスイメージが崩れかねない。

不安と憤り。田植えの準備に忙しい農家も、県産米を食べる消費者も、思いは同じだ。一刻も早く原因を明らかにし、再発の防止に努めてほしい。風が吹き渡る緑一色の田んぼは、農業への信頼があってこそ美しく見える。

「松組」「竹組」

北斗星 4/20

小学生時代、転校した先の学級名が「松組」「竹組」だったので戸惑った。前の学校が1組2組だったのと比べると、なんか昔っぽいなあ、と。いま振り返ると木造校舎とマッチしていて好ましく思う。

松、竹、梅…の学級名はいまも各地で健在だ。新入生は慣れたかな。梅の次が桜であったり菊であったりと学校によって違うところが面白い。花の咲く順に梅、桃、桜の学校もある。かつては桐や藤、桂まであるマンモス校もあった。

個性的なのが潟上市天王の東湖(とうこ)小学校。1951年の創立時から学級名が「ひばり」と「かもめ」なのだから。ひばりは空の青に向かって縦に飛び、かもめは海の青を横に飛ぶイメージで、けんかをしない個性ある学級であってほしいとの願いが込められていた。

発案者で初代校長の畠山秀治先生が作詞した「くらしの歌」は、1番で「ひばりのように元気よく きょうも楽しく勉強し」、2番で「かもめのようにはばたいて 正しい運動よい姿勢」と二つの学級名を織り込んでいる。校歌とともに行事のたびに歌っていた。

明るさあふれる学級名も、児童の減少で1992年度には全学年が1学級のみとなったため、使われなくなった。「くらしの歌」も歌われなくなった。

県内の小学生数はこの25年間で約9万人から4万5千人に半減した。同じ期間に県人口は17%減だから、小学生は県人口をはるかに上回るペースで減り続けている。桜組や菊組もいずれは消えてゆくのだろうか。

穀雨

天地人 4/20

 春の訪れを、匂いで感じとるようになった。宇宙飛行士だった秋山豊寛(とよひろ)さんは、山暮らし10年をすぎたころから、季節の変化に身体が反応するようになったという。春風を感じながら畑や田圃(たんぼ)の土に触れているとき<…今、ここにあることの喜びがわいてくる>。『鍬(くわ)と宇宙船』(ランダムハウス講談社)に書いている。

 きょうは春季最後の二十四節気「穀雨(こくう)」である。百穀をうるおす春雨のことをいう。田畑にしみこんで、穀物などの種子の生育を助ける。種まきの好期であろう。苗を育て、田起こしに励む時季でもある。

 ホームセンターをのぞくと、レジ近くの陳列が除雪機からミニ耕運機にかわった。店頭には消石灰、培養土、堆肥などが山積みである。野菜や花の種、苗がずらりと並び、新しい品種に思わず立ちどまる。コンテナの種芋が土いじりを誘う。

 手押し式のミニ耕運機が人気と聞いた。家庭菜園など小さな規模の畑をたがやす。農機メーカー各社は、農業を本業としない人にも扱いやすいよう、設計を工夫しているという。新型機を見ると、ついつい品定めしてしまう。

 秋山さんは<自給的農家>を自任する。そして、災害などへの備え、安心の確保のため、自給的農家の重要性を説く。<一億総兼業農家>をめざす国づくり案があってもいい-と。「一億総活躍社会」と尻をたたくなら、秋山さんに1票である。

後出しじゃんけん

卓上四季 4/20

じゃんけんで一番出やすい手は何か。数学者の芳沢光雄さんが学生に実演させて調べた。どの手も同じ頻度で出るかと思っていたら、グーが多かった。手の構造上、力が入ると握り拳が出やすい。統計ではパーを出せば勝つ可能性が高くなる(門倉貴史著「本当は嘘(うそ)つきな統計数字」)。

物事を決められないと、ついじゃんけんに頼ってしまうが、公平中立という点では疑問が残るのだろう。まして、「じゃんけん」の上に「後出し」がつくと、誰しも眉をひそめる。スポーツの世界では、この「後出し」が問題になることが度々ある。

直近では2年前の世界選手権女子マラソンの代表選考か。国内大会で優勝した田中智美選手が漏れた。陸連はタイム重視で決めたが、田中選手の監督は「それならば最初から言うべきだ。後出しじゃんけんに感じる」と怒っていた。

陸連が次期東京五輪のマラソン代表の選考方法を発表した。2段階にして安定感や調整能力を見極めるという。「後出し」批判を招かないような誰が見ても分かりやすく、不公平を感じない仕組みにしてほしい。

メキシコ五輪男子マラソンで銀メダルに輝いた君原健二選手の言葉にある。「努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。」

努力の結晶がきちんと評価されれば選手の闘争心に火がつきやすい。観衆はその姿を見て心を動かされる。

たくさんのドア

大弦小弦 4/20

〈きょうもあしたも/あなたはたくさんのドアをあけていく…〉。絵本作家のアリスン・マギーの絵本「たくさんのドア」はこんな書き出しで始まる。

未来へのドアの向こうには、新しいこと、驚くこと、おもしろいこと、喜びが待っている。入学や進級など、門出を迎えたわが子の背中を優しく押す親の気持ちを綴(つづ)っている。

子ども向けの作品だが、人生訓のような味わいもある。4月に社会人になったあなたにとって、実社会のドアの向こうはこれまでとは違うものだと痛感しているころかもしれない。

緊張してドアの前で足が止まってる人、ドアを開けたものの早くもミスをして上司に叱られ落ち込んでる人もいるだろう。しばらくは成功よりも失敗、楽しいことよりつらく苦しいことが多いはずである。

でも大丈夫。テキパキ仕事をこなす頼もしい隣の先輩も新人時代には、何度もドアの前で足が震えていたはずだし、強面(こわもて)のあの上司だって同じ時期には仕事に自信をなくし、出社するのが嫌になった経験があるにちがいない。

会社人生の後半戦に身を置く立場で振り返れば、山あり谷ありなれど、どんなドアも開けてみて損はなかったと自信を持って言える。〈あなたはまだしらない/じぶんがどれほどつよいかを〉。ドアの前で悩めるあなたに、冒頭の作品の言葉を贈る。

鉄板ネタが笑えない


水や空 4/20


部下の結婚披露宴の祝辞で"スベる"例だという。○○君は近ごろたくましくなった...わけでもないですが、まぁ結婚を機に伸びてくれたらと願いますが...さて、どうなりますやら...。ウケ狙いで毒気を含ませた話が笑えない。残念なケースである。

教育学者の斎藤孝さんの著書『余計な一言』(新潮新書)にある。「毒舌」とは、場の空気が読めて、言葉選びが達者でない限り、うかつに試みる話芸ではないらしい。

ウケてなんぼの商売じゃなし、話に"笑えない毒"を盛った意味は何なのだろう。文化学芸員を「一番のがん」「一掃しないと駄目」と言い放った山本幸三地方創生担当相が、発言を撤回し謝罪した。

こうした発言と、学芸員に「観光マインドを持ってもらう必要がある」という、後に明かした"真意"とが一点も重ならない。こういう真意をお持ちの人が、そういう発言をするはずはないんですがねぇ...と嫌みを一言申し上げる。

原発事故の自主避難を「本人の責任」とした復興相。お騒がせの学園が起こした訴訟で、弁護士として法廷に「行ったこともない」と言った防衛相。皆さん、謝罪し発言撤回した。

ま、いいじゃない、反省してるし-というふうに首相らがかばうのもお約束の当節だが、笑えないどころか頭痛がしてくる"鉄板ネタ"である。


命伏(いのちぶせ)

20170419051250dcc.gif

20170419051248eef.jpeg


中日春秋 4/19

かつて、美術品の撮影現場では「チンパンジー」が活躍したという

精密に撮影するには、細かい粒子の感度の低いフィルムで、露光時間を十秒、二十秒とかけねばならなかった。その時間を計るのに秒針をいちいち見るのは面倒なので、代わりに「チンパンジー」や「ボウサンガコロンダ」と唱えながら撮影する。

どちらも一回言うのに、およそ一秒かかる。十秒なら「チンパンジー、チンパンジー…」と十回唱え続けたというから、何とも愉快な撮影風景である(三杉隆敏著『真贋(しんがん)ものがたり』)。

それが今や、カラーコピー機にかければ、チンパンジー十頭分ほどの時間で印刷までできてしまう。そうしてできたコピーが、神奈川芸術文化財団で版画家・棟方志功(むなかたしこう)の作品とすり替えられていたというだけで驚きなのに、発覚から三年もの間、県がそのことを伏せていたというから、もっと驚く。

棟方志功は自らの「板画(はんが)」と印刷の違いを自伝『わだばゴッホになる』で、こう説いた。<印刷ではないのだから。人間の魂が紙に乗り移らなければ、摺(す)るとはいえないのです。板画は呼吸しているのだから、墨の密度の中に息づきがないとだめなのです…わたくしはそれを板画の命伏(いのちぶせ)と言っています。>

そういう「命伏」を失ったことを、県民に伏せ続けた。問題のコピーは、お役所の病理を、見事に写し取った作品かもしれぬ。

20170419052120533.jpeg

 中国の裕福な家庭には、書家で有名な王羲之の掛け軸がよく飾られているとかで、本人の作にしてはあまりに数が多いと思っていると「摹本(もほん)」などのただし書きが見つかるという。

 本物ではなく、書体を似せた模写の意味であり、持ち主も心得ていて、偽物でも有名書家の作品と「される」だけで満足するとか!中国陶磁研究家の三杉隆敏さんが、著書「真贋(しんがん)ものがたり」で触れていた。

 有名ブランドのコピー商品が氾濫する中国ならではなかろうか!似ているならば本物でも偽物でもどちらでもいい…おおらかといえるのかもしれない-好みが左右する美術品収集なら構わないが、生命に関わる問題となればそうもいかない。

 北海道の陸上自衛隊然別演習場で、訓練の最中に空包と誤って実弾が発射され、隊員2人が軽傷を負った事故のことだが、驚くのは9人が関わり、79発もの弾が飛び交ったことだ。

 本物の弾と空包は見かけが明らかに違うといい、弾薬庫から取り出し、隊員に渡るまで何重ものチェックがある-なのに、なぜ真偽の区別が付かなかったのか!原因究明を待つしかないが、演習場のそばに住む人たちも不安なはずだ。

 三杉さんは、眼力を付けるには「偽物をたくさん見た方がいい」といい、本物だけを見ているのでは、偽物が現れてもぷんぷんとにおってこない-本物と空包の違いさえ分からずに銃を構えているのだとしたら恐ろしい。

…………………………

20170419052613f30.jpeg


棟方志功は「わだば日本のゴッホになる」といったそうだが、なぜ「ゴッホ」なのか知りたい。


回答

下記のとおり、評伝や自伝からゴッホに影響を受けたと思われる部分を紹介。

「棟方志功 わだばゴッホになる」には、次のエピソードが掲載されている。
「…弘前に小野忠明という洋画家がいて…わたくしはある日、意を決して小野さんのお宅を訪ねました。話を伺ううちに、わたくしは「ワ(私)だば、バン・ゴッホのようになりたい」と言いました。すると、小野さんは、「君は、ゴッホを知ってるッ?」と言います。その頃わたくしは、何か判らないが、ゴッホというものを口にしていました。みんなから「シコーはいつもゴッホ、ゴッホと言っているが、風邪でも引いたかな」とからかわれたものでした。小野さんは新刊の雑誌を一つ持ってきました。『白樺』でした。
口絵に色刷りでバン・ゴッホのヒマワリの絵がのっていました。赤の線の入った黄色でギラギラと光るようなヒマワリが六輪、バックは目のさめるようなエメラルドです。一目見てわたくしは、ガク然としました。何ということだ、絵とは何とすばらしいものだ、これがゴッホか、ゴッホというものか!
わたくしは、無暗矢鱈に驚き、打ちのめされ、喜び、騒ぎ叫びました。ゴッホをほんとうの画家だと信じました。今にすれば刷りも粗末で小さな口絵でした。しかしわたくしには、ゴッホが今描いたばかりのベトベトの新作と同じでした。「いいなァ、いいなァ」という言葉しか出ません。わたくしは、ただ「いいなァ」を連発して畳をばん、ばんと力一杯叩き続けました。「僕も好きだが、君がそれほど感心したのなら君にあげよう。ゴッホは、愛の画家だ」。小野忠明氏は力強く最後の言葉を言ってくれました。
それからは、何を見てもゴッホの絵のように見えました。」(40~41頁)

また、「棟方志功讃」にも、「板極道」(棟方志功の自伝)からの抜粋として
「氏(小野忠明氏のこと)はゴッホを尊敬して新しい絵を描いていました。氏からわたくしは、フランスの作家の醸成をいろいろ教えられました。とくにゴッホの話に夢中になりました。―ゴーギャン、セザンヌ、ロートレック、マチス、ピカソまでを語りました。そうして小野氏は、大切にしていましたゴッホの『ひまわり』の原色版を、わたしにくれました。―この原色版を、カミサマ―ゴッホの面影として大切にしていたのですが、残念千万にも、戦災で無くしたのは、惜しく思っています―。
『ようし、日本のゴッホになる』『ヨーシ、ゴッホになる』―そのころのわたくしは、油画ということとゴッホということを、いっしょくたに考えていたようです。
わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。…わたくしは描きに描きました。…何もかもわからず、やたら滅法に描いたのでした。ゴッホのような絵を―。そして青森では、『ゴッホのムナカタ』といわれるようになっていました。」(33~34頁)
とある。

小野氏にゴッホの『ひまわり』原色版を贈られたことにより、『日本のゴッホになる』と決意した、というのが定説のようだが、「棟方志功 わだばゴッホになる」にある通り、小野氏に会う以前に棟方志功はゴッホを知っていたようである。これについては、長部日出雄による評伝「鬼が来た 上棟方志功伝」に、青森裁判所の弁護士控所に給仕として勤めていた棟方の先輩、山本兵平は絵を描いていた弟兵三の友達としてまえから棟方を知っており、上京する際、ゴッホの画集を「絵描きになるのなら、こういうものを勉強せねば駄目ぞ」といって貸し、「ゴッホの画集を手にした志功は、飛び上がって喜び、頁を繰るたびに「こりゃあ大すたもんだ!」と叫んで大感激のていであった。」という記述がある。(84~86頁)
小野氏はわざわざ上京してゴッホの『ひまわり』原画を見ており、その印象と、「白樺」のバックナンバーを読んで得ていた知識をまじえて、ゴッホ論を棟方に熱っぽく語っており、それによって棟方が多大な影響を受けたのだろう、と「鬼が来た 上 棟方志功伝」にはある。白樺派が日本に紹介した画家には、ゴッホ以外にもセザンヌ、ルノワールなどがいますが、なぜその中からゴッホなのかは判らず。小野忠明氏がゴッホに傾倒していたのか、もともとゴッホの画集を見ていた棟方が、殊更ゴッホの話に反応したのか、ゴッホと棟方には生来の性質に共通するところがあり、小野氏の話を聞いて自分のあるべき道と進む道を初めて実感したのか、推測はできるがはっきりしたことは判断できない。

201704190526143a1.jpeg 20170419052615e41.jpeg 20170419052617ffa.jpeg
[ 続きを読む » ]

学芸員

忙人寸語 4/18

 「あなたはがんです」と告げられたら…。経験者によると瞬間、目の前が真っ暗になり、病院からの帰路の記憶がなく、夜通し泣き続ける。日本人の2人に1人が経験する試練。そのショックは計り知れない。

山本幸三地方創生担当相が16日、外国人観光客に対する文化財の説明や案内が不十分として「一番の“がん”は文化学芸員」と発言。批判されると、謝罪、撤回した。

「自分たちだけが分かっていればいい、というのが学芸員の連中だ。この連中を一掃しないと駄目」との言葉は、「学芸員の方々に観光マインドを持ってもらう必要があるという趣旨」だったと言い訳した。

取材で会った学芸員の多くは無知な記者にも辛抱強く、かみ砕いて教えてくれた。別段、取材に限らず、それぞれが所属する場所で、展示やガイドなどを通じ、知の扉を開ける手伝いをしてくれる。

母親をがんで亡くしたばかりの記者仲間と懇親会で会い「大変だったね」と献杯。「『がん』っていう言葉にすごい敏感で。『あいつはがんだな』なんて慣用句が許せない」と涙に暮れていた。深く共感できた。亡母が認知症に苦しんだため、今も「ボケちゃったんじゃない」などの軽口が嫌いだ。

「がん」「連中」。そんな言葉しか選べない人間が文化を斬る。先日も偉ぶって激高した閣僚が、すぐに謝った。そうした「連中」こそ末期政権の「病巣」?


…………………………

編集日記 4/18

 予備校講師でテレビ番組でも活躍する林修さんは、実は講師という仕事が嫌いなのだという。その理由は、プロ野球選手や物理学者になるといった夢を諦めた末にたどり着いた職業だからだと著書に述べている。

 とはいえ、授業で手を抜くことは絶対しない。報酬をもらっている以上、仕事は常に満点しか許されない―というのが林さんの職業観だ。これまで多くの受験生を志望校に送り込んできたというプライドがのぞく。

 厳しいプロ意識を持つ林さんは、良い仕事にはその価値に見合った評価がされるべきだとも考える。「相手の仕事を値切れば、結局自分が値切られる。だから、相手の高いレベルの技術やサービスに対してリスペクト(尊敬)の気持ちを持たなければならない」と述べている。

 かの人にはそういう考えはなかったのだろうか。「学芸員はがんだ」と発言した山本幸三地方創生担当相である。学芸員は、博物館資料の収集や保管、調査研究に精通するプロであり、プライドを深く傷つけるものだ。

 地方創生は、地域にかかわる全ての人たちが力を合わせなければ立ちゆかない。さまざまな仕事の価値を正しく評価できないようでは、大臣である自身の価値も値切られる。

…………………………

小社会 4/18

 あまりにもひどい暴言だ。文化施設の学芸員について「一番のがん」と決めつけ、「この連中を一掃しなければならない」と語った山本地方創生担当相。たちまち発言撤回と謝罪に追い込まれた。

 山本氏は外国人観光客らに文化財などの説明、案内が不十分だとした上で、「学芸員も観光マインドを持ってほしい」という趣旨だと釈明した。だったらそう言えばいい。「連中」や「がん」「一掃」などの言葉には差別的な底意さえ感じる。

 全国の博物館や美術館などで日夜奮闘している学芸員は、さぞや傷ついたろう。そしてがんと闘っている、多くの患者さんたちの心も。こんな不見識な閣僚がいることは、国民にとっても迷惑だ。

 学芸員は博物館法で定められた専門職員で、資料の保管や収集、展示や調査研究などに当たる。仕事の第一義は文化財を守り、後世に伝えること。「観光マインド」も必要だろうが、それは官民総出でやることだろう。

 発言を撤回し、謝罪すれば終わりというパターンが、今回も繰り返されないかと気になる。最近でも福島第1原発事故を巡り、自主避難者の帰還を「本人の責任」とした今村復興相がそうだった。この種の放漫な失言は枚挙にいとまがないが、辞任に至ったケースはまれだ。

 くめども尽きぬ閣僚の問題発言。問題を甘く見てもらったら困る。安倍政権の井戸は人材が枯れ、政治の劣化が進んでいるのではないか。

…………………………

鳴潮 4/18

 偏った見方にも程がある。山本幸三地方創生担当相である。おととい地方創生に関するセミナーに出席しこう述べた。外国人観光客らに文化財などの説明、案内が不十分だとして「一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」

 学芸員をやり玉に挙げたが、果たして役割、使命をご存じなのだろうか。博物館法に定められた専門職で資料の保管や展示、調査研究などを行う。文字にすればこれだけの仕事だ、などと思っていないか。

 挙げればきりがないが、例えば冬の林の中で見つかったホタル、ふすまの裏張りとして使っていた逓信大臣名の文書など、小さな生き物や資料から、かつての環境との違い、背後に広がる世界を説いてくれたのは学芸員だ。

 障害者や高齢者、外国人らにも親しみやすい施設を目指す「ユニバーサル・ミュージアム」。徳島県立近代美術館も取り組んでいるが、そこに息づいているのは学芸員の心配りやアイデアである。もちろん、企画展示にも宿っているだろう。

 山本氏は「自分たちだけが分かっていればいい、分からないなら来なくて良いよ、というのが学芸員の連中だ」と批判を重ねたようだが、批判されるべきはさて。

 誰から数えればいいのか、政治家の失言が後を絶たない。問われているのは学芸員の仕事ではなく、大臣自身の資質ではないか。

…………………………

北斗星 4/18

NHK総合テレビで土曜夜放送の「ブラタモリ」を見ていて感心するのが、案内役として登場する学芸員の豊かな知識と熱い語り口だ。知っていることを伝えるのがうれしくて仕方ないのだろう。

番組はタモリさんが全国各地をぶらぶら歩いて土地の成り立ちや街の歴史を深く探る。鋭い突っ込みや疑問に答えるのが、博物館や郷土資料館の学芸員たち。大学の研究者が加わることもある。皆さんの深い地元愛に敬服する。

学芸員は博物館法に定められた専門職で、歴史や民俗、芸術、自然科学分野の資料の収集と保管、展示、調査研究を主な仕事とする。その学芸員を「がん」呼ばわりした山本幸三地方創生担当相が発言の撤回と謝罪に追い込まれた。

文化財を積極的に観光に活用すべきだと考える山本大臣にとって、学芸員は頭の固い連中に見えたのだろう。だが文化財を良好な状態で後世に伝える役目を負っている学芸員は、価値を損なわずにどうやって活用するか常に頭を悩ませている。

県内のベテラン学芸員は「持っている物なら見せたらいいだろうと思われがちですが、一点一点を研究によって体系的に位置付けた上で、保存のルールに従って初めて展示できるのです。でなければただの見せ物で終わってしまいます」と話す。

もちろん県内の博物館や美術館は見せるための工夫も凝らしている。頭はかなり柔らかいとみた。話が面白くてテレビ映りがよくて、「ブラタモリ」に出したい学芸員が何人もいる。


…………………………

卓上四季 4/18

美術館や博物館で黒っぽい服を着て、部屋の片隅に立っている。時には来場者の質問にも応じてくれる。てっきり学芸員かと思っていたが、そのほとんどは監視員という別な職種だとか。オノユウリさんの漫画「美術館で働くということ」を読むと、学芸員の仕事の一端が分かる。

美術館では企画展を開く責任者となるが、交渉や予算確保も含めると5年かかるのはざら。高齢の作家に出展依頼状を書こうと、毛筆検定1級を取得した人もいる。

文化財保護も同様のようだ。展示品の保存状況を点検する地道な作業がある。どちらかといえば学芸員は文化財を守り、入場者がその価値を理解するのを助ける裏方に見えるのだが。

そんな実態をお分かりの上での発言だろうか。山本地方創生担当相が海外からの観光客誘致に絡め、「一番のがんは文化学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」と述べた。

中、高校時代にブラスバンド部に籍を置き、美術にも精通していると自負する人の言葉と思えない。観光客へのもてなし改善を求めるのなら、施設全体に注文を付けるのが筋だ。がん患者にも失礼だろう。聞いている方からすれば、患ったら社会から一掃される存在になるかのようにも取れる。

それにしても、今村復興相に続く閣僚の言葉の軽さにはあきれる。謝罪し、発言を撤回したところで、果たして本音はどうなのか。

学芸員の一掃

中日春秋 4/18

米デトロイト美術館といえばゴッホの「自画像」やマチスの「窓」など約六万点を所蔵する米国でも屈指の美術館である。最近、日本で行われたデトロイト美術館展をご覧になった方もいるだろう。

大きな危機を乗り越えたことでも知られる。二〇一三年、デトロイト市の財政破綻を受けて、所蔵品の売却が検討された。「ゴッホよりも年金」というのである。

生活か宝か。両方を守る方法を見つけた。大規模な募金によって、年金受給者の救済と美術館の運営に充てる。これに市民や大企業が動き、一年ほどで十億ドル近く集め、所蔵品を守り抜いたという。

あの大臣ならばどうしたであろう。博物館などの学芸員は観光立国にとってのがんであり、一掃しなければならぬと語った山本地方創生相である。批判され、撤回したが、学芸員が芸術品の保管や保護を優先するあまり、観光サービスに熱心でないと、言いたかったらしい。

確かに観光も大切な産業である。とはいえ、観光客の誘致に目がくらみ、文化財をぞんざいに扱えば、元も子もなくなることにはお気づきではない。一度失えば、二度と戻らぬ資源である。模索すべきは保護と観光のほどよき調和であって、学芸員の一掃ではない。

それにしても失言の絶えぬ政権である。「失言、撤回、辞任はせず」博物館でもこしらえる気なのかもしれないが、観光客は集まらぬ。

…………………………

ゴッホの"指の跡"がのこる名画

20170418051236bc2.jpeg


フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》1887年 

まずは、本展のメイン作品ともいえるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の《自画像》を見ていこう。ゴッホの「自画像」と言えば、耳に包帯が巻かれている痛々しいものを思い浮かべる方も多いだろう。しかし本作品には、それがみられない。むしろ、柔らかい表情のゴッホが淡い色彩の背景・衣服とともに描かれており、穏やかな印象を受ける作品となっている。実はゴッホは、生涯にわたって約40点の自画像を描いており、今回ご紹介している《自画像》は、1887年に描かれたものだ。よく知られた耳に包帯を巻いた自画像は、1889年以降に描かれたものである。

では、1887年ごろは、彼にとってどのようなタイミングであったのかを紐解いていこう。前年の1886年、ゴッホはパリに移住し、弟・テオとの共同生活をスタートし始める。パリはその当時時代の最先端を行っていた印象派の画家たちが盛んに活動していた拠点だった。ゴッホはパリへの移住後、ミーユ・ピサロ、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック、エドガー・ドガらとの交流を深め、影響を受けたとされている。本作は、これら印象派画家たちと親睦を深めた時期に描かれた作品なのである。それをふまえて再度作品を眺めてみると、全体が淡い色彩で描かれており、また印象派の特徴的な技法である「筆触分割」(絵の具を混ぜ合わせずに、あえて筆触を残したまま描く手法)が用いられ、光を意識した作品となっていることがわかる。ゴッホといえば、うねるような筆致と怪しげな色彩を用いて幻想的な風景を描いたと思われがちだが、そのような作品はこういったいわば”王道”の印象派画法を経てから生み出されたものなのだ。「印象派画家」としてのゴッホを目の当たりにすることができる一作といえるだろう。また、本作の青い服の部分にはゴッホが自身の指で直接色を置いた跡も観ることができる。ゴッホの息吹を生々しく感じとることのできるこの点は、ぜひ展覧会にて近くでチェックしていただきたいポイントだ。

…………………………

マチスの「窓」

201704180521470b1.jpeg

…………………………

[ 続きを読む » ]