社会の記事 (1/5)

選挙年齢の引下げについて

選挙年齢の引下げについて

 平成27年6月、公職選挙法等の一部を改正する法律が成立し、公布されました(平成28年6月19日施行)。
 今回の公職選挙法等の改正は、年齢満18年以上満20年未満の者が選挙に参加することができること等とするとともに、当分の間の特例措置として選挙犯罪等についての少年法等の適用の特例を設けることを目的として行われました。

1.法律

概要PDF

改め文PDF

新旧対照表PDF

参照条文PDF

日本の国旗に似た国旗

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1.「バングラディッシュ」

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バングラデシュ
「バングラディッシュの国旗」


バングラディッシュの国旗は日本と似ているというか、日の丸の白地が緑に変わっただけの色違いです! それもそのはず、バングラディッシュの国旗の制作にあたって、日本の国旗がモチーフにされたそうです。

バングラデシュのシェイク・ハシナ首相は、来日した際に早稲田大学の講演会で”日本の美しさに魅せられて国旗のデザインのモチーフとして日の丸を選んだ。国旗の背景の緑は豊饒なバングラディッシュの自然を、赤い丸は1972年の独立までに流された国民の血を表しています。”と語られたそうです。

つまり偶然似ているのではなくて、似せて作ったんですね。日本の国旗を褒められているようで、日本人として嬉しい限りです!



2.「パラオ」

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パラオ
「パラオの国旗」


パラオの国旗も日本の国旗とかなり似ています。その理由は、こちらも日本の国旗をモデルにデザインされたものだからです。

パラオは1994年に独立してできたまだ新しい国で、かつてアメリカ領でした。そして第二次世界大戦のときに日本軍が占領していた場所でもあります。

その ときに日本軍が行った教育によってパラオの教育水準が上昇し、産業、教育、文化の発展に貢献することになったので、パラオがアメリカから独立する際に日本 の国旗を模したデザインを採用することとなったそうです。

それと余談ですが、黄色い丸が国旗の中心から少しずれているのは、日本の国旗とあまりに似ているので、日本に失礼だからとわざと中心をはずしたのだという 逸話があります。

美談過ぎて本当かどうかは分かりませんが、今までにほとんど話題に上がったことすらない国でしたが、なんかこの話を聞いて好感度が上がり ました。

とまぁこうして、この日の丸によく似た国旗が生み出されることとなったのです。ちなみに、背景の青は海の色を、黄色い丸は月を表しているそうです。


3.「マケドニア」

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マケドニア
「マケドニアの国旗」


アレクサンドロス大王の父、フィリッポス2世の黄金の棺の文様からとったものと言われ、中央の丸は太陽で美しい南国の自然を表わし、中央から広がる光条は世界中に行き渡る明るい太陽の光を表わしている。

日の丸というよりかは、旭日旗に似ていますね!



4.「ラオス」

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ラオス
「ラオスの国旗」


ラオスの国旗の背景の赤は独立する際に流された血の色を、真ん中の青色は国の豊かさを表しています。真ん中の白丸はラオス国内を流れるメコン川に昇る月を表しています。

やはり国旗の真ん中に丸い模様があると日本の国旗を思い浮かべてしまいますね!


5.「グリーンランド」

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グリーンランド
「グリーンランドの国旗」


凄く日の丸と似ているグリーンランドの国旗(正確には国旗ではなく自治領の象徴としての旗)についてです。

グリーンランドの旗は、氷の広がる大地から昇る朝日を表しています。赤い半円は太陽を、白はグリーンランドに数多く存在する氷山や氷を表しています。

この 赤色と白色はデンマークの国旗に使われる色と同じで、このことはグリーンランドはデンマーク領であるということも暗示しています。



6.「キルギス」

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キルギス
「キルギスの国旗」


近くで見ると真ん中に描かれた太陽がギザギザであれですけど、遠くから見たら日の丸に見えるキルギスの国旗です!

真ん中にある太陽のギザギザは40に分かれていています。これは、マナスという英雄が赤色の旗の下に40の部族をまとめ上げ、現在のキルギスという国が誕 生したのだということを表しています。

それと太陽の中にある謎の模様は、ユルトと呼ばれるキルギスの伝統的な移動住居の天井部分をデフォルメして書き表し たものだそうです。

消防自動車



はしご付消防自動車 45m・50m

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HOME消防車13mブーム付多目的消防ポンプ自動車 MVF

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児童虐待防止法

児童虐待の防止等に関する法律

(目的)
第一条 この法律は、児童虐待が児童の人権を著しく侵害し、その心身の成長及び人格の形成に重大な影響を与えるとともに、我が国における将来の世代の育成にも懸念を及ぼすことにかんがみ、児童に対する虐待の禁止、児童虐待の予防及び早期発見その他の児童虐待の防止に関する国及び地方公共団体の責務、児童虐待を受けた児童の保護及び自立の支援のための措置等を定めることにより、児童虐待の防止等に関する施策を促進し、もって児童の権利利益の擁護に資することを目的とする。
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世界で一番いのちの短い国

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医療事情が世界最悪の国で奮闘する医師の姿

平均寿命34歳(2002年)、日本のわずか半分以下。世界で最も医療事情が悪い国、西アフリカのシエラレオネ共和国。十年以上も内戦が続き、病院の建物は壊れ、医師や看護師も国外に逃げ出している。この医療システムが崩壊した、世界で一番いのちの短い国に派遣された医師が、寝食を忘れ、力を尽くして、目の前のいのちを救っていく……。そして、その国の未来のため、帰国したあとの医療レベルが維持されることを願い、さまざま困難を乗り越え、現地スタッフへの教育にも取り組む。「本当に意味のある国際協力」を求め続ける医師の涙と笑いの奮闘の記録。

●山本敏晴(やまもと としはる)
1965年宮城県仙台市生まれ。医師・医学博士・写真家・国際協力師。南アフリカにて人種差別問題に衝撃を受け、中学校の頃から数十か国を撮影。「本当に意味のある国際協力」について考え続ける。2000年より数々の国際協力団体に所属、アフリカや中東で医療援助活動を行う。2003年より2年間、国境なき医師団・日本理事。2004年、都庁からNPO法人の認証を受け「宇宙船地球号」を創設。「持続可能な世界」の実現を目指し、世界に目を向ける人々の育成を行う。

秋田県ハタハタ漁獲量は、なぜ回復したか

秋田県ハタハタ漁獲量は、なぜ回復したか

秋田県立大学客員教授◆杉山秀樹

 秋田県のハタハタ漁業者は、漁獲量が激減したことから平成4年9月から自主的に3年間の全面禁漁を行っている。平成3年には70トンと過去最低を記録した漁獲量は、解禁後も県独自の漁獲可能量制の導入など厳しい管理を行ったことで、平成20年には2,938トンまで回復させた。
 漁業資源の管理は漁業者だけではなく、県や国など関係者全員が役割分担しながら合意のもとに推進していかなければならない。

秋田県民とハタハタ

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■図1: 市場に出荷する前の選別作業の様子

 ハタハタは秋田県民にとって年越し儀礼や食文化と密接なつながりを持っており、単なる魚類資源という以上の特別な意味を持つ存在である。漁業者にとっても、ハタハタ豊漁期の昭和38~50年は13年間連続して1万トン以上あり、その海面総漁獲量の50%前後を占め、最重要魚種であった。しかし急減し、58年以降は200トン前後が続き、平成3年には70トンと過去最低を記録した意味を持つ存在である。(図1)。このような状況を受け、秋田県の漁業者は平成4年9月から7年9月まで自主的に3年間の全面禁漁を行うとともに、解禁後も県独自の漁獲可能量制の導入など厳しい管理を行い、平成20年には2,938トンまで回復させた。秋田県において、なぜ、ハタハタの漁業管理が可能であったのだろうか。

ハタハタの全面禁漁実施

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■図2: ハタハタの卵。地元ではブリコと呼ぶ

 ハタハタは、11月下旬から12月に秋田県沿岸の水深2m前後のホンダワラ類藻場に産卵する。産卵期以外は水深250m前後の深海で摂餌・回遊するが、その範囲は時期、場所、水深が限定される。漁獲の主群は2~3歳で、回遊は日本海北部の比較的広い範囲だが、親魚は産卵場所への回帰性が確認されている。親魚の卵数は1,200粒程度と少なく、卵期は約2カ月、ふ化サイズは13mmと大型である(図2)。これらの特性は、本種が資源管理に適合した魚種であること、すなわち、「我慢すれば、応えてくれる」ことを意味している。秋田県民および漁業者は、ハタハタには特別な愛情を持っているだけに、ハタハタ漁獲量の減少に対して、強い危機感を持つとともにその復活を強く望んでいた。また、すでに昭和50年代から「ハタハタの復活」は大きな行政課題でもあり、試験研究機関においても各種の調査研究に着手していた。ハタハタの資源回復に対しては、漁業者のみならず県民、研究機関、行政等、全県民的な強い動機があった。
 平成4年1月に開催された秋田県漁連の理事会において、前年の70トンという過去最低の漁獲結果に、「大変なことだ。全面禁漁を含め、可能な限りの対策を実施する」という合意がなされた。これを受け、漁業者に対する現地説明会、意向を把握するためのアンケート調査、漁業種類別代表者会議、漁連理事会、全県組合長会議など、連日のようになされた。また、研究機関から「中途半端な規制ではほとんど増加しないが、3年間の全面禁漁であれば2.1倍に増加する」というシミュレーションの結果を出した。その後も合意形成に向けさまざまな会議がもたれ、同年8月29日に全県組合長会議において3年間の全面禁漁が決定され、10月1日付けで厳しい罰則規定を含む「はたはた資源管理協定」が締結された。

地域漁業集団の役割と禁漁効果

 なぜ、このような全面禁漁が可能だったか。その背景には、明治以前から連綿と続く漁業集落の存在がある。1894年の調査では、秋田県内には漁業集落が67あり、これらの漁業集落は現在に至るまで生活の基盤=意志決定の単位として機能していた。実際、ハタハタ全面禁漁の検討に際し、この地域では漁業生活の中で日常的な話し合いが行われたことが、結果としてきわめて大きな意味を持ったと推察される。また実施の中で、「行政が資源回復を命題」とし、管理方策の実施という「明確な意志を持つ」と同時に、漁業者が意志決定に際しては「参画する体制」が構築されたことが、合意形成を可能にしたと推察される。その際、漁業者、国、県の役割分担を明確にしたことにより、それぞれにおいて取り組むべき課題が明確になり、効果的かつ効率的な管理の実施が可能となった。当時の組合長の言葉を借りれば、「解禁は禁漁より難しい」ということになる。どのような形で解禁するのかの検討に、禁漁期間中の3年間が費やされた。
 結果として、漁獲努力量の削減による「入り口の管理」と漁獲量を決めて漁獲する「出口の管理」の両方が実施されることとなった。前者は、底びき網隻数の1/3の減船、さし網や定置網の操業統数の削減などであった。後者は、研究機関が推定する漁獲対象資源重量に対して、漁業者などで構成するハタハタ資源対策協議会において、漁獲量を決定するとともに、沖合と沿岸の漁獲量の配分を行うというものである。直近の平成21年においては、漁獲量は対象資源量の40%に相当する2,600トンとし、配分はこれを沿岸60%、沖合40%とすることを決定した。
 なお、ハタハタは「昔から大きな変動があり、資源管理をしなくても資源は回復した」という意見もあった。そのことから、3年間禁漁の効果について検討したが、昭和50年代の漁獲量の急減はレジームシフト等の環境変動によりもたらされたこと、その後も資源の回復が見られなかった原因は高い漁獲圧が続いたこと、平成7年以降資源が回復した要因として禁漁による産卵親魚量の確保が大きかったこと、等が明らかとなった。

解禁後の経過と今後の問題点

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■図3: 秋田県ハタハタ漁獲量の推移
 
 漁獲量はすべて「秋田県漁業の動き」をはじめとする東北農政局秋田統計情報事務所調べ(平成13年までは属地統計、平成14年以降は属人統計)。 ただし、平成21年漁獲量は東北農政局速報値(平成22年4月30日公表)
解禁後、同一の系群を漁獲する青森県、秋田県、山形県、新潟県の関係4県による「北部日本海海域ハタハタ資源管理協定」の締結(H11)、秋田県における「県魚」の指定(H16)などが実施された。この間の漁獲量は、禁漁直前平成3年70トンが解禁後平成7年には143トンになり、平成12年には1,000トンを超え、20年は2,857トンとなった(図3参照)。しかし、単価は漁獲量の増加に伴い急激に下落し、平成12年には1,000円/kgを下回り、平成20年には204円/kgと過去最低を記録した。このため、平成20年は対前年で漁獲量は約1,200トン増加したにもかかわらず、漁獲金額は2億1千万円下落し5億7千万円となった。
 秋田県におけるこれまでの取り組みは、県内漁獲量の増加という方向で検討されてきたが、今後、資源の適正利用を前提に、漁業者の収入増加を強く意識したものへと転換する必要がある。その際、商品価値の高い大型サイズの選択的漁獲とともに、地域振興策との連携、食文化としての見直しなどより広い観点からの取り組みが必要となる。いずれにせよ、漁業者の合意のもとに実施された資源管理は、その結果を県民が共に享受していることから、今後とも、関係者が役割分担しながら関係者全員の合意のもとに推進していかなければならない。

ガリ切りの記

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漁業・紡績の町から石油化学コンビナートの町へ。そして、海と空は汚された。“金じゃない、青空を返せ”の声はかき消された。市長、議員、役所、企業、革新政党や労組は、何をしたのか。人々のささやかな暮らしより「経済成長」優先の者、もとの暮らしを取り戻したい者、立場をするりと入れ替える者、そうした人間の姿を、著者は四日市で記録しつづけた。

著書『ガリ切りの記―生活記録運動と四日市公害』の内容

はじめに

①生活記録運動のころ
浜松工業学校紡織科へ
四日市の陸軍製絨廠へ
労働組合の結成
新制中学校卒業生たち
サークル活動の開始
『山びこ学校』の衝撃
なんでも、なぜ? と考える
概念砕き
生活記録運動への攻撃
アメとムチ
会社と労組幹部の共同謀議
懲戒解雇
塹壕戦
母の歴史を繰り返さない
逮捕
刑務所入り
最後の嫁入り

②くさい魚とぜんそく
石油化学工業の町へ
公害反対って簡単に言うな!
磯津通い
ガリ版文集『記録「公害」』
公害の実態は数字ではわからない
あわやクビ

③四日市ぜんそく公害訴訟
二人目の公害患者の自殺
磯津漁民一揆
田中覚三重県知事と中部電力、くさい魚を食べる
公害病患者認定制度はできたが
四日市公害訴訟
④民兵よ、いでよ
先頭に立って闘うことを
公害市民学校
先生と呼んではいけない先生がやってきた
四日市公害と戦う市民兵の会
ミニコミ『公害トマレ』の発行
第二期四日市公害市民学校

⑤反公害運動は、住民が主体で
反公害・磯津寺子屋と磯津・二次訴訟
第二コンビナートと橋北地区
三菱油化河原田工場進出反対
ほんとうの先生・吉村功さん
⑥1972年(昭和47年)の四日市の「戦後」
届かなかった「野田メッセージ」
勝訴の余韻と反動―判決後から協定調印まで
昭和四日市石油増設プラントの運転開始
橋北地区の青空回復運動
公害訴訟を支持する会の分裂

⑦このごろの革新ってどうなっとんのや
二酸化窒素の基準緩和
付帯決議の解除
コンビナート工場への詫び状
ねじまげられた公健法改悪反対の請願
もう、わしらは利用価値がないのか?
東芝ハイテク四日市工場の誘致
霞四号幹線道路建設
「公害の歴史――公害の街から環境の街へ」
公害の歴史を繰り返さないために

おわりに――「記録にこだわって」

民法 第七百五十条

    第二節 婚姻の効力

(夫婦の氏)
第七百五十条  夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。


夫婦別姓認めない規定は合憲 最高裁判決

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47都道府県ラップ

「47都道府県ラップ」

歌:KREVA 作詞:KREVA 作曲:KREVA

47都道府県へ
もうすぐ名が轟くぜ YEAH

どっか行こう 北海道
次はあそこに 青森
考えるだけで明日になってる
行かなくちゃ秋田岩手
行ったら行ったでまだまだいたい
左から右 山形宮城
楽しんだらもうすぐ支度
だって そのすぐ下 には 福島

進み続ける事に意味がある
気付けば到着 新潟
どこにいてもさ 小さなドラマ
必ずある 石川富山
感じる向こうからもまなざし
そこは… 長野山梨
すぐに行く 逢いに行くのさ
福井岐阜 愛知静岡

進んだ時に苛立ち 感じながらも満喫
群馬栃木茨城
心にぽっかり穴があいたら
また行けばいい 埼玉
GO HOME GO HOME EVERYBODY GO HOME
言われたら帰る場所 東京
でも もし そこに あなたがいた
ならばそこが中心 神奈川千葉

どうぞどうぞいらしてください
兵庫京都滋賀三重 つーかマジ
特に用が無くても行きたいから
行こうかな 大阪
いるだけでもう鼻高々
になっちゃうなぁ 奈良和歌山

気持ちが ほら ほっこりほがらか
なるのがわかる 鳥取岡山
調子のって また無理しちゃって
はめはずした 山口島根
深呼吸 深く息をした
広島

東西 お好きな方に
ならまずは徳島高知
どこ行っても仲間が出来て
楽しんでるな香川愛媛

47都道府県へ
もうすぐ名が轟くぜ YEAH

少し曇った 心が潤った
やっぱりここか 福岡
話せるかも あなたにならどうにか
長崎佐賀大分
ありがとう ねぇ手 繋ごうよ
そのまま行きたい 熊本
理由のいらない楽しさ 宮崎鹿児島

早く伝えたい 大きなラブ
だって残すところ沖縄
ずっと色々巡ってきたけど
無理だったよひとりなら

覚えてたい
いや覚えたいから
思いつくまま
書いたんだ
忘れてばかりの俺だけど
これ歌えば すぐ 思い出せそう

47都道府県へ
もうすぐ名が轟くぜ YEAH
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おみやげ

トヨタ自動車工場見学

工場内は撮影禁止です。

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宮崎県

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都道府県巡り


都道府県豆知識

鹿児島県

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都道府県巡り

都道府県豆知識

・桜島
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大分県

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都道府県巡り

都道府県豆知識


・湯布院
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長谷川義史 戦争やめて

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沖縄県

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都道府県巡り

都道府県豆知識


・シーサー
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おことば 全国戦没者追悼式

全国戦没者追悼式
平成27年8月15日(土)(日本武道館)

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。
ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

玉音放送


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朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

(国立国会図書館「[終戦の詔書](テキスト) | 日本国憲法の誕生」より)


世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。忠実なあなた方臣民に告ぐ。

私は、「共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。

日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。

だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。

そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。

私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。

これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。

私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。

国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。

あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。

70年談話:安倍晋三首相談話全文

70年談話:安倍晋三首相談話全文

2015年08月14日


 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  安倍 晋三

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