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ざんねん

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雷鳴抄 10/3

本のベストセラーに、児童書が名を連ねた。「ざんねんないきもの事典」とその続編だ。8月のランキングで1、2位を独占。版元の高橋書店によると累計で100万部を突破した。

進化を経て生き延びた動物の特徴を、カラーのイラスト付きで紹介している。「サイの角は、ただのいぼ」「イルカは眠るとおぼれる」「カメムシは、自分のにおいがくさすぎて気絶する」…。

思わず「へえー」と引きつける見出し。サイの解説文には「ありがたがっても、そのへんのおじさんの爪をせんじて飲むのと大差ありません」とある。漢方薬や工芸品の材料で重宝される角。人間の強欲を皮肉り、乱獲にも警鐘を鳴らしている。

担当編集者は「『いきもの』という不動の人気を持つテーマと『ざんねん』という新しい切り口がヒットの要因だと思います」と話す。生命の始まりは約40億年前に生まれた「細胞」。地球の環境に対応し、進化してきた。

生き物は人間にまねできない特殊な能力を発揮する。一方で「ざんねん」というマイナス要素も持つ。それが逆に魅力で親近感を覚えるのかもしれない。

翻って人間界では共感にはほど遠い「ざんねん」が目に余る。元秘書への暴行問題や不倫疑惑など、国会議員の不祥事が相次ぐ。転落の軌跡は「ざんねんないきもの」と違い心の琴線に触れない。

「希望」 「多忙」 「無謀」



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中日春秋 9/27

バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンは一度、NBA(全米バスケット協会)を離れて、プロ野球に挑戦している。一九九三年、三十歳前後のときだから、バスケット選手として脂の乗った時期である。

幼い時、プロ野球選手になると父親と約束していたという理由が泣かせるが、やはりバスケットほどには実力を発揮できず、大リーガーには昇格できなかった。スーパースターといえど、天は二物を与えるほどに甘くはないのか。

ジョーダンはバスケットをやめた上で、野球の道を追いかけたが、この人の場合、同時に二つの道を追いかけるというから野心的というべきか、欲が深いというべきか。東京都の小池百合子知事である。都知事を続けながら、新しい国政政党「希望の党」の代表に就任する意向を示した。

国会議員になるわけではないが、東京都政と国政政党トップの二足のわらじとは、「希望」がどうも「多忙」や「無謀」と聞こえてしまう。

小池さんがトップにならなければ総選挙での得票が期待できぬという新党側の「希望」は分からないでもないが、掛け持ちするのは東京五輪・パラリンピック、豊洲市場移転問題など課題山積の都政である。

都政と新党。どちらの仕事にも集中できない人を、果たして国民、都民は「希望」するか。有権者も天と同じで器用な「二物」を許すほど甘くはなかろう。

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人は、人を浴びて人になる

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人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い

夏苅 郁子(著)
序章:患者の家族として、患者として、そして医師として
第1章:患者の家族としての子供時代
 ・人生の最初に助けてくれた人
 ・私の話を、最初に聞いてくれた人
 ・私の最初の友達
 ・医師を目指すきっかけとなった、中学時代のいじめっ子たち
第2章:自分が患者になったとき
 ・「生きること」を気づかせてくれた
 ・「人生を楽しむこと」を教えてくれた
 ・「毅然として生きること」を教えてくれた
第3章:医師として生きると決めたとき
 ・「おもてなしの心」を教えてくれた人
 ・私の人生の扉を開けてくれた人
 ・「自身を持つこと」を教えてくれた人
 ・同じ価値観を持っている人
終章:母と父へ宛てた手紙



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日めくり 9/22

 静岡県焼津市の児童精神科医・夏苅郁子さんが新著「人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い」(ライフサイエンス出版、1620円)をこのほど出版した。
 夏苅さんは、幼いころに母親が統合失調症になった影響で自身も心を病み2度も自殺を試みた。つまり、「患者の家族」であり、「患者本人」であり、「医師」でもある人だ。本書では、もがき、悩み、苦しむ夏苅さんを「光で照ら」すことでその回復を助け、「『まっとうな』人生を送れるよう」にしてくれた12の出会いについて綴っている。
 夏苅さんが「大切な人達」と呼ぶ中には、日本における終末期医療をけん引してきた柏木哲夫・淀川キリスト教病院理事長がいる。だが、登場する人たちのほとんどは高名ではない。幼い時に助けてくれた叔母や生きることに迷う人、新人医師時代に担当し手を尽くしたものの「自死」を選んだ女性患者、長い間嫌悪し距離を置き続けた母親と同じ統合失調症の男性患者、そして初めての友達である愛犬のコロ…。そう、夏苅さんも言う「普通の人たち」だ。
 そんな「心にずんと入ってくる」人たちとの交流を通じて、夏苅さんも徐々に変化していった―。このように書くと、夏苅さんは若くして、それこそ“あっさりと”立ち直ったかのように感じるに違いない。ところが、登場する人たちの多くと出会うのは30歳のころから。2度目の自殺を図った後だ。そして、本当の意味で「まっとう」に生きるための「扉が開」いたのは2010年、55歳の時だった。そんな夏苅さんを、本にも登場する統合失調症の男性患者は「トライアスロンをやってきたんだね」と評する。男性の病歴は30年以上。そんな彼から見ても、夏苅さんが生きてきた道のりは過酷だということなのだろう。
 大きく変わるきっかけを与えてくれたのは、漫画家の中村ユキさんが著した「我が家の母はビョーキです」。夏苅さんと同じく統合失調症を患う母親を持つ中村さんは、深刻で時に壮絶ともいえる母親を巡る体験を、ほのぼのとした画調ながらもどこか第3者的な“冷めた”目線で描いている。その効果もあるのか。内容はとても重いのにユーモアを感じる一冊だ。
 中村さんとの出会いで、夏苅さんは母親の病気、そして自身の半生を公表することを決意する。自身の半生を医学者の視点からまとめた論文を執筆。12年には論文を基にした「心病む母が遺してくれたもの」(日本評論社)を出した。さらに、講演などで自身の体験を語ることが回復を後押しした。そして、「患者の立場も家族の立場も医師の立場も、素直に受け止めようになった。どれもが、本当の私なのだから」と思い至り、自分に自信が持てるようになった。
 何度も読み返して感じるのは、あきらめないことの大切さだ。現実にはね返されて、へこたれても、くじけてもいい。でも、また挑む。もっとも、言うは簡単だが実際には難しい場面もある。そんな時は、時間をおいて体勢を立て直すのだ。その気概を持ち続ければ、夏苅さんのように「大切な人」に巡り会える。私自身、今春に受けた大きな手術の影響でまだまだ完調とは言えず、心そして、体から不安がなくなることはない。それだけに、一言一言が心に染み入ってきた。
 同時に、嫌なところ、影の部分といったネガティブな部分を含めたその人自身を受け入れてくれる人間の存在がいかに大きいかを再認識させられる。そして、私を含む読み手に鋭くこう問うている気がする。周囲の人を受け入れられていますか? 知らんぷりをしたり、拒絶していませんか?―と。
 迷ったり、行き詰まったと感じたときには必ず手に取りたい一冊だ。

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 夏苅先生が10歳のころにお母上が統合失調症を発病しました。子どもの目にはお母上は攻撃的になり夜眠らず、ぶつぶつ言っていて、目が鋭くて目を合わせないようにしていたのを覚えていることが怖く感じられたことがオブラートに包まずに書かれてあります。
 中学でお母上の作ってくれた制服を着て学校に行ったら、いじめの対象になり、お母上に憎しみの気持ちを持つようになって口を利かなくなったことや、発症するのではないかという不安についても触れられています。子どもである夏苅先生ご自身もお母上もこの病気の被害者であり、病気のことを知らずに、家族同士で憎み合っているのはこの病気の悲劇であり、もし知っていたら、先生はお母上に先ず病院に連れて行ったと述べられています。
 その後お母上とは長いこと顔を合わすことはなく、医学部に入ったのも、自分を傷つけた人々を見返してやりたいと思ってより偏差値の高い大学に入っただけで、入ったら目的が無くなってしまい、そのうち心が病んでしまって、2度の自殺未遂・摂食障がいも抱えてしまったという物語が率直に描かれています。そして精神科医となった経緯や、その後のさまざまな医療関係者やそうでない人々との出会いによって少しずつ回復を歩まれました。

 しかし、お母上がなくなり、ご結婚されてもながらく一番大事な自分の存在の原点であるお母上との事が解決しておらず、精神科医として統合失調症という病に向き合うことが難しく、しょんぼり生きておられたそうです。しかし、ある日、「我が家の母は病気です」(中村ユキ著)という本に出合われた夏苅先生はすぐにこの本を取り寄せて読み、著者の中村ユキ氏に会って自分の気持ちを聞いてもらい、ご自身のリカバリーの物語を伝える活動を始められたそうです。

 出会いによって、今も家庭で苦しんでいるご家族、ご本人がもっと人間らしく扱われ、もっといい医療を受けて大手を振って歩ける世の中になって貰いたいというもっと大きな心を持たれ、ご自身のストーリーを公表しようと思ったそうです。精神医療において支援の立場、当事者の立場を超えて、人のリカバリーを信じている方々、リカバリーを信じたいと思っている方々に是非読んでいただきたい一冊と思います。

 「人が変わるのに締め切りはない」という言葉が強く心に残りました。

般若心経を唱えてみましょう!

般若心経を唱えてみましょう!

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「さわり」の正しい意味を知っていますか?


 「さわり」という言葉の正しい意味は「話などの要点」「話などの最初の部分」のどちらだろうか?

■「さわり」という言葉の意味を街で聞いてみると――

 学生(20代)「話の最初の部分教えて、みたいに『さわりだけ教えて』と言うときあります」

 主婦(20代)「話の流れの一番最初の部分みたいな、話の内容の前にさわりでなんとかなんとかみたいな」

 「話の最初の部分」という意味で使われがちな「さわり」。しかし本来の意味は「話などの要点」のこと。

 学生(20代)「合っているのはこっち(要点)って思っているんですけど。やっぱり出ちゃいますよね」

 主婦(20代)「私、日本語分かってないんだなって思います」

 21日に文化庁が発表した「国語に関する世論調査」によると「さわり」の意味について、53.3%と半数以上が本来の意味ではない「話などの最初の部分」と答えている(※浸透しているため誤用とは言えない)。本来の意味の「話などの要点」と答えた人は36.1%だった。

■続いて聞いてみたのは、「ぞっとしない」という言葉の意味。「恐ろしくない」と「面白くない」のどちらだろうか?

 医療関係(20代)「ぞっとしない、恐ろしくない」

 会社員(20代)「怖い映画見たりとかしたときに、恐ろしくない(という意味で)言うかな」

 主婦(40代)「ぞっとするが恐ろしいだから、その反対だから恐ろしくない」

 「ぞっとしない」の本来の意味は「恐ろしくない」ではなく「面白くない」だ。しかし調査の結果を見てみると、「恐ろしくない」と答えた人が56.1%と半数以上(※浸透しているため誤用とは言えない)。本来の意味である「面白くない」と答えた人は22.8%にとどまった。

■年代によって使うかどうか分かれる言葉も。例えば「毒を吐く」という言葉を使うことがあるか聞いてみると――

 会社員(20代)「使う。すごい毒吐くじゃんみたいな感じで」

 学生(20代)「使います。愚痴みたいな話とかしたときに。吐いてスッキリしたわみたいな」

 主婦(70代)「自分たちはあんまり言わない」

 主婦(70代)「毒吐いたねとは言わないけど、悪口よねっていうのは言いますよね」

 年代別に見ると「毒を吐く」という言葉を使うことがあると答えた人は20代から40代で半数以上だった一方、10代と50代以上では3割台以下にとどまった。(16~19歳38.2%、20代54.1%、30代59.8%、40代52.9%、50代30.7%、60代11.3%、70歳以上5.4%)

■さらにもう一問。「存亡の機」と「存亡の危機」どちらの言い回しが正しいか?

 学生(20代)「2つめ。会社の存亡の危機みたいな」

 医療関係(40代)「今でいう、北朝鮮がミサイル撃ってきたら、日本は存亡の危機みたいな、そういう使い方かな」

 83%が「存亡の危機」が正しいと答えたが、本来の言い回しは「存亡の機」(6.6%)だ。

★★★

 本来とは違う言葉の意味や言い回しが広く使われている現状が分かった今回の調査。文化庁は本来の意味ではないものも一般的に広まっているものは誤用とは言えないとしている。

シルバー川柳

第17回「シルバー川柳」入選作品発表

 公益社団法人 全国有料老人ホーム協会(理事長:市原俊男、所在地:東京都中央区)が、毎年「敬老の日」に向け公募している「シルバー川柳」の今年の入選作品が決定いたしました。

 今年で17回目を迎えた「シルバー川柳」は、過去最高の15,576作品が寄せられ、下記の20作品が入選しました。今年度の選考は協会シルバー川柳選考会及び、当協会加盟ホーム入居者のうち67名による候補作品への投票で行いました。男女比については今年は男性が52%、女性48%と昨年に比べ、男性の割合が微増しています。また、今年は有料老人ホーム入居者からのご応募もめだちました。従来どおりの「シルバー世代あるある」はもちろん、時事的に話題のキーワードも多く寄せられ、アクティブシニアの皆さんの関心の幅の広さを感じる作品群となりました。(公募期間:平成29年3月1日~6月25日)

入選作品 ★の作者名はペンネーム

※敬称略・順不同

■紙おむつ地位も名誉も吸いとられ
厚木のかずちゃん(男性・神奈川県・73歳・無職)★

■字を忘れ考えてるうち文忘れ
鳥海一郎(男性・千葉県・93歳・無職)

■いつ死ぬか分かれば貯金使うのに
遙(女性・岐阜県・77歳・主婦)★

■生きがいは何かと聞かれ「生きること」
山田和一郎(男性・栃木県・61歳・無職)

■手をつなぎ互いの杖となるあした
荒木惠子(女性・愛媛県・63歳・無職)

■物忘れ知識を少し捨てただけ
加藤義秋(男性・千葉県・70歳・無職)

■温かく迎えてくれるは便座のみ
圓崎典子(女性・茨城県・53歳・パート)

■「君の名は?」老人会でも流行語
はだのさとこ(女性・岡山県・62歳・主婦)★

■iPad指舐めスライド孫怒る
長谷川明美(女性・東京都・57歳・主婦)

■遺言書「すべて妻に」と妻の文字
りく・そら・ばあば(女性・愛知県・59歳・主婦)★

■ルンバさえ越えてる段に足とられ
あーさまま(女性・大阪府・58歳・無職)★

■付いて来い言った家内に付いて行く
山本敦義(男性・愛媛県・83歳・無職)

■通帳に暗証番号書いている
平野好(男性・青森県・75歳・無職)

■寝てるのに起こされて飲む睡眠薬
瀬戸なおこ(女性・神奈川県・59歳・主婦)

■母がボケ初めて知った過去の恋
クローバー(女性・鹿児島県・49歳・主婦)★

■ポケモンを捜し歩いて捜されて
駄句さん(男性・静岡県・76歳・無職)★

■ペットロス主人の時より号泣し
岩谷紀子(女性・東京都・76歳・主婦)

■ピンポーンにやっと出たのに不在票
榎本美智代(女性・大阪府・54歳・ヘルパー)

■石段の下から拝む寺参り
浦本狂児(男性・熊本県・83歳・無職)

■できますと家族を泣かす認定日
中川潔(男性・福井県・53歳・会社員)

リトルワールド

ワールド『世界のグルメシリーズ』

シーズンごとに変わる世界の料理をインパクトあるビジュアルで表現。

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学校に行きたくないあなたへ

学校に行きたくないあなたへ

8月30日
夏休み終わりだね。

長かった夏休み、どうだった?

楽しいこと、あったかな?

久しぶりに学校が始まるけど、友だちに会うの、楽しみ?

「学校に行くの、いやだな…」って思っている人もいるかもしれません。「ずっと夏休みが続いてくれたらなぁ」って思ってる人も、きっといるでしょう。
ネットを見ても、8月の終わりが近づくにつれて、こんな書き込みが増えてきました。

「学校いきたくねえ。。真面目に嫌だわ」

「どうしよう 学校行こうかな 行かんと怒られるしな どうしようかな でも行きたくないな」

「明後日から学校だけどみんなに会うのが嫌…無理…会いたくない…めんどくさい…」

大変なことが起きてるんだ
2学期が始まるこの時期、実はとっても悲しいことが起きてるんだ。これまでの40年ほどを調べてみたら、9月1日とその前後に、自分で命を絶ってしまう子どもが多かったんです。夏休みが終わるこのころ、生活のしかたが変わるよね。それで、気持ちがゆれ動いたり、しんどくなったりするそうなんだ。
大変なことが起きてるんだ
しんどかったら 学校 行かなくていいんだよ
お父さんやお母さん、まわりの大人たちからは、「学校にちゃんと行きなさい!」と言われているかもしれないね。

学校に行けば勉強できるし、友だちとも会えるし、いろんな体験ができるよね。学校が楽しいと一番いいんだけれど、楽しくないという人もいると思います。いじめられたり、いやがらせをされたりしているかもしれません。学校に行くのがほんとうにいやで、もう、どうにもしんどかったら「行かなくったっていいんだよ」と、いろんな人が呼びかけています。
しんどかったら 学校 行かなくていいんだよ
新学期がゆううつなみんなのために、いま、NHKがキャンペーンをやっていて、いじめのことをよく知っている荻上チキさんは、こんなメッセージを寄せてくれました。

荻上チキさん
「いじめがつらかったので、学校が何かの理由でつぶれてくれないかなと思ってました。帰宅後のゲームやテレビ番組が好きだったので、学校は「人生のサブの場所」、テレビの前が「人生のメインの場所」という感じ」


お笑いコンビ「流れ星」のちゅうえいさんも、こんなことを書いています。

ちゅうえいさん
「こんなオモシロイ俺でも、いじめられてたときあったよ。夏休みは一人、図書館で本読んでた。で、学校の誰かが来たと思ったら確認もせず裏口から飛び出すの。でもいいこともあったな。足音を聞き続ける事で耳がよくなったよ!がんばっちゅうえい!」
みんな、しんどいときがあったんだね。それでね、学校や教育のことをすごくよく知っている尾木ママさんは、こんなことばを寄せてくださいました。

尾木直樹さん
「学校って絶対に行かなきゃいけない場所? 学校は休んじゃいけないの?学校が安心して過ごせる場所じゃないなら行かなくてもいいのよ。緊急避難だもの。休むのも自分を守る大切な権利。大丈夫! 安心してね」
ほんとうにつらかったら、学校行かなくてもいいんだ、って呼びかけているんだ。
“居場所”があるよ
「学校に行かなかったら、どこにいればいいんだろう?」

そうだね、不安に思うよね。夏休み終わったのに、ずっとおうちにいるのもしんどいし…。

実は、そんなときにすごせる場所があるんだよ。

フリースクール
1つは「フリースクール」っていうところ。自分にあったペースで勉強したり本を読んだり、楽器や工作で遊んだりして、自由にすごすことができるんだ。気軽に相談できる大人もいて、悩みや気持ちを受け止めてくれるはずだって。全国に470ほどあって、夏休みの前後には、無料ですごせるようにしているところもあるらしいよ。
“居場所”があるよ
「フリースクール全国ネットワーク」のHP
「フリースクール全国ネットワーク」というグループの事務局長、松島裕之さんも、小学4年生のころから中学校を卒業するまで、いじめなどのせいでずっと不登校になったんだって。松島さんは「学校に行っていたかどうかなんて、大人になるとあまり大きな差にはならないよ。学校以外で体験できることや出会える仲間もいるから、学校に行けないだけで将来に絶望しないで。つらいときは学校以外の選択肢があることを知っておいてくださいね」と話していたよ。

児童館
ほかにも、「児童館」という施設があるんだ。卓球台とか一輪車とか、けん玉などの、いろんな遊び道具がそろっていて、子どもたちと一緒にいるのが得意な大人の人もいてくれるんだ。「いるところがなかったら児童館にいってみよう」とか、「しんどくなったらおいでよ」などとメッセージも出していて、気軽に顔を出せると思う。全国で4600か所以上もあるらしいからすごいね。きっと近くにもあるんじゃないかな。

図書館
あとね、身近なところだと、図書館っていう方法もあるんだ。一日いても怒られないし、見守ってもらえるから、覚えておいてね。

相談できるところもあるよ
こういう施設に行く前に、まずは電話などで気軽に相談することもできるんだ。苦しいことや悩みがあったら、ひとりで抱え込まず、打ち明けてみるのが大事だよ。

チャイルドライン
電話0120ー99-7777(月~土:午後4時~9時)

全国70か所に拠点があって、ふつうのおうちの大人や、学生、学校の先生をやめた人などが相談にのってくれるんだ。電話代が無料でかけられるよ。9月6日までは、チャットでも相談にのってくれるらしい(午後4時~6時)。相談するときは名前を言わなくていいし、話したことはないしょにしてくれるそうです。

24時間子供SOSダイヤル
0120-0-78310(24時間)

夜中も含めて24時間相談できるんだ。先生をやめた人や、心の問題についてよく知っている人たちが電話に出てくれます。電話代無料です。

いのちの電話
0570ー783ー556(午前10時~午後10時)

自殺を防ごうと、ずいぶん前から活動しているところなんだ。ふだんは電話代がかかるけれど、毎月10日の午前8時から次の日の午前8時までは、電話番号0120ー783ー556で、電話代無料で相談できます。

フリースクール全国ネットワーク
03-5924-0525

さっき紹介した「フリースクール」のことは、ここに聞いてみてね。近くにあるといいね。

それから、NHKの「Eテレ」は、学校のことを考えると気持ちが沈んでしまうというみんなのために、8月31日の夜、いろんな番組を放送します。「#8月31日の夜に」というサイトものぞいてみてね。http://nhk.jp/831yoru
相談できるところもあるよ
生きていることが大事だよ
居場所がないなと思ったとき、つらいよね。しんどいよね。「ずるい」って思われても、かっこ悪くても、できが悪くったって、いいんだよ。生きていることが大事なんだよ。忘れないでいてね。

保護者のみなさんへ
この時期、子どものちょっとしたサインに気付いてあげることが大事だということです。

神奈川県川崎市のフリースクール「フリースペースえん」を運営するNPO法人の理事長で、長年、不登校の子どもや保護者の相談に応じてきた西野博之さんによりますと、子どもにとって自分を取り巻く状況や気持ちを言葉で説明するのは難しく、また、心配をかけないよう、気持ちを口に出さず我慢する子どもも多いそうです。このため、子どもの“SOS”に周りの大人が早く気付いてあげることが何より大切だということです。
注意が必要なサイン

西野さんや子どもの支援活動を行う団体によりますと、次のような兆しは要注意です。

・「学校に行きたくない」「学校が嫌だ」などと話す。
・頭痛や腹痛、それに、思うように体が動かないなどの体の不調を訴える。
・何度も肩をすくめたり、まばたきをしたりする。
・長時間、繰り返し手を洗ったり、長い時間、風呂に入ったりする。
・急にイライラしたり、落ち込んで話さなくなったりする。
・逆に、急に明るくなる。

こうした変化が見られるときは、学校や、子どもの支援にあたる団体などに相談し、学校を休んで心と体を休めることが大切だということです。

さらに、子どもと向き合うときの姿勢について、NPO法人「チャイルドライン支援センター」の理事で、長崎市でフリースクールを運営する中村尊さんは、次のように指摘しています。

「SOSを発する子どもに『それぐらいのことで…』と返したり、『行かなくてどうするの』と責めたりしないでください。まずは子どもの思いに気付けるよう言葉をかけ、命を守ってあげてください。そして、どうすれば笑顔で個性を伸ばしていけるか、子どもと一緒に考えていきましょう」

新解さん

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国語辞典って、分からない言葉や文字を調べる時にだけ使うものだと思っていないだろうか? そんなお堅いイメージのある国語辞典だが、三省堂の「新明解国語辞典」は個性的な語釈や例文が面白いと、密かなファンが多い国語辞典なのだ。赤瀬川原平の「新解さんの謎」は、この「新明解国語辞典」から面白いものを抜き出し、雑感等を挟んだエッセイ集といった内容になっている。「新解さんの謎」の帯には“怪人現わる! 女に厳しい、金がない。魚が好きで、苦労人 辞書の中にひそむ男の気配 辞書のページをかき分けて言葉の森の奥深くに迫る「新解さんの謎」に加えて巷に氾濫するチラシの生態から、余白と地球環境、紙と神の怪しい関係等々を考察する「紙がみの消息」を収録。深遠かつ抱腹絶倒の豪華二本立て・原平ワールド”という魅惑的なコピーが書かれている。

本書は赤瀬川氏が一目置いている女性SM嬢(これは単純にイニシャルだそうだ)からの電話で幕を開ける。彼女は「新明解国語辞典」の面白さに取り憑かれているらしい。彼女の話を聞きながら、赤瀬川氏も「新明解国語辞典」に目を通してみる。すると確かに辞書らしからぬ解説が随所にある。例えば
・れんあい【恋愛】-する 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。
「出来るなら合体したい」などというその辞書らしからぬ解説を読んで、赤瀬川氏は「読書のような気持になった。辞書なのに」と書いている。 かくして赤瀬川氏もまた新解さんの魅力にどっぷりはまり、初版から第4版までの「新明解国語辞典」を通じて新解さんの謎を解き明かそうと試みる。

新解さんは公務員に厳しいという特徴も垣間見える。
・せいれん【清廉】心が清くて私欲が無いこと。〔役人などが珍しく賄賂などによって動かされない時などに言う語〕(初版~第4版)
・やくにん【役人】公務員。「役人根性(=役人特有のおうへいで、融通のきかない考え方)・小役人」(第3版)
・こうぼく【公僕】〔権力を行使するのではなく〕国民に奉仕する者としての公務員の称。〔ただし実情は、理想とは程遠い〕(第3版~第5版) 他にも
・じっしゃかい【実社会】実際の社会。美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞とが充満し、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す←新解さんは一体どんな人生を送ってきたのだろう、と思わず考えてしまう。
・たりる【足りる】…するに十分である。まにあう。「五千円あれば一週間は何とか-」←あまりお金持ちではないようだ。
・いっきに【一気に】(副)ある事が契機になり、以前からの懸案を図らずも達し、問題を解決したり、局面が展開したりすることを表す。「従来の辞典ではどうしてもピッタリの訳語を見つけられなかった難解な語も、この辞典で-に解決」←ちゃっかり宣伝までしている所が何だかかわいい。
・どっぷり(副)液体を十分に含ませたり湯水などに十分に浸ったりすることを表わす。「おそばのタレは、たっぷりとつけたい。たっぷり、というより-といった方がいい」←完全に個人的な好み。
・うれしい【嬉しい】(形)「あいつもだめだったかと思うと、嬉しくなっちゃう」←分かります。

といった具合に、新解さん個人の体験談や感想としか思えないものや、前後のストーリーを想像したくなるようなものなど、辞書にあるまじき語釈・例文が数多く載っている。 本書の巻末を読むと、赤瀬川氏が正式に三省堂の許可を得て「新明解国語辞典」の初版から第4版を引用していることが分かる。中でも第4版は最高傑作と呼ばれており、かなりレアものらしい。しかし、残念ながら改訂を重ねるにつれて、本書で紹介されている例文の多くも改められているそうだ。本書を読むと「新明解国語辞典」の第4版がどうしても欲しくなる(実際、私は買ってしまった)。

「新明解国語辞典」の中に見え隠れする謎に包まれた新解さん像を探る楽しみ、まるで文学作品のような想像力をかき立てられる例文。これは他の国語辞典にはない楽しみだ。もちろん、正当な辞書として利用できることは言うまでもない。

赤瀬川原平は、前衛美術家であり、随筆家、作家でもあるので目のつけどころも文章も面白い。この「新解さんの謎」にしても、路上観察学会や、「トマソン」、「老人力」にしても、多方面でマルチな活躍をする赤瀬川氏が世の中を斬る着眼点、発想力にはいつも脱帽させられる。 本書の巻末を読むと、赤瀬川氏が新解さん(編集主幹の山田忠雄氏)にいちど仲介を通して会見を申し込んだことがあると書かれている。その結果は「まあ会わんほうがええでしょう」という、いかにも新解さんらしい返事だったそうだ。 また、赤瀬川氏はこうも書いている。「疑問にはとにかく答を、そして、次行きましょう、という主義の人には、新解さんは見えないだろう。(中略)世の中は新解さんのわかる人と、新解さんのわからない人とに分かれるんじゃないか…」
確かに新解さんがわからなくても生きて行くのに困る事はないかもしれない。しかし、味気ない日常やモノの中から面白い事を見つけ出す目、これがある方が人生も楽しいはずだ。 もし、私がどこかで「新明解国語辞典」を熟読している人を見かけたら、きっと凄く嬉しいだろう。 「新解さんの謎」は、国語辞典というものの概念を180度変えてくれる、貴重で愉快な1冊である。

…………………………

越山若水 8/22

「お札と書いてオサツと読むのか、オフダと読むのか、外国人には難しい問題だろう」と、故赤瀬川原平さんが書いていた。さすがに才人、目の付けどころが違う。

前衛美術家であり随筆家、作家。その筆はおかしみとともに本質を突く。「新解さんの謎」(文藝春秋)にある先の文章は「紙と神は紙一重」と、駄じゃれのようにつづられる。

こういう文脈だ。「札」の一文字だとフダと読んで木製のイメージである。それに「お」を付けてオフダというと途端に紙のイメージに変わり、神と重なってくる、と。

では、オサツはどうか。元はただの通貨の紙だが、日本ではそれに「お」を付け「物とか数字以上の付加価値を認めているのだ」。ややこしくなったので、整理が必要なようだ。

お説によれば、木のフダは物理的な「物族」。一方、紙のオフダやオサツは精神的な「神族」。そう使い分ける日本だが、近年は神族の旗色が悪くて残念、というのだった。

読み札、取り札。かるたに欠かせない札は何族だろう。読みはフダ。けれど断然、神族だろう。紙製が一般的だからというより、日本文化の粋だから。

競技かるたの全国大会が先日まで越前市で開かれ、イタリアなど3カ国10人の海外勢も参加したという。うれしいことだ。年端もいかない子が目にも留まらぬ速さで札を払う。きっと、神業に見えたに違いない。

長崎平和宣言

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 「ノーモア ヒバクシャ」
  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
  人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日
長崎市長  田上 富久

平和への誓い

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平和への誓い 深堀好敏さん

 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。
 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。
 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

2017年(平成29年)8月9日
被爆者代表 深堀好敏

ハンドスピナー

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ハンドスピナー 遊び方

ハンドスピナーの遊び方は、
大きく分けて2つあります。

■1つ目
勢いよく回して、どのハンドスピナーが一番回るのか?
ストップウォッチを用意して、タイムを競い合うもの。
(これは、テーブル上などで止まるまで待ち続ける)

そして、長く回ったハンドスピナーの勝ち。

■2つ目
回転が止まるまで待つのではなく、ハンドスピナーを一度回しては止め、回しては止め。
という作業を無意識レベルで繰り返す。遊び方です。

ペン回しのような、手遊び感覚として利用するケースがほとんどです。
指の腹にハンドスピナーを乗せ、落とさないようにバランス感覚を取りながら、
回転している円盤を見たり、指にハンドスピナーを乗せながら人と話をしたり・・・

「●●~ながら」ながら作業を行う時に、無意識にハンドスピナーを回すものです。

長くハンドスピナーと接していると、この手遊び感覚が忘れられず、
また近くで誰かがハンドスピナーを回していたら気になって自分も回したくなる症候群になってきます。

ここで紹介した以外にも、回しているハンドスピナーを
指から指へ移動させたり、肘の上でハンドスピナーを回してみたり・・・
ハンドスピナーをジャンプさせてジャンピングキャッチをしてみたり・・・

遊び方は、無限大です。

是非、あなたも、ハンドスピナーを手にとってみて、
あなた好みの遊び方を見つけてみてください!

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平和への誓い

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2017年 平和への誓い

原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常があったのです。

昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分、広島の街は、焼け野原となりました。
広島の街を失ったのです。
多くの命、多くの夢を失ったのです。
当時小学生だった語り部の方は、「亡くなった母と姉を見ても、涙が出なかった」と語ります。
感情までも奪われた人がいたのです。
大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。

しかし、今、広島は人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。
草や木であふれ、緑いっぱいの街になりました。
平和都市として、世界中の人に関心をもたれる街となりました。

あのまま、人々があきらめてしまっていたら、
復興への強い思いや願いを捨てていたら、
苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません。

平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所、広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。

未来の人に、戦争の体験は不要です。
しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。

一人一人の命の重みを知ること、互いを認め合うこと、まっすぐ、世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。
広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

平成29年(2017年)8月6日
こども代表
広島市立大芝小学校6年 竹舛 直柔
広島市立中筋小学校6年 福永 希実

ペンケース (面白文具)

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面従腹背

日めくり 7/25

 「面従腹背」という言葉に、いいイメージを持つ人は少ないだろう。うわべは従っていると見せて、心は背いている。不誠実な姿だ。好意的に評価しても、せいぜい「したたか」という言葉にたどり着くぐらいが関の山か。
 文部科学事務次官を退任後、前川喜平さんは加計学園の問題で各メディアのインタビューに応じ、その中で座右の銘は「面従腹背」だと発言していた。座右の銘も変わっていないけれど、人にどう見られるかということに頓着しないところも、そのままだと感じた。
 5月29日本欄の「公教育からのエクソダス」で書いたとおり、この一連の原稿は2000年秋に聞いた前川さんの話に依拠している。そのとき彼は、文部省入省当時のことにも触れた。いま考えると、それはおそらく、官僚組織を含む共同体のあり方に関する彼の考え方を示すためだったのだが、当時の私は理解が及ばず、その部分はメモの中で( )に包んでいる。本論から外れた雑談と受け止めたのだ。そのまま採録する。
 (文部省入省当時、私は家来なのかと思った。上司と部下の関係ではなかった。そのときから、いかに面従腹背するかだと思ってきた)
 古くからの組織は多くの経験・事例を経て、さまざまな準則や手法を構築している。内部にいながら、それらに違和感を持ったり、不合理だと感じている人も少なくないはずだ。だが、多くの人は組織の厚い壁の前で立ちすくんでしまう。自分の頭でものを考える人ほど、そういう場面が多くなる。そのとき志を、異論を、どう身内に保ち続けるのか。
 私の貧しい経験を挙げれば「被疑者呼び捨て」がそれだった。
 大学では法律を学んだから、刑法や刑事訴訟法の基礎ぐらいは知っていた。そして、有罪確定までは罪を犯していないとみなす「無罪推定の原則」や、人の自由を制約する場合の歯止めとなる「適正手続きの保障」などは、市民を守る大切な法理だと考えていた。ところが報道は、被疑者段階で犯人扱いする。その象徴が呼び捨てだった。有罪の蓋然性が高まる起訴時点で、ようやく「被告」を付ける。扱いが逆転していた。
 日々「手を汚している」という感覚が消えなかった。労組の集会でそう発言したこともある。しかし「容疑者」呼称が採用されるまで、入社から8年近く、1989年末まで待たねばならなかった。付言すれば、それでも「逮捕=犯人」と言わんばかりの報道はなくなっていない。それに対して、私は何もできていない。忸怩たる思いがある。
 経験を積み、実績を示し、発言力や権限を増す中で、職場や組織自体を少しずつ民主化する。「殿様と家来」の関係から、ものを言い合える「上司と部下」になる。そうすれば、仕事の中身にもヒューマニズムが生きてくる。人間が人間として尊重されない組織に、人間を大切にする仕事はできない。前川さんの「面従腹背」はそれほどの意味だったろう。
 それを実践し続け、曲折はあったが、官僚トップの事務次官になった。そこに天下り問題が露見する。その経緯や違法性の軽重、背景などについては語るべき情報を持たない。ただ国会で前川さんが「万死に値する」と述べたことは心に刺さった。
 それほどのことなのか。大時代的に聞こえる「万死に値する」とまで表現するのは、なぜなのか。彼は先輩が作りあげたシステムを容認してしまっただけではないのか。
 しかし、よく考えてみればそうではなかった。面従腹背というなら、面従する相手がいなくなったら、正義を貫かねばならない。違法な天下りシステムは文部科学省内部で構築され、内部でほぼ完結していた。事務次官なら悪しきシステムを廃することは可能だったのではないか。少なくとも、なくすために力を尽くすべきだった。彼は過ちを犯した。
 「万死に値する」という発言は、なにより自らの生きる倫理に照らしての悔いであったろう。
 吉野源三郎の名著「君たちはどう生きるか」の一節を引く。中学生のときに読み、私にとっては一生の指針となっている言葉だ。もちろん満足に実践できてはいないけれど。
 僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
 だから誤りを犯すこともある。
 しかし―
 僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
 だから、誤りから立ち直ることも出来るのだ。
 前川さんがこの言葉を知っているかどうか分からない。しかし、彼のこの間の行動は、まさにこの言葉どおりのものであった。ヒロイズムでも正義感でもない。過ちから立ち直り、誤りを正すための闘い。
 このシリーズの最初に触れた村上龍の「希望の国のエクソダス」で、学校にも日本という国にも「ノー」を突き付けた中学生のリーダー「ポンちゃん」は、国会でこう言う。「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
 しかし、ポンちゃんに言いたい。この国の無数の現場に、前川さんのように生きる人たちがいる。それを私は見てきた。「ポンちゃん、ここには間違いなく、希望があります」  

JAXA視察断りに憤り

知事「現政権のおごり反映」 JAXA視察断りに憤り

 来月初旬とされる「内閣改造」を理由に、宇宙航空研究開発機構(JAXA)からH2Aロケットの打ち上げ視察を断られたことを受け、大村秀章知事は二十四日の定例会見で、「安倍政権の傲慢(ごうまん)さ、おごり高ぶりが反映されている」と述べ、不快感や憤りをあらわにした。

 H2Aロケットは三菱重工業飛島工場(飛島村)で製造され、県が航空宇宙産業を全面支援することなどから、JAXAから知事に再三、視察の要請があった。ただ、これまで日程調整がつかなかった。

 来月中旬に決まった35号機の打ち上げも、JAXAが六月中旬に視察を打診。知事側はこれまでの経緯もあり、「ほかの行事をキャンセル」して、参加の意向を伝えた。

 七月十一日、JAXAから一方的に「視察は秋以降に変更を」と連絡があった。

 内閣改造後、新しい文部科学相らの視察を優先しようとしたとみられ、本紙の取材にJAXAの担当者は「内閣府から、内閣改造に伴って、再調整するよう要請を受けた」と認めた。知事は「私も決して暇なわけではない。日程をやりくりして行こうとしたが、そんなことは一顧だにされない。極めて遺憾だ」と語った。

 自民党は、今月上旬の都知事選で惨敗。二十三日の仙台市長選でも支持した候補が敗れた。加計問題などの対応は、安倍一強の「おごり」「傲慢」などと指摘され、二十五日には参院予算委で閉会中審査がある。

 知事は「(政府自民党は)反省、謙虚と口にするが、そういう雰囲気はみじんもない。新しい文部科学相は打ち上げの視察より(目の前のことを)勉強しないといけないのではないか」と皮肉った。

 知事側は十九日にJAXAあてに抗議文を提出。JAXAから県の担当者に二十日午後、メールがあり、謝罪と「県の意向次第」で日程を調整するなどの内容だったという。

 「とってつけたようなアリバイづくり、言い訳」と知事。どう転んでも、H2Aの視察には「行かない」と述べた。


芥川賞・直木賞

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第157回「芥川賞」に沼田真佑氏の『影裏』 「直木賞」に佐藤正午氏の『月の満ち欠け』

 日本文学振興会は19日、『第157回芥川龍之介賞・直木三十五賞(平成29年上半期)』の選考会を東京・築地「新喜楽」で開き、芥川龍之介賞に沼田真佑氏(38)の『影裏』(文學界5月号)、直木三十五賞に佐藤正午氏(61)の『月の満ち欠け』(岩波書店)を選出した。2人は初受賞。

 両賞は1935(昭和10)年に制定。芥川賞は新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された純文学短編作品、直木賞は新聞・雑誌(同)・単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品の中から優れた作品に贈られる。前者は主に無名・新進作家、後者は無名・新進・中堅作家が対象となり、受賞者には正賞として時計、副賞として賞金100万円が与えられる。

 前期・第156回(平成28年下半期)の芥川賞は山下澄人氏の『しんせかい』、直木賞は恩田陸氏の『蜜蜂と遠雷』が選出された。

 第157回候補作は以下の通り(五十音順・敬称略)。

■第157回芥川龍之介賞 候補作(掲載誌)
今村夏子『星の子』(小説トリッパー春号)
温又柔『真ん中の子どもたち』(すばる四月号)
沼田真佑『影裏』(文學界5月号)
古川真人『四時過ぎの船』(新潮六月号)

■第157回直木三十五賞 候補作(出版社)
木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(KADOKAWA)
佐藤巖太郎『会津執権の栄誉』(文藝春秋)
佐藤正午『月の満ち欠け』(岩波書店)
宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA)
柚木麻子『BUTTER』(新潮社)

君より先には死ねない

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 「ドラえもん」の声優で知られる大山のぶ代(83)の夫で俳優の砂川啓介(さがわ・けいすけ、本名山下啓一=やました・けいいち)さんが11日午前4時10分、尿管がんのため都内の病院で死去した。80歳。2015年に大山が認知症で、自身が介護していることを公表。「君より先には死ねない」と病と闘ってきたが、無念の最期となった。

 マネジャーによると、砂川さんは5月に肺にたまった水を抜くために入院。退院4日後の先月13日、連絡がつかないためマネジャーが自宅に行くと意識を失った状態で倒れていた。救急搬送された都内の病院で脳梗塞と診断され、再び入院。意識はすぐに戻ったが、今月11日に悪化し、息を引き取った。病室には、マネジャーが介護施設で暮らす大山を連れて何度か見舞っていた。大山は顔を見れば砂川さんのことは分かるようで、「啓介さん」「お父さん」と呼びかけ、テレビで相撲を観戦するなど夫婦だけの時間を過ごした。

 死去後に対面した大山は、棺の横で「お父さん」と言ってポロっと涙をこぼした。永遠の別れがつらかったのか、マネジャーは「すぐに部屋から出ていこうとして、“帰るの?”と聞いたら“帰る”と。最後は短い時間でした」と明かした。喪主を務めたが、通夜、葬儀の両日とも出席しなかった。

テレビ寺子屋 山元加津子

…………………………
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講師 山元加津子
講師紹介
1957年、金沢市生まれ。
富山大学理学部卒業後、小学校の先生を経て、石川県内の特別支援学校に勤務。
エッセイ、旅行記、イラストなどの制作活動も行っており、
子どもだけでなく大人の心も開き、感動の輪を広げている。


…………………………

第2040回「人の幸せを願う」

今回はブータンの話をします。

毎年、夏になると友達と旅行に出かけます。
ある時パソコンで動画を見ていました。
それは青年海外協力隊としてブータンで体育教師をしていた。
関健作さんという写真家の方が撮った作品でした。
関さんが男の子に「あなたはどんな時が幸せですか?」と聞くと
「家族が幸せそうにしている時。」と答えます。
女の子に聞くと「おかあさんが笑っている時が幸せです。」と。
人の幸せを願っている子どもを見て私はすごく感動しました。
そこで関さんに連絡して、私の友達と一緒にブータンに行きました。
ブータンでバスに乗って移動している時に
「ブータンの子どもたちは写真を撮ってもらったり、
手を振ってもらうのが好きなんですよ。」と関さんが教えてくれました。
私がバスから手を振ったら、子どもたちだけでなく、
おじいさんやおばあさんも手を振ってくれました。
ブータンの小学校を訪問した時、私の友達が、
学校に教育目標が書かれているのを見つけました。
そこには「他の人のことを祈れる子どもを育む」と書いてありました。
授業を見せていただいた後、私は子どもたちに聞きました。
「将来の夢は何ですか?」
ある男の子は、「医者になりたい。」と答えました。
「なぜ?」と聞くと、
「病気で苦しんでいる人を幸せにしてあげたい。」と言うのです。
次に女の子に同じ質問をしました。
「先生になりたい!」
「なぜ?」
「子どもたちを幸せにしたいから!」
私は子どもが自分の夢を語る時、
「お金持ちになりたい!」とか「きれいな服が着たい!」など
自分の幸せを優先する答えが返ってくると思っていました。
次の男の子に聞くと「サッカー選手になりたい!」と答えました。
これが普通の子どもの答えだと思ったのですが、理由を聞くと
「一生懸命頑張って多くの人に夢と希望を与えたい!」と言うのです。

養護学校も訪問しました。
ダウン症の幼い子どもが私の手を引っ張って
高校生くらいの子どものところに連れていってくれました。
その子は目が見えません。
でも私の顔を両手で包み込むように挨拶し、
私を感動させてくれました。
人が仲よくなるのに言葉はいらないのだと感じました。

ブータンは決して裕福な国ではありません。
でもブータンの人々はお経の書かれた旗を
自分のお金で買い山の上に立てます。
「ここでお祈りをした人々の優しい思いが
風にのって世界中の人たちに届きますように。」と。
本当に人の幸せを願っている国でした。

…………………………

第2038回「みんなひとつ」

私は「銀河の雫」というドキュメンタリー映画を作りました。

これはネパールで撮影したものです。
なぜネパールなのかという事を私の体験とともにお話します。
私は子どもの頃、ぼうっとしていることが多く、
虫や動植物などを見ているのが大好きでした。
友達と遊ぶ事もありましたが、運動神経が悪くて
鬼ごっこをしてもずっと私が鬼のまま。
友達もおもしろくなくなり迷惑をかけていました。
だから虫とかを見ている方が好きでした。
それから、私はうんちを見るのも好きでした。
ある時、祖母に面倒をみてもらっていると
私が急にいなくなったそうです。
祖母が「便所に落ちたんじゃないか?」と心配していると、
私は便所の中を覗き込んでいたそうです。
私は祖母に聞きました。
「なぜ一杯だったうんちが無くなったの?」
「汲み取ったから。」
「そのうんちはどこにいったの?」
「地球上には動物が一杯いるからそのうんちで一杯なの?」
祖母は「変な子だなあ。」と心配したそうです。

母と買い物に行った時も、
かたつむりが道を横断しているところを応援したりしていたそうです。
そんな私を近所の人も「変わった子だなあ。」と言っていました。
私は悲しくなり父に相談しました。
でも父は「かっこちゃんは、かっこちゃんのままでいいんだよ。」と言ってくれました。
私は安心してそれからも自然を観察する事に熱心だったようです。
そして自然を観察していると色んなことが分かって来ました。
桜の花びらが散っても銀杏の葉っぱが落ちても
ミミズやダンゴ虫がそれを食べうんちをしてまた大地に帰っていく。
「宇宙ってうまくできてるなあ。」、
そして「みんな平等なんだなあ。」と思いました。

今から十数年前ネパールを旅行している時、
ギータちゃんという現地を案内する人に出会いました。
彼女はこう言いました。
「この世の中はすべて同じ、平等なんですよ。」と。
私が子どもの頃から考えていた事と一緒でした。
私が彼女に色々な事を話したら
「そのとおりですよ。」と受け入れてくれるのです。
「目の前の犬がおなかを空かしていたら食べ物をあげよう。
傷ついた人がいたら助けてあげよう。
この世の中はすべて平等だから。」と。

そんなネパールで大地震が起こりました。
私はとにかく現地に向かいました。
そしてお葬式にも立ち会いました。
亡くなった方を布で木に巻いて燃やし、川に流します。
私は涙が止まりませんでした。
そんな私を見て近くにいた見ず知らずのおばあさんが
私を抱きしめてくれました。
目の前で悲しんでいる人がいれば優しくしてあげる。
ネパールの人はみんなそれが当たり前のように育っています。

映画では「みんな一緒、みんなひとつだ。」
という考えをもつネパールの人を描きました。

…………………………

第1756回「いのちの輝き」

私はおっちょこちょいで方向音痴なので、
講演会に出かけるにも、多くの人に助けてもらっています。
その一人だった同僚の宮田俊也さん(通称宮ぷー)が、2009年に脳幹出血で倒れました。
どんな重篤な病気かを私は知らなかったのですが、
医者は、「3日の命。命をとりとめても一生、植物状態です」と言いました。
でも、私はそのとき、何の根拠もなく、「大丈夫です」と言っていました。
医者は「僕の言っていることが分かりますか」と、私のことを心配してくださいました。
なにしろ、宮ぷーの瞳孔は開いたままで、汗もかけないので、体温は40度もあったのです。
私は学校の子どもたちがいつもどんなふうにすれば元気になるか考えました。
思いついたのは、「あなたのことが大好き」と言って抱きしめることでした。
私は宮ぷーの体の管の間から手を突っ込んで、「生きて!大好き!」と言い続けました。
祈り、話し、体をさすりました。
すると8日目に目が開きましたが、
「植物状態の人は昼間目を開いて、夜は閉じていることが多いのですよ」と医者に言われました。
私は「そんなことはない」と思って、開いた目に映るように、自分の顔を近づけたり、
日記を書いて宮ぷーに読み続けました。
半年が過ぎたころ、首が少し動くようになりました。
そこで私と宮ぷーは、首の動きで「はい」と「いいえ」を判別し、
あかさたなの表で文字をつないで言葉を作りました。
初めて宮ぷーが伝えてくれたのは「こわい、たすけて」でした。
その後、一般にはよく知られていませんが、意思伝達装置という機械を持ち込むと、
宮ぷーが次のような言葉を打ちました。
「まんげつをきれいとぼくはいえるぞ」病室の窓に映った満月を見て宮ぷーは泣いていました。
身体の不自由な方に接するとき、
私は「体が痛くないか」とか「トイレは?」など体のことばかりに気を取られていました。
誰でも思いはもっと深いところにあり、きれいなものをきれいと、
さびしいときにさびしいと言うのが人間なんだと、宮ぷーが教えてくれたのです。
あきらめなければ伝える方法は必ず見つかる。
宮ぷーが倒れた意味もきっとそこにあると思うのです。

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第1754回「素晴らしい大ちゃん」

大阪から6年生の時に私のいる特別支援学校に転校してきた、原田大助君の話です。
大ちゃんは、はじめ、私と目も合わせようとせず、
廊下の隅を何やら独り言を言いながら歩いていました。
近づくとそれもやめてしまいます。
私が「大ちゃん、今日は何曜日?」と聞くと、
「うーんそうやなあ、おれカレーライス食べたんやで」とか、
つじつまの合わない答えしか返ってきませんでした。
あとから分かったことですが、大ちゃんは、仲もよくないのに目を合わせたり、
人の言葉を自分の心に入れることなんてできないと思っていたのです。
そんなことに気付かない私は、大ちゃんに小学校1年生の平仮名ばかりの教科書で勉強させていました。
大ちゃんは何かを紙に書くのが大好きで、
そのころ、マス目のある紙に黒い丸のようなものをしきりに書いていて、
それを私たちは「執筆活動」と呼んでいました。
私はただマス目を埋めたいだけと思っていましたが、
ある時、ワープロを大ちゃんの所に持っていったところ、
大ちゃんは、「俺、これ好きやわ」と言って、
あっという間にやり方を覚え、友達の名前を打ちました。
南川泰範という名前なのですが、「泰範」の「泰」がすぐに変換できません。
そこで、大ちゃんは「お家安泰」と打ち、「泰」の字を出したのです。
私はびっくりし、またショックを受けました。
私は大ちゃんに、平仮名だけで勉強させてきたのに、
大ちゃんは何の不平も言わずに私の言うとおりにしてくれていたのです。
本当に悪いことをしたと思いました。
それから大ちゃんが1本の指で入力した内容をプリントアウトしてみると、
「ドラゴンボールZ」の脚本を自分で書いたもので、
それは「執筆活動」で大ちゃんが書いていたのと同じ内容だったのです。
大ちゃんは、文字で人に気持ちを伝えられることを理解し、それから詩を書くようになりました。
「さびしいときは心のかぜです。せきしてはなかんでやさしくしてねてたら1日でなおる」
私の友達が病気でさびしいのに何もできないと話した時に作ってくれた詩です。
大ちゃんには障害がありますが、自分のことが大好きと言います。
私も自分が何も出来ず、悲しくなることがありますが、大ちゃんや学校の子どもたちは、
「カッコちゃんはそのままでいいんや。大好きだから守ってあげるで」と言ってくれるのです。

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第1609回「雪絵ちゃんの願い」

今日は私の大切な友達でもある雪絵ちゃんという女の子のお話をします。

雪絵ちゃんとは、重い病気を抱え地域の学校に通うのが困難な子どもたちが学ぶ病弱養護学校で出会いました。彼女が抱える病気はMS(多発性硬化症)というもので、脳の障害により発熱すると目が見えにくくなったり、手足が動きにくくなります。発熱が治まれば病状は緩和されるのですが、私はまたいつ再発するかといつも不安でした。
しかし雪絵ちゃんはどんなにつらい時でも自分の力で立ち直ることのできる強いお子さんでした。そして「MSになって良かった」というのが口癖で「車椅子の生活をしているからこそ気付けたことや、多くの人々との出会いがたくさんあった」と前向きに生きていました。私はそんな風に思えるなんて素敵だなと思っていました。
そんな雪絵ちゃんとの日々が続いていたある年末の日、悲しい知らせが届きました。雪絵ちゃんが亡くなったということでした。私は、雪絵ちゃんの容態がどんなに悪化してもまさか亡くなることは無いだろうと思い込んでいたのでしばらくつらい思いでいっぱいでした。
数日後、私のもとに彼女からの一通の手紙が届きました。その一部を紹介します。「12月28日、私の大好きで大切で幸せな日、今日生まれてきて大成功。Snowに生まれてきてこれまた大成功。」Snowというのは雪絵ちゃんの愛称なのですが、最後の最後まで雪絵ちゃんは自分を丸ごと愛していたのだなと思います。

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第1610回「"大好き"は魔法の言葉」

今日は、養護学校で出会ったかおりちゃんとななちゃんのお話をします。

かおりちゃんは喜怒哀楽の表情が少なく、声に出して表現することが困難なお子さんでした。彼女のお母さんは、かおりちゃんが言葉を発することは半ば諦めていて、「ママと呼んでもらえることはこの先無いだろう」と悲しそうに話していました。それでも私は何とか話せるようになってほしいと一生懸命接していると、少しずつ私に心を許すようになりました。
ある時、机の上の本が落ちたことに驚いてかおりちゃんが「あっ」と声を発したのです。私が思わず「ママ」と言うと、小さな声で「ママ」と言いました。このことをお母さんに伝えると、涙ながらに「かおりと先生の"大好き"という気持ちが奇跡を起こしてくれました」と言ってくれました。
"大好き"という気持ちの大切さは、ななちゃんからも教えられました。ななちゃんは初めての場所が苦手で、大声で叫ぶことで気持ちを落ち着かせているお子さんでした。そんな彼女が私の顔を見て「柔らかそうな顔しとる」と言ったことがあります。彼女は自分を受け入れてくれそうな人を常に探していたのだと思います。そして私のことをそのように思ってくれたのですね。ななちゃんが私のことを好きでいてくれることがとても心地よく"大好き"の力を改めて感じました。
自分を好きでいてくれる人が周りにいるということは何にも代えがたいパワーの源だなと思います。このことは養護学校の子どもたちがいつも教え続けてくれていることです。

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第1569回「みんな同じ みんな素敵」

今日は、養護学校の教員になったばかりの頃に出会った「きいちゃん」という女の子のお話をします。

きいちゃんは、出生後まもなく高熱が出て、手足が思うように動かないという障害を持ちました。
ある日、きいちゃんがとても元気に職員室へ飛び込んできました。何かと思うと、お姉さんの結婚式に出席することになり、楽しみで仕方がないということでした。しかし、数日後に教室を覗くと、きいちゃんが机に伏して泣いていたのです。そして、「お母さんが、お姉ちゃんの結婚式に出てはいけないって言うの。私のことが恥ずかしいんだわ。」と言いました。私は、きいちゃんのお母さんがそのようなことを言うはずがないと思いました。しかし、今から25年近く前の当時は、障害者に対する偏見が強かったので、苦渋の思いでそう言ったのでしょう。
私は、お姉さんへプレゼントをしたらどうか提案しました。きいちゃんは手に重い障害があるにもかかわらず、一生懸命着物を縫い上げました。そんな思いを酌んで、お姉さんは改めてきいちゃんにも結婚式に出席して欲しいと言ってくれたのです。
私は、きいちゃんと出会って、自分は間違っていたなと思うことがあります。自分は教師なんだから子ども達に色々と指導しなくてはいけないと考えていました。しかし、人間が出会うということは、どちらかが一方的に教えるというのではなく、お互いに教え合い、学び合い生きているのだと思います。それは、年齢や性別や身体的なことなど、様々な違いがあっても誰でも同じことだと思います。

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第1571回「子どもと出会って知る幸せ」

私は養護学校の教員になる前に、小学校の講師をしていました。

大学を卒業したばかりの私が休養中の先生の代わりとして赴任しましたから、親御さんは不安で仕方なかっただろうと思います。しかし、子ども達はとても元気で明るくて、初めて教室に入った時に、駆け寄ってきてくれたことを覚えています。
そして、教科書を忘れた子をクラス全員で慰めるようなとても優しい子ども達でした。
ある日、油粘土を使った授業を行いました。その授業の後の休み時間に、子どもに呼ばれて階段の踊り場に行ってみると、クラスの子ども達が集まっていたのです。天井を見上げると、油粘土が穴に埋め込まれて油染みがたくさん付いていました。職員会議で、教頭先生から「教室はきれいに使いましょう」と注意されたばかりだったので、私は大変なことをしてしまったと思いました。その他にも色々な失敗があったので、子ども達のことは大好きだけど、私には教師は向いていないんじゃないかと悩みました。
校長室に呼び出された私は、きっと油粘土の件で怒られるんだと思いましたが、校長先生は「愉快、愉快!」と笑って迎えてくれました。私が来る前に子ども達が校長室に来て「先生は悪くない」と私をかばってくれたと言うのです。そして、どんなキャリアのある先生よりも、若い先生の「子ども達が大好きだ」という気持ちに勝るものは無いと言ってくれました。私は、子ども達の真っ直ぐな気持ちと、やさしさのお陰で、今教師として仕事ができることを幸せに思っています。

色チョークの使い方


色チョークの使い方

─ 一般的な黒板は深緑色 ─


 色盲や色弱の生徒に配慮して、白と黄のチョークしか使わない先生がいますが、基本的に、もっとカラフルに楽しい黒板にしなければなりません。先生は色彩感覚を磨き、さまざまな色チョークを使って、見やすく分かりやすい黒板にするよう研究をしなければなりません。

 色覚に関する配慮が必要な生徒は、保健の先生などから連絡を受けているはずです。個別に色弱の程度を確認したり、授業中、机間巡視などで確認することが本当の意味での配慮です。画一的な行為は配慮とはいいません。


1 白(しろ)
 基本となる色です。光学では、白は可視光線すべてを波長を反射しています。したがって、明度が最大となり、暗い黒板に対して、もっとも目立つ色(光)です。また、白はとても安定感あり、落ち着いた雰囲気を持っています。板書する内容の80~90%は白が良いでしょう。

2 黄(き)
 白の次に明度が高く、よく目立つ色です。しかし、白との組み合わせは変化に乏しく面白くありません。多用すると、白と黄のうち、どちらが重要なのか分からなくなります。したがって、最重要ポイントに使う場合は、文字の大きさを微妙に大きくしたり、他のよりも丁寧に書くなどの工夫が必要です。

3 赤(あか)
 赤緑色盲の生徒には見えません。事前に、赤緑色盲の生徒は分かっているはずなので、個人的に配慮します。該当生徒にとっては空欄になりますが、生徒の様子を見ながらタイミングを合わせて書きます。1学級に数人までなら、十分に対応できると思います。このとき、他の生徒には分からないようにしますが、それぐらいの配慮ができないようでは、色チョークは使えません。また、赤緑色弱の場合は、微妙に見えます。

 また、赤は明度が黒板と近いので目立ちません。教室が暗い場合は、とくに顕著です。

 生徒が書く白いノートに対しては、赤は最も効果的な色です。心理学的にも、目に飛び込んで来ます。赤緑色盲でも、明度の幅からよくわかります(赤は暗い)。したがって、ノートを書くことが不得意な生徒集団の場合は、あえて赤を使うこともあります。

4 緑(みどり)
 明度が低く、よく見えません。しかし、表の罫線や、グラフや図の補助線として有効です。白や黄で書くと黒板が煩くなるので、控えめな色を使うのです。また、緑は黒板の深緑と同系色なので、多用しても落ち着きます。白との相性も抜群です。是非、お試し下さい。

5 青(あお)
 同じように、明度が低くよく見えません。私は緑がない時、あるいは、緑の他にもう1色使いたい時に青を使います。また、青は静かな色なので、チョークを横にして広い面積を塗ってもうるさくありません。理科の授業では「空」「海」「水」「寒気」などを描くと良いでしょう。その他の色は、広い面積を塗ると、とてもくどい表現になります。まず、青から塗って下さい。

6 茶(ちゃ)
 あまり使いませんが、理科で「地面」を書く時に使います。その他、化学でいろいろな原子を書く時にも使います。図表の補助線として使うこともあります。意外性があるので、ワンポイントして使うこともあります。

7 複数のチョークを混ぜて色を作る
 観察やスケッチで微妙な色に着目し、色として記録表現する時に使います。化学の原子を表現する時にも使います。理論的には、色の3原色「マゼンタ」「黄」「シアン」から全色作ることができるので、実際の黒板上で混色して下さい。簡単にはできませんが、それなりの色が作れます。効果的な混色は「マゼンタ」と「黄」による「オレンジ」です。また、全ての色を混ぜると「灰色」になります。

参考比較資料:光の3原色は「赤」「緑」「青」です。それらから作られる色は「黄」「シアン」「マゼンタ」で、全てを混ぜると「白」になります。


8 蛍光オレンジ、蛍光イエロー、蛍光グリーン
 いずれも明度がそこそこ高いので、いろいろな色盲や色弱の人に優しいチョークです。是非とも購入し、ご利用下さい。価格が若干高いのが難点ですが、表現力の高さと実用性からお勧めです。使ったことがない人は、とにかくどうぞ! 喰わず嫌いはいけません。

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・発色がとても鮮やかではっきりと見える蛍光色です。
・密度があるので石膏製チョークの2倍使えます。
・夕方や暗い日には特に効果的で、近視の児童にもよく見えると評判です。
・主原料は、歯磨などに使われる炭酸カルシウムですから、安心して使えます。
・粒子が重いため、粉末が飛散せず、着衣や室内を汚しません。
・ソフトでなめらかな書き味のため、長時間使用しても疲れません。
・コーティング加工してありますので、手を汚しません。