★IMAGINE★

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today・・・
Aha・・・

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace・・・
You fu・・・

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the word・・・
You fu・・・

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

平和の俳句

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『平和とは一杯の飯初日の出』
2015年1月1日

浅井将行(18) 愛知県西尾市
<金子兜太>浅井君は毎日のご飯に感謝し、その毎日の平和を守る覚悟だ。
<いとうせいこう>まずささやかな満足が個人にある。それなしに国の平和などない。



…………

中日春秋 2/22

<水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>。九十八歳で逝った金子兜太さんの戦後は、この一句とともに始まったという。

東京帝大経済学部を卒業した金子さんは、兵站(へいたん)などを担う海軍中尉として西太平洋のトラック島に赴く。そこで目にしたのは、補給が断たれた島での飢えとのすさまじい戦いだった。

食糧は尽き、多くの部下がやせ衰え死んでは、穴にほうり込まれた。それほどの惨状でも兵站の責任者として「もうあと何人死ねば、残りの食糧でこれだけ生き残れる」と計算してしまう自分に、金子さんは戦争の本質を見た。

戦争が終わって、引き揚げ船の甲板から島を見つめていた時に浮かんできたという<水脈の果て…>という句には、死者の目線を感じながら、戦後を生きていこうという覚悟がこもっていたのだ。

「トラック島のたたかい」は、金子さんにとっては、終わらないものだった。普通に一生懸命働いている人がないがしろにされるありように戦場で使い捨てにされた部下の姿を重ね見て組合活動に打ち込んだこともある。本紙の「平和の俳句」の選者を務め続けたのも、戦争に対するたたかいの一つだったのだろう。

<おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた>。金子さんにとって螢は霊魂の象徴で、戦地では螢の夢を何度も見たという。螢を身から離さず、のしのしと歩き続けたオオカミが母なる森に帰っていった。

…………………………

中日新聞 社説 2/22

金子兜太氏死去 平和の俳句たたえつつ

 俳人の金子兜太さんは平和の尊さを訴え続けた人だ。貫いた反戦には自らの戦争体験がある。戦後七十年の二〇一五年から本紙「平和の俳句」の選者であったのも、危うい世相への抵抗であろう。

 <水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>

 一九四四年に海軍主計中尉として西太平洋のトラック島(現在のチューク諸島)に派遣され、終戦を迎えた。捕虜になり、四六年に復員する。島を去るときに詠んだのが冒頭の句である。

 旧制水戸高校時代から本格的に俳句を始め、東大時代に加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。四三年に日本銀行に入行するも、直後に海軍へと。「炎天の墓碑」とは、何とも虚(むな)しい光景であることか。

 金子さんのそれまでの人生が軍国主義の時代の中であることは間違いない。たとえ詩歌の世界であっても、安易に国家や軍を批判することはできなかった。

 日本国憲法ができ、戦後社会はがらりと変わった。その最大の動力となったのは「表現の自由」である。文学はもとより、社会科学や自然科学の世界も自由の力で、戦後日本は躍進を遂げ、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のにぎわいをみせたのだ。

 金子さんもまた、戦後の俳句改革運動の中心になった。「社会性俳句」「造形俳句」を提案、前衛俳句運動をリードし、理論的支柱となった。社会性や抽象性に富んだ無季の句を提唱したのだ。

 見逃せないのが、平和運動に尽力したことだ。四七年に日銀に復職し、被爆地の長崎で勤務したこともある。

 <彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン>

 日銀時代に詠んだ句である。長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は「体を張って権力に対抗する人という印象を持っていた」と共同通信に答えている。

 確かに戦後日本のありようが変わりつつある。特定秘密保護法や集団的自衛権の閣議決定、安全保障法制、憲法改正への動き…。

 三年間で十三万句以上が集まった「平和の俳句」は、あたかも“軍事”へと向かう権力への庶民の対抗だったと思う。その意味でも選者の金子さんはまさしく「権力に対抗する人」だった。最後に寄せた自身の句は

 <東西南北若々しき平和あれよかし 白寿兜太>

 戦争を知らず平和を鼻で笑う政治家が跋扈(ばっこ)する世の中だ。「若々しき平和」を詠む俳人の死は高齢といえどあまりに惜しい。

…………

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…………

『これ最後? いいえ詠みますこれからも』

2017年12月31日
 鴫島(しぎしま)峰子(63) 石川県野々市市

 <黒田杏子(ももこ)>掲載終結を惜しみつつ、九条が守られるのを見届けるまで詠み続けますと。
 <いとうせいこう>他の多くの人たちからも、詠み続けるとの声が。平和の俳句は終わらない。

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俳句の達人をうならせた平和のうた352句

東京新聞・中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の朝刊1面に一日一句が掲載中の人気企画「平和の俳句」が一冊の本になりました。

連載が始まったのは、戦後70年にあたる2015年。その前年に、現代俳句の第一人者である金子兜太氏と、作家のいとうせいこうさんは語り合います。
戦争体験を、また体験していないけれど戦争体験をどう考えるかということ、平和を願う気持ちを、俳句にしてはどうか。
それを新聞で募集して載せたらいいのではないか--と。

言葉の力に期待したふたりの声かけにこたえ、2015年末の時点で5万7000通の「平和の俳句」が寄せられました。
下は3歳から上は106歳まで、日本だけでなく世界中から、ドキドキする俳句が集まったのです。

この本では、2015年に選ばれた352句を一挙掲載。

選者ふたりによる選評や対談記事もあわせて掲載!

いとうせいこうさんは、この投稿を「軽やかな平和運動」と呼んでいます。
“戦後"が71年、80年、100年、永遠へと続くよう、あらためてこの年に選ばれた「平和の俳句」を、ぜひまとめて、声に出して読んでみてください。

…………

1分書評

平和という季語があってもいい。一日一句、「平和の俳句」
『金子兜太 いとうせいこうが選んだ「平和の俳句」』 (金子兜太・いとうせいこう 選)

 新聞の1面に、読者から投稿された「平和の俳句」が毎日掲載される。選者は金子兜太といとうせいこう。画期的なこの試みの1年分をまとめたものが本書だ。各句には、選者のひとこと評がついており、鑑賞の理解を助けてくれる。

 投稿者は3歳から106歳まで。47都道府県だけでなく米国、韓国、タイなどからも寄せられたという。その数、1年間で5万7000余りというから、すごい盛り上がりだ。


平和とは一杯の飯初日の出 浅井将行 18

 1月1日の句である。一杯の飯が、健やかに食べられること、そこから平和が始まる。いや、そこからしか始まらない。

 いとうせいこうは「まずささやかな満足が個人にある。それなしに国の平和などない。」と評に言う。短いが、平和の本質をついた言葉だ。いっぽう金子兜太は「浅井君は毎日のご飯に感謝し、その毎日の平和を守る覚悟だ。」と、初日の出に寄せる決意を読み取る。


ふざけるなオレはおまえの銃じゃねぇ 石川芳子 61

 こんな強い怒りの句もある。人間を銃のように扱い、その犠牲のうえに築かれる平和などあるはずがないだろう。


寒いほど粘るんどすえ九条ねぎ 島田章平 68

 こちらは、なかなかしたたかなユーモアを感じさせる一句。九条ねぎの「九条」は、もちろん憲法九条に掛けている。


「あの日から」「あの日」をぼくらは知りたくない 佐伯遥菜 11

 大人たちが言う「あの日から」。6月23日、8月6日、8月9日、8月15日、9月11日、3月11日…。あの日は、さまざまに考えられるが、佐伯さんは、そんなふうに言わねばならない「あの日」など、持ちたくないと思っている。こんな言い方で、未来への不安を表現できるのかと胸を衝かれた。

「平和を願う気持ちを五七五で」という決まりしかないので、季語の入っていない句も多い。が、これはつまり「平和」が年間を通しての季語ってことでいいんじゃないかと、そういうふうにも思われる。


平和という季語あり21世紀 万智

俵 万智(たわら・まち)
1962年、大阪府門真市生まれ。早稲田大学文学部卒。1986年、『八月の朝』で角川短歌賞受賞。1988年、『サラダ記念日』で現代歌人協会賞受賞。2004年、評論『愛する源氏物語』で紫式部文学賞を受賞。2006年、『プーさんの鼻』で若山牧水賞受賞。その他の歌集に『オレがマリオ』、エッセイ集に『旅の人、島の人』など。

国際母語デー

地軸 2/21

 「森をはしりまわる犬のように/くんくんとはなをならし/芽をふく木のように/さらさらと音をたて…ひょうのようにさけんだり/つがいの小鳥のように/さえずったりしながら/わたしたちは/はなすことをおぼえた」―

 松山で開かれた「大人が楽しむおはなし会」。披露された米国の吟遊詩人リンジの詩に、はるかかなた昔の、言葉の始まりを思った。伝えたい思いを、分かち合いたい胸の高鳴りを、懸命に託したであろう言の葉は、生命力そのもの。

 30年以上活動を続ける「松山おはなしの会」の語り手からは、世界各地の物語が、耳にも胸にも届けられた。情報がなだれ込む日常から離れた静かな場で、心地よい声に触れ、想像の世界に遊ぶ。豊かなひとときに心が満たされた。

 会長の光藤由美子さんは「おはなしの帽子」(創風社出版)に、語ることは「心に種をまくこと」とつづっていた。いつか芽が出て花が咲き、その種がまた誰かの心にまかれるのだと。心にそっと届けられたぬくもりも、きっと次の誰かへ。

 きょうは国連教育科学文化機関(ユネスコ)が定めた国際母語デー。1952年、当時パキスタンの一部だったバングラデシュで、母語のベンガル語を公用語と認めない政府への抗議運動が起こり、命と引き換えに母語を守ったことに由来する。

 言葉はその地の文化であり人々が生きた証し。心に灯をともす母なる言葉の大切さに、思いをはせる。

甘ったれ

正平調 2/21

中学1年生が「ぼくの心」という詩を作った。〈からしをぬったよ/体に/そうしたら/ふつうになったんだ/よっぽど/あまかったネ/ぼくの心って〉

夭逝(ようせい)の詩人、岡真史さんの「ぼくは12歳」(筑摩書房)に収められている。いやなこと、やりたくないことを前にして、甘ったれた心を責め、「逃げるな」と己にむちを入れたくなることは子どもにだってある。

こちらの大人はどうだろう。記者への「殺すぞ」発言の余波がおさまらず、突如辞職した今村岳司・前西宮市長である。自らの口で説明を、という周囲の求めにも応じず、このまま会見を開かぬ腹積もりらしい。

ブログで一方的に辞職の理由をつづっている。よくよく考えてのことかどうか。別に引き留めもしないが、いくら会見嫌いで知られているとはいえ、選挙で選ばれた人の振る舞いとしてはやっぱり首をかしげる。

〈繕ふもほとほと厭(いや)といふ顔の或(あ)る日は透ける定例会見〉森山晴美。人間だから、いやな質問に顔がひきつることも、むかっ腹が立つこともあるだろう。ただそれを情理を尽くして語るのが政治家のはずである。

目を転じれば、過去の発言の整合性を問われながら、だんまりを決め込む国税庁のお偉方もいる。からしを塗りたくなる大人は結構多い。

におい分子

大自在 2/21

 人間が生きていくために重要な五感の一つ、嗅覚について細かな仕組みが解明されたのは比較的新しい。米のリチャード・アクセル博士らが、鍵となる「におい分子受容体」を1991年に発見。13年後、博士ら2氏はノーベル生理学・医学賞に輝く。

 におい分子受容体は、鼻の奥にある“センサー”だ。においの元は入ってくると、嗅細胞を経て電気信号になり脳へ伝わって識別される。キャッチできる分子は受容体ごとに決まっていて人の場合、その種類は400弱、犬は約800といわれる。

 視覚や聴覚に比べ嗅覚はより複雑で、味覚とともに機械的な置き換えや数値化は難しいと考えていたのだが、どうやら先入観にすぎなかったようだ。においをかぎ分ける、人工知能(AI)搭載のポータブル識別器の記事が、きのう本紙に載った。

 県立静岡がんセンター(長泉町)と東海電子(富士市)が6年かけて共同開発。関係者によると、におい成分を含んだ空気を採取して装置のチューブに送り込んで測定する。におい分子約150種に対応したセンサーを備える。

 がん患者からは病巣の部位や状態によって、特有のにおい(病臭)が出ることが知られている。医師や看護師は病臭を処置や治療の判断に役立ててきた。これまで経験頼みだったところに今回、有力なツールが加わる。

 「試験を重ねて精度や信頼性を高めたい」。同がんセンター研究所の楠原正俊副所長は病室での活用を目指す。検知・解析に磨きをかければ、医療分野以外にも応用可能だろう。有望技術に注目が集まる。

昼寝

編集日記 2/21

 昼食をとった後など、どうしようもないほどの睡魔に襲われながらこらえつつ仕事や勉強に取り組まなければならないときは切ないものだ。

 脳科学者の井上昌次郎さんの著書によると、昼食後の眠気は食事の満足感に伴い脳内に分泌される睡眠物質の働きと、体の中にある一日のリズムが休息の時間帯に重なるため起こる。短くても効率良く脳と体を休ませれば疲労はかなり回復するのだという。

 西郷一中が、昼寝を実践して成果を上げている。1週間のうち3日間、全校生徒が一斉に教室で昼寝をしている。時間は15分間。校内放送からは心地よい音楽が流れ、生徒たちは自席で、机に顔を伏せるなどしてしばし睡眠をとる。

 昼寝の時間は、生徒たちの意見をもとに2年前から始まった。同校によると、昼寝をするようになってから、午後の授業で生徒たちの集中力が高まり、学力テストの成績が向上した。部活動も充実して中体連大会などでの活躍が目立ってきたという。

 山縣栄寿教頭は「昼寝をすることで、生徒たちのやる気のスイッチが入り直すのではないか」と話している。睡眠は体調管理の基本。ここ一番というときに力を発揮することができるよう子どもたちに倣ってみるか。

やまない風はない

くろしお 2/21

 なぜ風が吹き、雨や雲が生じるのか。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、風は大地の蒸気から生じ、雨や雲は海、川、湖沼などの水が蒸発する時に発生すると考えた。

 そして、すべての元になるのは太陽の動きだ。北風のときに天気が崩れるのは、東から西へ動く太陽が最も遠くなる方角から吹く風であるためとした。中世までのヨーロッパ世界ではアリストテレスの考えが支持された(福島あずさ著「窓から見える世界の風」)。

 五輪開催地、平昌に吹く風はことのほか強く過酷なようだ。スキーのジャンプ会場では氷点下10度を下回る寒さに加え、強風で頻繁に中断するという悪条件に。選手も観客も震え上がった。風にたたかれて失速した選手は気の毒だった。

 予選が強風で中止となったスノーボードの女子スロープスタイルは出場したすべての選手で決勝を行うという事態になった。条件は同じとはいえ実績があり、メダルを期待される上位選手ほど重圧があったことだろう。風に苦しんだ日本選手は9位が最高だった。

 そんな中、スケート会場に温かな風が吹いた。女子500メートル金メダルの小平奈緒さんと銀メダルの李(イ)相花(サンファ)さん(韓国)が肩を抱き合った光景のことだ。小平さんは「よくやったね」と声を掛け、李さんも「あなたを誇りに思う」と返した。

 自然の風は制御できないが心の中に吹く風は、人間自身が生み出すドラマで温かくも冷たくもなる。五輪が終わった後も目に焼き付けたままにしておきたい日韓の偉大なスケーターの姿だ。北風もいつかは吹きやむ。雨もいつかはあがる。

電柱と電線

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中日春秋 2/21

映画などの巨大怪獣が好んで破壊するものや場所といえば、ビル、橋、鉄道、高速道路などが浮かぶが、「シン・ゴジラ」などの映画監督、樋口真嗣さんによると、電柱も欠かせないようだ。なぎ倒される電柱。切断され、宙を舞う電線。なるほど迫力ある場面が撮れそうである。

監督が「シン・ゴジラ」製作にあたって、ゴジラにどこを壊させようかと町を見て回ったとき、昔に比べて、電柱が減ってしまったことにがっかりしたそうだ。「電柱と電線が織りなす風景が東京の顔なのに。」

ゴジラが聞けば、涙ぐむかもしれぬが、これも時の流れである。国土交通省は二〇二〇年度までの三年間に全国約千四百キロの道路で電線を地中に埋設し、無電柱化するとの計画をまとめた

進捗(しんちょく)率の目標を盛り込んだ国の計画策定によってやや遅れ気味だった無電柱化のペースも上がるだろう。

震災時、倒れた電柱で救援物資の運送の妨げになる危険や景観の向上。それを思えば、無電柱化の利はあるだろう。欧米に比べ、日本の空は電柱と電線が大きな顔をしすぎているのも確かである。

<いゝえ、空で鳴るのは、電線です電線です>(中原中也「春と赤ン坊」)。なくなれば、さぞやすっきりするか。寂しくもある。景観を悪くしていると評判はさんざんだが、明治以降の長きにわたって日本の風景と生活を支えてきた電柱と電線である。
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チャレッソ

地軸 2/20

 激戦の合間に、ほっと一息。平昌五輪カーリング女子の「おやつタイム」が話題になっている。

 前半終了後、後半の作戦を練りながらイチゴやバナナなどをもぐもぐ。かわいくも頼もしい選手たちは、心身ともにしっかり栄養補給して「氷上のチェス」と称される難競技に挑む。

 競技名で思い出した、というわけではないが「それにつけてもおやつはカール」である。本紙に、明治の人気スナック「カール」の、今では全国唯一となった松山の製造工場の記事が出ていた。カールは今や「県産品」―そんな言葉が、長年のファンにはうれしい。

 日本初のスナックは今年50周年。子どもの頃からふわふわサクサクの食感に魅せられ、食べ続けてストックを欠かしたことがない。ピザやポタージュ、うめ味など過去の限定商品の多彩さや、カールおじさんの形の「キャラカール」発見も楽しみのうち。だから昨夏の、中部以東での販売中止決定は衝撃だった。

 長く続けることは簡単でも当たり前でもない、と改めて「有り難さ」を思う。くしくも今月は、松山市出身の女優松山容子さんをパッケージに起用した大塚食品のレトルトカレー「ボンカレー」と、日清食品の即席麺「出前一丁」の、発売50周年。

 昭和の食卓史に残るロングセラーは皆、素朴でシンプルな思い出の味。次の50年、残る味もきっと。五輪の「おやつタイム」に合わせ、ぱふっと袋を開けながら、そんなことを思う。

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四季風 2/20

日本と韓国はスポーツの世界では永遠のライバルとよく表現される。決していい意味ではない。皮肉交じりである。この表現の背景には互いを〈嫌いな国〉のトップに挙げる国民感情がある。

1992年バルセロナ五輪のマラソンで有森裕子選手の銀メダルは多くの方が印象に刻まれているだろうが、実は男子マラソンも森下広一選手が銀メダルに輝いているのに、当時も注目度は低かった。

理由の一つに優勝が韓国人選手だったことが挙げられた。韓国の団体競技の選手が日本とはやりたくない、国民の期待度が高く、負けるとあまりに心の傷が深くなる-と嘆くコメントに触れたこともある。

それだけに、平昌五輪女子スピードスケート500メートルの小平奈緒選手と李相花選手のたたえ合いながらのウイニング・ランは感動的だったし、地元韓国民の目を気にすることなく李選手が小平選手に抱かれて涙を流し続ける姿は衝撃だった。

10年来の友人で、友情にまつわる多くの美談も明かされた。李選手の涙は小平選手にしか理解できないものだろうが、政治の溝を埋めてあまりある美しい終幕だった。「スポーツは言葉の要らないコミュニケーション」。小平選手の言葉が胸を打った。

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水鉄砲 2/20

 先週末は、若い才能が立て続けにビッグニュースを届けてくれた。平昌五輪ではフィギュアスケートの羽生結弦選手、スピードスケート女子500メートルの小平奈緒選手が金メダルを獲得。中学生棋士、藤井聡太五段は朝日杯将棋オープン戦で優勝、わずか16日間で六段に昇段した。

 土曜の昼は出先での予定を中断し、羽生選手の演技を見るためにテレビのある食堂に入った。きつねうどんをすすりながらの観戦である。従業員も仕事の手を休めて画面に見入っている。優勝が決まった瞬間には、客も従業員も一緒になって喜んだ。

 日曜日には小平選手が体中から炎の出るような滑りで優勝。堂々の五輪新記録だ。「回りが何も見えないくらいうれしい。全て報われた」という言葉に「良かったなあ」と思わず声を上げた。

 藤井五段は準決勝で羽生善治竜王、決勝で広瀬章人八段を破っての栄冠。15歳6カ月での棋戦優勝は「神武以来の天才」と称された加藤一二三九段の15歳10カ月を抜く新記録である。実力勝負の棋界で佐藤天彦名人を破り「永世七冠」「国民栄誉賞」の羽生竜王を倒すとは、末恐ろしい中学生だ。天才という言葉を充ててもまだ足りない気がする。

 魚釣り名人、ミカン作りの天才…。活躍の舞台は異なっても、こうした才能は紀南各地に眠っているのではないか。彼らがさらに精進し、才能に磨きをかければ、この地の明日が開けるのではないか。期待しよう。 

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正平調 2/20

その昔、国語の教師に教わった俗謡がある。〈京で一番 糸屋の娘…〉で始まって、〈諸国大名は弓矢で殺す/糸屋の娘は目で殺す〉と結ばれる。

起承転結の分かりやすい文で、糸屋の娘がいかに美しいかを言い表す。弓矢を持つ大名は確かに強いが、娘はその上をいく。相手の心をまなざしで射抜くのだから-と。

思い浮かんだ“目”がある。氷上でぐんぐんと加速しながら、まっすぐ前だけを見据えた眼光の鋭さときらめきに、テレビの前で魅せられた人は多いだろう。平昌(ピョンチャン)五輪のスピードスケート女子500メートルで日本のエース、小平奈緒選手が金メダルに輝いた。

かつてストレス解消法を聞かれて、「スケートについて考えること」と答えている。滑ることに何よりも恋をして、「最速」を求め続けたアスリートに、いまはスケートの神様の方がぞっこんなのかもしれない。

地元での3連覇を逃したライバル、韓国・李相花(イサンファ)選手の肩をそっと抱き寄せたシーンが印象に残る。ガッツポーズの後、少し遠慮がちにこぼれ落ちた涙も、勝負の世界で長く風雪に耐えてきたその人らしかった。

「百花繚乱(りょうらん)」。日本選手団の主将として小平さんが掲げたテーマという。極寒の地で開く花々の美しさに心を射抜かれっぱなしの、熱い冬である。

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国原譜 2/20

 やはり金の感動には圧倒される。冬季五輪で、フィギュアスケートの羽生結弦選手に続き、スピードスケート500メートルで、小平奈緒選手も獲得した。

 連日連夜の興奮に日本中が沸いた。土曜、日曜と休みの人も多かったことから、テレビの前で声援を送ったことだろうし、気分のいい日なった。

 羽生選手の華麗な演技は、安心して見ていられたし、最後の選手の採点が気になったが、その瞬間、思わず声を上げたほどだ。本命視されての偉業だけに、プレッシャーも相当あったはずだ。

 銀メダルの宇野昌磨選手は、五輪も数ある大会の一つという思いからなのか、喜びはそれほど感じられなかったが、それが若さなのかもしれない。

 一方、小平選手は力強い走りを見せてくれた。スタートから一気に走り抜け、秒との戦いのなかでゴールに飛び込んだ。こちらも本命視されていたが、その期待に応えた。

 2人ともケガなどで泣いたこともあり、金メダルを目標に人一倍練習を重ねてきた。その苦労、努力が実を結んだのだが、インタビューで周囲への感謝の言葉に、また泣かせてくれた。

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時鐘 2/20

「なおちゃーん」。小平奈緒(こだいらなお)選手(せんしゅ)が所属(しょぞく)する長野(ながの)の病院(びょういん)で応援席(おうえんせき)が設(もう)けられ、職員(しょくいん)の歓声(かんせい)が響(ひび)いた。「小平さーん」ではなくて「なおちゃん」だから女性(じょせい)ファンも大声(おおごえ)で叫(さけ)べるのである。

スピードスケートでもう一人(ひとり)ワクワクさせるのは「みほ」高木美帆(たかぎみほ)選手だ。それに、スケート界(かい)では「まお」浅田真央(あさだまお)というヒロインがいる。なお。みほ。まお。共通(きょうつう)するのは叫びやすさだ。語尾(ごび)の「おー、ほぉー」の響きは優(やさ)しさと力強(ちからづよ)さがある。

声(こえ)に出(だ)すと軟(やわ)らかいが、漢字(かんじ)にすると奈緒、美帆、真央は画数(かくすう)も多(おお)くて古典的(こてんてき)だ。そこが、日本人(にほんじん)に愛(あい)される秘密(ひみつ)かもしれない。何(なに)より、ファーストネームで呼(よ)ばれるのは世界(せかい)に通用(つうよう)する選手の条件(じょうけん)の一(ひと)つである。

古今東西(ここんとうざい)の文化的要因(ぶんかてきよういん)も「なお。みほ。まお」の名(な)が、世(よ)に広(ひろ)がる背景(はいけい)にあるのかもしれない。紙面(しめん)には選手の生(お)い立(た)ちから練習方法(れんしゅうほうほう)まで、連日多彩(れんじつたさい)な物語(ものがたり)があふれている。名前(なまえ)など、それがどうしたと言(い)われそうだが、五輪(ごりん)選手の名の中(なか)には大切(たいせつ)なものが隠(かく)れていると思(おも)う。

若(わか)き日(ひ)の親(おや)の願(ねが)いや、無償(むしょう)で支(ささ)え続(つづ)けた人(ひと)たちの尊(とうと)さが、キラリと光(ひか)って見(み)えるのである。

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斜面 2/20

前回ソチ五輪が5位、それが31歳で迎えた平昌は金―。この4年間に何があったのかと誰しもが思ったろう。スピードスケート女子500メートルで圧倒的な強さを見せつけ、五輪個人種目金の県出身選手第1号となった小平奈緒さんである。

この間つづった近況報告のブログなどから飛躍の過程がうかがえる。小平さんの強みは信州大の結城匡啓(まさひろ)コーチとともに完成させた「しなやかさと躍動感」のあるフォーム。その下地の精神面は単身オランダで武者修行した前半2年間に培われたようだ。

現地でチームに溶け込もうにも言葉が通じず、技術を教わっても微妙なところは分からない。オランダ語の単語カードを訓練用の自転車に貼り、こぎながら覚えた。仲間から2度聞いた単語は必ず頭に入れると決めると集中力がつき、他チームの選手とも交流できるようになった。

リンクでは胸を張り顔を上げろ、自分の意見や行動に自信を持て―。そう教えられて“気持ちの身長”はチームメートと同じ180センチになったとも書いている。運河が発達したオランダでは冬の移動手段として古くからスケートが庶民に愛用されている。

現地で楽しさを実感したという小平さん。今度の大会でも「氷に呼び掛けると声が返ってくる」異次元の楽しさを味わえたという。次の目標は「500メートル世界新」。活躍を見続けられるのはうれしいことだ。やる気さえあればまだできる―。そう奮い立たせてくれた小平さんの快挙である。

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日報抄 2/20

日本選手団がメダルを量産する。生中継がなかなか寝させてくれない。テレビがあるはずもない古代オリンピックでは、朗報を伝書バトに託し飛ばした選手がいた。近代になっても、ハトは願いを託された。平和を象徴するハトを放つよう、五輪憲章はわざわざ細則で定めていた。

54年前の東京五輪でも飛んだ。これには少々裏話があったのだ、と選手宣誓をした小野喬さんが明かしている。開会式の宣誓台にカンニングペーパーを置かせてくれるよう、組織委員会に相談したという。

すると、交換条件であるかのように、妙な要請を受けた。宣誓最後に自分の名前を読み上げる際、オノとタカシの間に一呼吸置いてくれという。組織委は8千羽ものハトを飛ばす合図を探していたのだ。

そして当日、一呼吸を合図に担当者がカゴに手を掛け、タカシの名が響いた瞬間、見事に飛んだ。戦後の日本が探し求めたのは、まさしくこの瞬間だったのだろう。平和国家の歓喜をハトが世界にふれ回る。

五輪憲章の細則は後に、動物愛護の観点から削られた。それでも、模した風船を飛ばしハトの映像を映す。まだその象徴の力を借りねばならぬ分断の世だ。

今冬の祭典は舞台裏であるはずの政治がクローズアップされてきた。各国の握手がぎこちない。しかし、さすがスポーツだ。スピードスケートの小平奈緒選手が融和への手本を示してくれた。激しいレース後、涙の韓国選手としばらく肩を寄せ合った。競争とは別の感動を平昌から届けてくれた。

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談話室 2/20

猫は、実は虎の師匠である。中国にはこんな言い伝えがあるという。清代の猫百科書に曰(いわ)く「虎は、猫が機敏ですばしっこいのを羨み(うらや)、猫に師事したいと頼んだ。まもなく虎は猫そっくりに振るまえるようになった」。

田中貴子著「猫の古典文学誌」に詳しい。話は続きがある。弟子の虎にはそれでも、師に及ばぬ点が二つあった。木に登ること、首を回して周りを見ることができなかったのだ。文句を言う虎に師は答えた。「私自身の安全を用意しているのだ。君に●(か)みつかれないように」

この挿話を思い起こさせるほど、俊敏さと周到な準備が際立った現代の猫である。平昌冬季五輪スピードスケートの女子500メートルで、小平奈緒選手が金メダルを獲得した。肩の位置を上げ、逆に腰は下げて重心を低くするオランダ仕込みの姿勢は「怒った猫」とも称される。

どん底を経験しながら30歳を超えて記録を伸ばし、3度目の五輪で悲願をかなえた。表彰台では目を潤ませ大会マスコット「スホラン」を高々と掲げた。東洋で守護神とされる白虎である。「師匠には誰も敵(かな)わぬわい」。さしもの白虎もそんなことを思っていたかもしれぬ。

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天鐘 2/20

熱戦が続く平昌五輪。選手たちの活躍をテレビで見ていて実際に「頑張れ」と声が出てしまう日々を過ごしている。同じような体験をしている読者もいるかもしれない。

フィギュア男子SPで、羽生結弦選手が最初に4回転ジャンプを決めた瞬間は、こちらも手に汗を握った。フリーで転倒を必死にこらえた場面では、全身がこわばった。

羽生選手に続き、今大会日本勢で2個目となる金メダルを、スピードスケート女子500メートルで小平奈緒選手が勝ち取った。わが身はと言えば、テレビ桟敷で両脚を踏ん張って力み過ぎたことを白状する。筋肉痛は、雪かきのせいばかりではなさそうである。

小平選手は努力の人だと聞く。世界の壁を乗り越えようとオランダへ留学。スポーツ科学も積極的に取り入れた。30歳を過ぎて急成長。「金」を期待される中、重圧をはねのけての表彰台である。試合後、ライバルの韓国選手との交流も爽やかだった。

不調に陥った高校時代、コーチに「顔晴(がんばれ)」という言葉をもらった。「本当のガンバレは顔が晴れていること。つらくても笑顔を」。言葉通りに、五輪で笑顔がはじけた。

平昌五輪は後半戦に入った。アイスホッケー女子を含め、競技はまだ続く。あとどれくらいアスリートたちの晴れ渡る笑顔が見られるだろう。小平選手の快挙を心から祝福しつつ、応援する側もこれからは「顔晴」と叫ぼうかなと思う。

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卓上四季 2/20

年上の人を敬う文化が徹底している韓国では、食事のとき、最年長者が食べ始めてから他の人も箸を付ける。お酒は年上の人の視線を避け横を向いて飲む。だから、言葉遣いも、年上の人にいわゆる「ため口」を使うことは普通はない。

平昌冬季五輪スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手は、2位の韓国の李相花(イサンファ)選手に「チャレッソ」と声をかけた。「よくやったね」という意味の韓国語で、対等か年下の人に使うそうだ。

小平選手31歳、李選手28歳。何の失礼もないが、李選手は世界記録保持者で五輪2連覇中の韓国のスターだ。「ため口」は2人が互いを認め合うライバルであり、心を通わせる親友でもある証しだろう。

李選手は以前、韓国の大会会場から空港に急ぐ小平選手のために、タクシーを手配してあげたことがあるそうだ。小平選手も和食好きの李選手に日本食を送っているという。記者会見ではそんなエピソードも披露された。

レース後、涙が止まらない李選手は、小平選手に抱きかかえられてリンクを周回した。それぞれの国旗を手にたたえ合う姿に、国境を越えた友情を感じた人も多かっただろう。

「相花を尊敬している」「(小平選手は)特別な友人」―。海を隔てた隣国ながら、ときに感情がもつれる両国である。しかし、決して分かり合えないはずはないと思わせてくれる、2人の活躍だった。

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河北春秋 2/20

「ああ、やられたなと素直に思った」。平昌冬季五輪で聴いた印象的な言葉だ。スノーボード男子ハーフパイプ決勝。銀メダルの平野歩夢選手(19)が連続4回転技を決めた後、米国のショーン・ホワイト選手に同じ技で見事に逆転された時のコメント。

2人は大けがの後で恐怖心とも闘った。「歩夢がやるのを見て意欲が湧いた」と前回五輪以来の好敵手は、技への挑戦を後押しした平野選手に感謝した。競技の新次元を開拓する者同士の交歓を感じた。

「チャレッソ」(韓国語で『頑張ったね』)との言葉を、18日のスピードスケート女子500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒選手(31)の話で知った。敗れて涙を見せた前五輪女王、韓国の李相花選手に寄り添ってそう伝え、地元の重圧の心労をねぎらった。

長年切磋琢磨(せっさたくま)しながら、勝ち負けの感情を超えた友情を培ったという2人。見る人の心も溶かす光景だった。「あなたを今も尊敬している」「ライバルであることを誇りに思う」。そんな言葉の数々が試合後に語られた。

ぎくしゃくする国同士の関係など別世界のように、「まるで一つのチームのように互いをいたわった」と表現する韓国紙も。おらが国の代表を応援するばかりの場ではない、世界の人と人をつないでいる五輪の原点を思い出させた。

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有明抄 2/20

スケートの歴史は古く、起源は石器時代にさかのぼるというが、記述は2世紀の北欧神話が最初だ。氷の上を滑る姿を描いたものは、1498年のオランダの木版画が最も古い。

そのオランダはスピードスケート発祥の地ともいわれる。冬には水が凍る沼沢(しょうたく)地帯や運河が多い土地柄なので、もともとは冬の移動手段。寒くて積雪量が少ないから条件がそろっている(『雪と氷のスポーツ百科』)。知れば、平昌五輪のオランダ勢の活躍ぶりもうなずけるというものだ。

スピードスケートのエース、小平奈緒選手もオランダでの武者修行に挑んだ一人。その成果を存分に発揮し500メートルで金メダルに輝いた。「とうとう」である。1500メートルで6位、1000メートルはあと一歩の「銀」だったが、一番の得意種目で頂に立った。

ライバルで韓国の英雄と呼ばれる李相花(イサンファ)選手は五輪3連覇を目指したが、「銀」に止まる。レース後、涙にくれる李に小平は「私はあなたのことを尊敬しています」と言葉をかけた。李にずっと勝てなかったことで、記録を追いかけようという気持ちにさせてくれた選手。アスリートだけが分かる心境がある。

「スピードスケートは他人をコントロールするのじゃなくて、自分を制する競技」。小平の言葉だ。オランダで磨かれ、自らに勝つことで見事、大輪の花を咲かせた。

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春秋 2/20

フィギュアスケートがテーマのアニメ「ユーリ!!! on ICE」は佐賀が舞台。男子フィギュア選手・勇利は、実力はあるがプレッシャーに弱く、大切な試合ではいつも失敗してしまう。

競技を続ける自信をなくし、唐津市がモデルとされる故郷に帰った勇利。数々の出会いや多くの人に支えられて心の弱さを乗り越え、国際大会の頂点を目指す…。励ましのせりふ「がんばらんば!」に、九州人は特に親しみを感じよう。

「漫画の主人公にしても出来過ぎなくらいの設定」。当人がそう言うほど劇的な展開だった。フィギュアの羽生結弦選手。平昌五輪直前に、選手生命も危ぶまれるほどの大けがを右足首に負いながら、素晴らしい演技を見せ、同種目66年ぶりの五輪連覇を果たした。

それまで満足に練習できず、痛み止めなしでは跳べない状態で本番に臨んだ。前半の完璧なジャンプ。そして終盤、限界に達した右足で必死に踏みとどまる姿は、世界中を感動させた。漫画やアニメでもここまでドラマチックな脚本は書けないほどに。

翌日はスピードスケートの小平奈緒選手が強敵を破り、日本スピード女子初の金メダル。小平選手も羽生選手同様に「金」の本命と期待されていた。その重圧を力に変える2人の強靱(きょうじん)な精神力こそ「絶対王者」の証しであろう。

「頑張れ」と声援するうちに、こちらも「がんばらんば!」という気持ちにさせてもらった。

『統計でウソをつく法』

中日春秋 2/20

一八九八年の米西戦争の期間中、米海軍の死亡率は千人につき九人だったそうだ。一方で、同じ期間のニューヨーク市内における死亡率は千人につき十六人。米海軍はこの数字を使って、海軍に入った方が安全だと宣伝していたそうである。

数字のわながある。海軍の大部分が健康な青年であるのに対しニューヨーク市民には赤ん坊もいれば、高齢者や病人もいる。当然死亡率は高くなる。

『統計でウソをつく法』(講談社)にあった。二つの死亡率の比較に意味はないが、数字で示されるとつい信じてしまいやすい。

意図的だとすれば、見え透いた数字のトリックを使ったものである。裁量労働制の労働時間をめぐる、厚生労働省のデータである。一般労働者よりも、裁量労働制で働く人の労働時間の方が短いとするデータを示していたが、調査方法に問題があった。

裁量労働制の人については実際の労働時間を、一般労働者には残業が最長の日の労働時間を調査している。これなら、裁量労働制の労働時間の方が短くなりやすいだろう。二つは比較できない数字である。

裁量労働制の対象を拡大したい政府の思惑か。厚労省は陳謝したとはいえ、ひいきの引き倒しで、裁量労働制といえば、怪しげな統計まで使って、政府が対象を拡大しようとしているものという印象と警戒が広がってしまったはずだ。統計をとるまでもない。

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内容紹介
だまされないためには、だます方法を知ることだ!
かの有名な英国の政治家ディズレーリは言った――ウソには3種類ある。ウソ、みえすいたウソ、そして統計だ――と。確かに私たちが見たり聞いたり読んだりするものに統計が氾濫しているし、「平均」とか「相関関係」とか「トレンド」とか言って数字を見せられ、グラフを示されると、怪しい話も信じたくなる。しかし、統計数字やグラフは、必ずしも示されている通りのものではない。目に見える以上の意味がある場合もあるし、見かけより内容がないかもしれないのである。私たちにとって、統計が読み書きの能力と同じぐらい必要になっている現在、「統計でだまされない」ためには、まず「統計でだます方法」を本書によって知ることが必要なのである!

目次
1 かたよりはサンプルにつき物
2 “平均”でだます法
3 小さい数字はないも同然
4 大山鳴動ネズミ1匹
5 びっくりグラフ
6 絵グラフの効用
7 こじつけた数字
8 因果はめぐる
9 統計操縦法
10 統計のウソを見破る5つのカギ

体力アップへ

小社会  2/19

 土佐は酒国。そのイメージに平安期の歌人、紀貫之も大いに貢献していよう。「土佐日記」に描かれた土佐の国司送別の宴。〈ありとある上下(かみしも)、童まで酔ひ痴(し)れて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ〉。

 身分の上下にかかわらず子どもまで酔っ払い、一という字を知らない者が足で十を書くように千鳥足を踏んでいる…。大変な「大おきゃく」だが、子どもの飲酒は今ならあってはならないこと。事実なのか、それとも女性になりきって書いた貫之の脚色か。

 現代の土佐っ子にとっての「朗報」は、全国の小学5年と中学2年を対象にした体力テストの結果。県内の中2男子が初めて全国平均を上回り、過去最高の19位になった。高知県の合計点の平均値も上昇傾向にあるという。

 半面、一定の距離を何度も往復する「シャトルラン」や「持久走」など、単調で忍耐力のいる項目が弱いことをうかがわせるデータもある。1週間の運動時間が「60分未満」の割合が、全国平均を上回っているのも気にかかる。

 きのう、好天の土佐路を1万人余が駆け抜けた龍馬マラソン。ただ走るだけ。苦しい思いもするけどやめられない―。走ることの魅力に、沿道で応援しながら気づいた子どももいるだろう。

 体力アップへ、日常的に運動する習慣を身につけたい。「きょうはきのうより距離が伸びた」。親子でそんな「マラソン日記」を始めるのもいい。